真下から見上げるとこういう感じです。てっぺんの細くなっている部分は見えません。展望台の下側が見えるだけ。
いつも変な好奇心があって、高いものはその足もとはどうなっているか、確認してみたくなります。エッフェル塔の足もとも近くから写真を撮ったぐらいです。
スカイツリーの場合は、上は円形ですが下の部分は三角形。1本の脚を確認できれば残りの2本も基本的に同じであろうと思い、よく見ました。建築の専門家ではないので、見てもさっぱりわからないのですが。それでも見て安心できました。地震国の智恵が随所に生かされているタワーです。
土台というものは、一般的に目立ったり輝いていたりということはなく、縁の下の力持ちと評されるように、見えないところでしっかりと全体を支える真(まこと)の力持ち、それでいて存在を感じさせる部分です。
人の土台も同じだと思います。信念があり、その上に根ざして立っています。土台がいい加減だと、砂の上に家を建てるようなものです(マタイ7章26節参照)。家はすでに建っていますが、築年数とともに土台も含めてあちこち傷んできます。こまめな修復や補強も忘れないようにしたいものです。
先週の葬儀の話題で、大勢の人に見送られてという文章を書きながら、無縁社会のことを考えずにはいられませんでした。
その翌日でしたか、ある方から、最近読んだ本からということで、「私の人生のエンディングがどんなものであれ、エンドロールには多くのキャストの名前が連なることでしょう」という引用のことばをいただきました。孤独死ということばは、死の瞬間の部分しか見ていないのですね。一人の人が人生を終えるということは、全生涯の重みが集約された時刻(とき)を過ぎ越していくことであって、死後に駆けつけた者が簡単にどうこう言える種類のことではないのでしょう。
10月1日はタワーの日だそうです。高いものと速いもの(新幹線)が好きなお国柄のようです。