楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

小さな水力発電

2013-05-23 08:52:57 | Weblog
震災で電力供給の見直しが 求められる中
今は どうなってるのだろう。 


ド素人の おばさんが 心配したところで 何も起きることはないけれど
炊事をしていて
くるくる回転するペットボトルをながめながら
こんな水車が電力を起こしてくれたら
などと いつもの妄想がはたらいた。

この多面体ペットボトルは 本当に軽々回転する。
大きな支軸も あまり必要がなさそうだし
水の当たるポイントの位置が おおざっぱでも 回転してくれる。
何か ヒントにならないかしら。

もう 東北が以前の東北に 戻れないかもしれない。
でも あたらしい東北が
 以前より もっとやさしい 逞しい人たちで
豊かになっていくことを 確信していたい。


洗い張り

2013-05-20 08:54:23 | Weblog
息子と訪れた 佐々木信綱記念館に 文机があった。
その文机は 洗い張りをするときに使う板に
幅も厚みも似ていた。
祖母の使っていた 洗い張りの板の 丁度半分のサイズにみえた。

思い起こしたのは 
祖母の洗い張りをする姿だった
夏まえに 寸法があわなくなった浴衣をすべてほどいて
夏になる前に おおきくなった私のサイズに 縫い直しをしてくれた。

当時は 小さかったし 今まで 思い出すこともなく生きてきた。

でも 文机の板は 私に語りかけてきたのだろう。

髪に 針の先を撫でつけ すべりやすくし
急いで夏までに 家族の着物を何枚も縫い直す
祖母の お針をする手を 映像で見ている自分がいた。

昔のことだから 祖母は小学校しかでていなかった。
でも 算数もできたし 縫物も 早くてあらくぬってあるのに
きくずれしなかった。

編み物も 
停電でまっくらでも ひとつも目を落とすことなく 
今では スパッツにあたる ズボン下を 一日で編みあげていた。

見よう見まねで 仕事を教わり
遊びのなかで 体験しながら  心をこめてものをつくることを
日本女性は 伝え続けてきていた。

言葉による 文字に頼る世界観とは 違っていたのではないだろうか。

姑が 御婆さんは 字が読めなかったけれども いろいろな手順や
行事の算段を よーく覚えていて
文字がかけて 文字に書いてしてしまうと お前さんたちは 忘れてしまうのではないのか。

よくいわれたという。

算数の割合が理解できていないと ニュースで子供の状況を報告していたけれど
羊羹を 家族で何度も切りわけたり お米をといで 今日のお客様の人数にあわせ
米を 窯で炊いたりすれば 
割合のイメージや 量の計算など
すぐにできるようになる。

洗い張りは もうしない人も多く
着物をお召しになっていても 五十代以上になっても
足先が開いた立ち居振る舞いで 日本の着物の美しさも 半減している。
襟足をいかした 所作も もう イメージさえ持たない。

でも
せめて 細やかさ しなやかさ 辛抱強さ 上品な心づかいは
これからの時代にも 日本のよさとして のこしていきたいと 
残してほしいと うかんだ洗い張りの祖母の姿は いっているようだ。

佐々木信綱記念館

2013-05-14 14:29:53 | Weblog

椿大神社の帰り
佐佐木信綱記念館に立ち寄りました。
いままで 全くそのきにならなかったのですが
最近 息子が勉強を始めた文学の世界の方だからと ふらりと よってみました。
丁度 空木が咲いていて 拝観料の代わりに 購入してきました。
伊勢型紙のしおりも 気に入りました。
卯の花とは 菜の花のことかと 一生勘違いするところでした。
よかった 
うのはなの 匂うがごとき 精錬の こころをもちて わが道を生く

鯛のふりかけ

2013-05-14 14:20:20 | Weblog
いつも 男たちの魚の食べ方は 食べ残しがいっぱい。
先日 スーパーの閉店前にゲットした 半額の鯛
時期の鯛なのに どうせ また 二束三文か。
うーん と愚痴をこぼしたいところです。

でも きらーん
いい方法を思いつきました。

鯛は 塩焼きにして一度テーブルに
次に 煮物のだしをとるのに使用して
骨がややこしくなる前に 掬いあげます。

あとは じっくり身をはがして 収集。
鍋で からいりすると 薄いピンクのでんぶになりました。

お砂糖は 加えず 少々の塩と 青のりをまぜて
高級ふりかけの 完成です。

この方法 あぶらの少ない 高たんぱくのお魚なら
応用できそうです。

双方 ストレスフリーで お得な一品でした。