楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

こんにゃくという にょろにょろな生き物

2010-06-20 15:44:20 | むかしばなし
さんざん こんにゃくはいただいてきたが こんにゃく芋見たのは初めて
ジブリのお話にでてくる にょろにょろに似てた。
三年もの時間をかけ 栄養もあまりない この植物を食べるって すごいことだと 今更ながら思う。
人間って 変だ。でも 素敵かも。

写真のピンクな生き物が こんにゃくで 植え付け前です。
スイカのつるが 後ろで映っています。

素直な樹木

2010-05-03 21:24:35 | むかしばなし
いいお天気で 鈴鹿市の椿大神社まで 主人の提案で久しぶりにでかけました。
良い水がとうとうと流れ 木々は新緑で 寒さがやっと去って
ちょうど茶葉が開きかけたばかりでした。

楓はうつくしい緑で すっくと素直にまっすぐ伸び こんなに素直な楓が いつも神社の入り口で迎えてくれていたのだと 今日初めて気がつきました。
水が良いと木々は素直に伸びるのでしょうか。
みれば 樅の木も 大樹となった多くの杉たちも いかにも素直なのです。

まだ新茶は出回らず 鈴鹿茶のペットボトルは 売り切れのままでした。
きっと 鈴鹿茶は 昨年のお茶を夏の間飲みやすく入れて地域で販売しているに違いないと思いました。
でも ここのお茶は うそがなく 古茶は古茶のまま 荒茶はお安く
自然な色で無理がない。
季節感そのままの 継続可能なシステムなのではないでしょうか。
そうでなければ 松下幸之助翁の愛した神社で売る価値が半減してしまう気がするのです。

晩年幸之助さまが心配してくださっていた 拡大というジレンマから
継続可能な経済 存続できる国の在り方に チェンジしてほしいものです。
そして 
無理のない生活基盤を いま一度家庭から
とりもどしたいと おもったのです。




最近の神社

2010-04-09 08:03:12 | むかしばなし
最近は 木の落ち葉の手入れにお金がかかるためか
樹齢の長い大木も 最近では 切り落とされることが多い
貧弱なお社だけが むき出しな氏神様も見受けられる

神社だけでなく 公園も 地方財政難から 
古い広い公園は 切り売りされたのでは と思うことがある
庭師さんも 名誉より 生き残りの金というわけなのだろうか

昔 二十年まえになるだろうか
浜松の公園の池で モリアオガエルが 観察できた
偶然でくわした蛙のあわあわ交尾に 子どもといっしょに 驚いてみた
今は どうなっているのだろうか

住吉で勉強会をしていると
ブルーの大ルリだろうか 木に留まっていた

昨日から
燕が帰ってきて そろそろ 巣づくりが始まる
巣をつくる場所が少なくなり
一軒の門に 二つの巣を並べているところもある

散歩で出会う生き物たちの生息場所は 
この十年で 本当にうしなわれつつある

嘆いてばかりいられない
地図上に 地球人みんなで 書き込みをして
野生動物たちの 生息マップをつくってみたらどうだろう
パソコン苦手な私ではできないけれど
書き込みなら協力できる

意外と 御近所の納屋で 身近なあき地で
がんばって生きてるやからが 
いるんじゃないだろうか

知っていれば ちょっと工夫して
生息地を提供できるよう
対策も考えられる もう 対策しないと 人間だらけかな

意外と 
スーパーの屋根の上で 鳴いてる野鳥に 
目を向ける人は少ないものなのだ
素敵なんだけどな

こうなったら
地図で 書き込みして アピールしてはいかがかしら
多くの野生の動物が 不自由な中 がんばって生きてることを知れば
ゴマちゃんで よろこぶ皆だから
いいこと始まるかもしれない

金持ちさんにお願いして 野生動物の生息地 
空き地で残してもらうと
きっと いい国になるんじゃないかなー


 

おねがい

2010-04-04 11:42:23 | むかしばなし
里山の生活が残っている地域で
いま 動物と農耕との折り合いがつきにくく
畑をあらされるという

もう二十年も前のことになるが
母親の実家の近所で
工場が建設され 学校が建設され
猿が畑にあらわれるようになり
狩猟されることになったことが ある

そのとき
猿の一匹が 猟師の前で 両手があったそうだ
おがみ倒すようなその姿に
 どうにも 撃ち止めることができず
猟師は猿を 逃がしてしまったという

すると
若い猿たちは 人をみると
両手をあわせるようになり あちこちの人が 拝む猿を見かけるという
そう 
笑って 曾ばあさんが 話してくれたことがある

人間も生き残るには なんでもやってみて
みのがしてもらわねば なるまいのう

植物の恵み

2010-04-02 07:12:48 | むかしばなし
いったい人間の一日の酸素必要量は
どれだけの植物で賄うことが できるんだろう
もう算出しているんだろう

それにしては
ばかばか 大きな木を切り倒し
大きな山を 切り開き
自民党の時代より急ピッチで
事が進んでいる

出来上がる
庶民の家は 30年もすれば
 ごみになってきたような 家ばかり 
自分がもっていないから ひがみかな

建築基準が地震に強いだけで
長年の耐久性を厳しくしていないせいでは
 とも思う

ぎりぎり 庭なしの くっつき長屋で
火災がおきなければいいのかもしれないが
これだけ 植物を植えないと 自然発火する
気候に なりそうな勢いだ

それも
庭木が道路にはみだせば 役所に通報されて しかられ
枯葉の掃除が大変だからと 通報されて ぎりぎりまで
街路樹は坊主に
空き地の草は 蛇がすむからと 通報されて 
持主は除草剤をまき

ところが
植物のおかげで 息をしているわけで
いまに 酸素が地球上で足りない事態に なりそうだ

ご先祖様は 
石組で 家をつくることも可能だったが
木を維持管理する必要を感じておられたから
燃えやすい木で 城を築いた
湿気の多いこの地で 人が住むには 
木の保湿性 保温性が 
重要だったことも あるだろう

そして
循環可能な世界観をイメージして 
政治を しておられたはず

松下幸之助翁も 将来は1000年さかのぼった
世界が もどってくるはずだと いわれているそうだ

それでなければ
人の遺伝子は維持できないという 感じがしていたんだろう




神社の参道

2010-03-30 06:59:12 | むかしばなし
畑を借りている人から 
菜園参画をすすめられ スコップ片手に 畝の掘り起こしをした
自分の影が土の上に落ちるのを楽しみながら
結構頑張ってしまった

コーヒーかすを たくさん入れて どうするんかなー
とか 何をどう 何処に植えると いいんだー
とか いろいろ 頭をよぎるものだ

すると どうも以前から 参道と稲田の向きが 気になっていた
商業施設のため 道路や線路が中心の 農地改革以前は
参道を中心に 稲田も畑もあったのかなー

そうしたことを考えて 畝を掘ると
自然に 畝の低い部分に 影がおちる

天照大海神様は 時をつげる鳥をたずさえ
人々の生活する向きを指示し
森を持って 災害に準備し
賽銭をもって ひもじい人を
プライドを保って 救済し
心の改善を 施されていた
ということが じわりじわりと
やってきて 涙がこぼれてきた



いろいろ 

さしば

2010-03-22 22:58:36 | むかしばなし
さしばという 鷹
もう
日本に帰ってきたのだろうか

豊橋では 9月上昇気流がおきるとき 多くの鷹があつまって
ニューギニアのほうに 旅をはじめるのだと 聞いたことがある

芭蕉の句に
鷹一つ みつけてうれし
      伊良湖崎
と うたわれている

主人が今日は 親戚で この鷹の渡りに 夢中になっていた人の
話をしてくれた

たとえ 渡りの時期をのがしても
芭蕉に共感されて 句になった 鷹がいたことになる

 



参勤交代

2010-03-20 08:01:49 | むかしばなし
徳川さまの時代
社会科の歴史の勉強で 参勤交代の話は 聞いてはいた
でも なぜ そんなことをしたのか
諸大名いじめで 戦力をそぐためのように かんじていた

でも
戦争をせず お互いを理解しあうためには
絶対 顔をつきあわせなければ 書面や聞きづてでは
誤解を招く とくに 利害がからめば 
真意を伝えることは なかなかむずかしい

参勤交代に 学ぶべきは
人の面会には 行間が あり
実際に対面して 話をはじめなければ 
ならないということなのだろう 

ダムのイワツバメ

2010-03-14 15:15:12 | むかしばなし
鳳来町にすむ
ふくろうのようなおばあちゃんが 親戚にいる

大きな昔ながらの家で
大きな畑が 家の建物から 川までつづいていて
家を磨き 食事の支度をし おやつの支度をし
朝早くから 働きつづけ 立派な家を維持していた

訪ねたとき
玄関の生け花の見事さに
いつも 涙が零れ落ちた

その伴侶が亡くなられ
葬儀に行った折
偶然行き着いたのが 宇連ダムだった

6月だったろうか

行きかうイワツバメを 眺めながら
姑と時間を潰していた
すると
姑が傍らで 話をはじめた

むかし おじいさんが 村長だったころ
水を引くために このダムの村長さんと
話し合いをしたことが あったと いっとったなー

イワツバメは しきりに飛び交って
子育てまっさかりだった

この
山奥から 田原の平野まで
しっかりとした道筋で 水路をつくり
雨水をためて生活する難儀から
キャベツを毎年全国に出荷するようになった
そうなんだ
大変な灌漑事業をしてきたからこそ
あった 田原の町
いまは 車の生産がおこなわれている


姑の父は学校の先生だった
先生より 実家の畑の仕事が優先だったという

自分の故郷 自分の家を守ることを
大切にされた人が 昔 おられての
しあわせということに なるのだろう 

東栄町の日本カモシカ

2010-03-14 14:57:16 | むかしばなし
もう十年以上もむかっし
東栄町には名古屋大学の研究施設
プラネタリウムと天体望遠鏡のある 宿泊施設があった

そこに キャンプにいけないかと
下見に行ったことがあっる

人通りのすくない でも 施設のおかげか アスファルトの道路を
一路山頂に向かって車を走らせていると

不穏な雰囲気がして 大きな羊か 犬っか

ブレーキをかけてゆっくりすすむと
歩いてくるのは 日本カモシカだった

じーっと見つめあうこと
2分ほどだったろう
思い立ったように
カモシカは 車のガードレールを飛び越えて
去って行った

なぜ
っと考えるに 初心者の君は
山に入るのは 危険だと
しれせてくれたかのようだった。

そのご
東栄町のふもとの 設楽には 何度も宿泊に行ったが
乳岩から ハイクで 山の尾根を歩くハイキングコースでさえ
何度も足がすくみ
当時 少年少女だった 私の子供たちのほうが
ずーっと逞しく おいてきぼりを くらっていた

いまも カモシカは 山で暮らしていてくれているのだろうか