分杭峠からは待ちに待ったダウンヒルの開始です。上りの時はそこそこすれ違ったり追い越された車やバイクもほとんど通らずに、152号線はワタシの貸しきり状態です。
秋葉街道とは、大火の時そこだけ焼け残ったところから火除けの神様となった、静岡は天竜市近くの秋葉神社に通じるところから名づけられた街道で、これはまた中央構造線という地質学的に全く別の成り立ちの、いわばパッチワークで出来上がっている日本列島の継ぎ目の部分とも一致します。
峠を快適に下っていくと、右側にちょっと大きな駐車場があって、そこに中央構造線北川露見部という看板が出ています。ちょっと通り過ぎてからおやっと思って引き返してみると、まさにニッポンの継ぎ目が見られるので、これはちょっとした驚きでした。
衛星写真を見るとこの構造線に沿って諏訪湖の辺りから九州まで約1,000キロの谷が続いているそうで、和歌山の紀ノ川や四国の吉野川もその一部ということです。
また、この部分は地質学的に弱い部分で、やたら崩れたりするので、静岡県境の峠には青崩峠という名も付いているほどで、これが152号線が寸断されている理由のようです。
実際、この北川の下で土砂崩れにより100メートルほど道が埋もれていて、復旧工事をしていました。
秋葉街道とは、大火の時そこだけ焼け残ったところから火除けの神様となった、静岡は天竜市近くの秋葉神社に通じるところから名づけられた街道で、これはまた中央構造線という地質学的に全く別の成り立ちの、いわばパッチワークで出来上がっている日本列島の継ぎ目の部分とも一致します。
峠を快適に下っていくと、右側にちょっと大きな駐車場があって、そこに中央構造線北川露見部という看板が出ています。ちょっと通り過ぎてからおやっと思って引き返してみると、まさにニッポンの継ぎ目が見られるので、これはちょっとした驚きでした。
衛星写真を見るとこの構造線に沿って諏訪湖の辺りから九州まで約1,000キロの谷が続いているそうで、和歌山の紀ノ川や四国の吉野川もその一部ということです。
また、この部分は地質学的に弱い部分で、やたら崩れたりするので、静岡県境の峠には青崩峠という名も付いているほどで、これが152号線が寸断されている理由のようです。
実際、この北川の下で土砂崩れにより100メートルほど道が埋もれていて、復旧工事をしていました。