楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

蒲郡の浜辺の文学記念館

2013-10-28 20:08:07 | Weblog
蒲郡に用事があって 出かけた帰りに ふと立ち寄った。

竹嶌八百富神社を参拝して空を見上げると トンビが10羽以上
ゆうゆうと旋回していた。

秋の青空に 舞うその姿は 雄氏たちの魂が宿っているかのようだった。
まったりとした湖のような海に カモメたちもいるようだったが
トンビの体は別格だ。 羽先までピンと羽を広げ 
目標にむかって 首を動かすと しっかりした肉体が舵を取る。
その体は 青い空の上で寝ているかのように
くつろいでいた。

トンビは それぞれ文学記念館の上で 輪を何度も描いて 
気流に乗る練習なのか しばらく繰り返したのち
 海にむかって 列をなして飛んでいた。

 トンビに心奪われていたけれど
 せっかくだからと
文学記念館に入った。
文豪たちの蒲郡を訪れたときの記述を 見ることができた。

意外な人たちが 竹島を愛で 蒲郡の町を気に入ってくれていたことが うれしかった。
昔の祖父のいた家に帰ったようで 少女にかえった気持ちだった。

文学や書物の仕事は 体が冷える。
温暖な気候で 快くすごせる土地だと ここでものを書くと良いと
文筆家たちも 感じとっていたのだろうか。

 

国語嫌い英語嫌い

2013-10-25 07:50:55 | Weblog
実は私 子供のころ 春に国語の教科書を手に入れると
すべて読んでしまうほど 本を読むのは好きだった。
文章を書くことも好きで 恥ずかしげもなく詩を書くこともあった。

でも 国語の勉強は 何故するのか理解できなかったし
言語をひもとく世界が どんな世界観なのか 全く出会えずだった。

英語は 父親が教師で 教えることを仕事としていたのに
覚えることばかり 決まり事を守ることばかりが気になって
喜びのない言語に 嫌悪感をいだいていた。
目の前の 本が 本だ などと
説明することはまずないし 
ピリオド一つ ついている いないで ○×などとふざけた世界は 大嫌いだった。

それで私は苦手な数学や化学を 自分の心を守るため
苦手だから できなくても平気だ
ということで 大学まで勉強することにした。

ところが 婆になってみると 
いろいろなことを総合判断するには まんべんなく勉強する必要ができてくる。
ということが わかってきた。
ラジオ講座で言語を勉強することが 何より楽しいし 
フランス語を聞く時間を設けただけで 英語の聞き取りがまとまった。

小学校二年生から 英語を始めることは たのしい時間が増えて いいのかもしれない。
ても その基礎理念が
人との繋がりをもつツールであることが 大切だと思う。
むしろ 手話に近い教室で 英語の音に慣れる時間にしてあげてほしい。

バナナや トマトを 英語で発音したり 覚えることは いつでもできるようになる。
ところが いくら単語を覚えていても 英語の本が翻訳できても 
いざ イギリス人に話をしようとしたとき 
相手の英語は聞き取れない 話を英語で組み立てられない。
まとめて聞く 英語の順で考える訓練が 意外にハードルが高いのだと思う。

判断するのに必要な ポイントの語を聞く用意をしておらず 聞き逃すのだと思う。
会話に必要な 判断の決め手になる語を聞いていなくて
 会話が 展開できないということかもしれない。
それで 英語の授業は ずーっと英語が流れていて
 判断のポイントになる語を 聞き取る訓練をしておくと 
聞き取りも 話も できるようになるかもしれない。

国語は やはり相手が 自分のことを 見たとおりの感覚で理解してくれるように
話が組み立てられ 説明ができる必要があって 勉強する。
そのために必要な 文法だったり 語のよみあわせの勉強だとおもうのです。
ところが 文法のための解釈だったり 実際に話している言葉を読み合わせる機会がなく
授業の教材に終始した 読み合わせに終始していないでしょうか。

実際に手紙を書いたことがないのに 手紙の勉強をしても 空論です。
友達との会話が できていないのに 修正してくれる人がいなかったり
していないでしょうか。

日本の歴史の中で 国語は常に変化してきていて
時代 時代で 全く違う語もあれば 今も昔も 同じように使う語もあるんですね。

先人の書いたものくらいは せっかく国語を勉強するのですから
少しは読める 古い書物もひもとける そんな世界を見せてもらっていたら
言語の勉強も 若いころから していたかも知れません。
ところが 源氏や 李白の詩も ちょっとばかりを 羅列して 
古典でひとくくりしてしまっているので
理解不能です。
一部は 狭いところをじっくりやらないと 世界観がつかめません。

で これが 婆ばの 国語嫌い 英語嫌いの 言いわけでした。 

おい。
 です ますで 書いたり やめたり
文法の勉強が やはり かけてるぞー。

  

小さな穴が棲みか

2013-10-18 23:08:30 | Weblog
納豆菌でお掃除も お洗濯も 大助かり。
汚れてきたおふろマット。
納豆を食べたお茶碗に お水を入れ ぬるぬるを増やします。
そのお水を お雑巾や 紙タオルなどに含ませ マットを拭きます。
お風呂の蓋もふきます。
毎日繰り返すと 取れなかったパッキングの黒ずみが すっかりきれいに。

納豆菌は 木の細胞や 気穴がお好きなのでしょうね。
おふろマットの小さな気泡の穴に 
陣取って 生活をしてくれるのでしょうかね。

なんとも ハッピーで うれしい限りです。
しかも 三十年以上たった古いお風呂場自体が 
きれいになってきている。

洗濯機も すっかり黒カビさんとはお別れしました。

善玉菌運用

2013-10-12 23:53:29 | Weblog
最近のお気に入りが 納豆菌お洗濯。
はじめは あやまちで 納豆の空パックを洗濯機にいれたまま 
洗濯をしたのです。大変だ 臭くなったぞーと 思ったのですが

蓋をあけると いつも掃除するフィルターがどうも きれいになってる。

で 次回は わざと 納豆の空パックをほうりこんでお洗濯。

どうも ふんわり仕上がっている気が さらに 色柄もくっきりかな。

おそるおそる 世に聞けば 商品として成立しているとのこと。

うーーん これは もっと早く気付いていたら 
アトーピーの人の改善に寄与していたかもしれません。

洗濯機の洗浄は 漂白剤の成分では無理です。こびりついたものには ききませんでした。
納豆菌は 繁殖するようです。納豆をたべたあとの 食器をすすいだ ぬるぬるを
お風呂場の かびてしまったパッキングにぬったところ 白くなってきました。
じょじょに 使用をを重ねるごと きれいになってきます。

黒カビをとるには
納豆菌がよいようですし 膿瘍の予防にもなってくれるはず。

で 最近 我が家の洗濯機は 納豆菌運用で さっぱりふわふわです。
いがいに 臭いは残りません。



ボールペンの復活

2013-10-01 12:14:39 | Weblog
どうも洗濯ものに入っていたり 鞄の強い揺れで
空気を入れてしまって 使えなくなったボールペン

インクの出口と反対側を 紐で結び
誰もいないところで 自分に飛ぶことを避けるようにして
ぐるぐるっと 振り回したら 復活しました。

これで 捨てなければならないボールペンが 減りそうです。

夏であることも あらかじめ とんとん空気を動かしておいたことも
考慮に入れたほうがよいでしょうが ちょっとケチで 
ちょっとうれしい 復活ボールペン芯でした。

昨日は鰯雲を観ることができ
モズが啼き 鳥たちも冬支度をはじめるようです。