楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

大掃除

2017-12-29 22:40:20 | 日本文化
昔は大みそかまで 父親も加わって家の大掃除をこの師走にしたものでした。
畳を揚げて 石灰を蒔き 新聞紙を畳板に敷いて 干し揚げた畳をもどしました。
箪笥はひっくりかえして 点検し敷き紙を交換し
さらに 天気の良い日に 布団の打ち直し 日向ぼっこしながら 足を折り返す作業を鉄だったものです。
 さらに 着物の洗い張りなど
寒い日に カビることを避け 虫が潜むこの時期に たたきだすのでした。
そんな 大掃除も 今ではほとんど 必要がありません。

でも ゴキブリが夏這ったお宅は 今がチャンスです。
シンクの下の排水口のキャップがないとか きゃっぷが 外れていると
来季の夏に苦しむことになります。
締め切った扉 しまい忘れたビニール袋 しまいっぱなしの道具
仏壇だとて 手入れやお香を焚かなくなると ゴキブリさんは
来季の子孫を仕込んでいます。

シンプルで きれい好きだった日本の暮らし方が
なぜか 薬品と洗剤に依存して いやはやどうしたものかと
ご先祖様に言われかねない状況です。
そして 洗い張りをした着物 一日で縫いなおしをして仕上げ 綿入れの半纏も
家族銘々一枚ずつ 今期で仕上げていたのですから 
自分には 到底想像の域を超えています。
とにかく 生活に時間をかけ 大切に美しくいきていた
日本のご先祖さまでした。

90歳の人々

2017-12-25 23:25:50 | むかしばなし
60歳ともなれば 昔は少し腰が曲がり
70歳になると 寝込む人もおおくなり 
母たちが介護をした時代は食事の量が抑制が効かなくなったり徘徊を始めた老人を
 家の一部屋に閉じ込めたり 
今のように 紙おむつを利用することはできず 
近所の手前 昼間の洗濯場の使用ははばかられ
夜中に汚れ物を洗ったりしたものでした。

それからすれば 介護環境は格段にすすみ 夢のような状況なのに
介護施設の利用をできれば避けたいのが 現代の90歳代の人の
心のうちらしいです。
自分のことを真剣に自分でして あるひ急変して亡くなる人も多くなっているようですが
介護施設で預かっている人の話では90歳はまだ若いという話も聞きます。

介護施設に入所したくない90歳代に限って 自分のこだわりが強く 
なかなか若い者の説得を聞いてもらえないところがあるようです。
現代の60歳代は 目下自分の衰えもさることながら
生き延びる力にたけた90歳代の攻略に四苦八苦している人も多いのかもしれません。

若くても 明日は 生きられるかどうか 本当は約束されたものではないのです。
でも 若い人に介護を期待されることは事実です。

60歳になった今日をとにかく心静かに過ごしたい。
さらに 自分の人生を大切にして 遠慮なく自分のペースで過ごしてゆくつもりでいるのですが かなうのでしょうか。
 困った状況は家族である以上 手を差し伸べて 介護もしてゆくのですが
 現代に積み上げてくれた社会の仕組みを利用させてもらって 
お互いに傷つけあうことのない毎日をすごすことを目指そうと考えています。

年を取ると自分の置かれた状況を 相手の立場で考えることができなくなるものです。
自分が息をしていることでせいいっぱいなら
 だれしも 自分のペースを守ろうとするものです。
さらに 老齢になって脳の抑制が効かなくなるものです。
 遠慮や配慮ができにくくなるものですから
思ったとおりしてもらいたいことも 自分中心ですし
はきだすセリフも 若き日にもどって以前から思っていたままになってしまいがちです。
これが 結構おつきあいするに堪えられなくなるんですね。

家族でないほうが 慣れない人のほうが 介護者の人格が保てたりするので
いまでは 看護もローテーションが頻繁になり 
ナイフ ハサミは病院に持ち込めなくなっているようです。

私もどうどこまで つきあえるかわかりませんが
表現のしかたで 状況は違って見えたりするものです。
姑と よい表現を思いつく距離を保ちたいですし 
神仏のご加護もお借りして 姑との格闘に突入することになりそうです。
昔の介護に比べれば なんくるないさで。
まずは 老夫婦がすごした台所の清掃に格闘しています。





フランス語

2017-12-22 23:05:35 | お奨めの本
まったく読めない話せないという状態でフランスに一日滞在した旅行以来
気になって ラジオ講座ではじめたフランス語の学習です。
三か月はテキストと自分で作るノートでみっちりラジオとテレビで頑張ったのですが
その状態の維持はできませんでした。
でも 日々車の運転で時間が合えば 語学講座を聞くのが習慣で どうやら自分は音楽より
語学講座が聞きたいようなのです。

そうして過ごすこともう5年ほどになるでしょうか
スマホというワクワクアイテムを手に入れ グーグル翻訳を使って楽しみたいと思うようになりました。スマホを買ってもなかなか使いこなせなかったのですが 持っているだけで
慣れてくるもので やっと 音声でフランス語訳をしてもらえるようになりました。音は変になりますがゆっくりバージョンが結構助かっています。

さらに 昨日本屋さんで うれしい本を見つけました。
クロスメディアパブリッシングの発行で フランス式「自分らしくはたらく手帳」という
演題付き日記書き込み形式の生き方本です。
やみくもに会話を想定して 会話文をならべたノートをつくったりしていたのですが
この本にガイドされて 自分の考えをまとめる作業が面白くなってきました。
目が老いて見えにくくても 日本語で話せば かなりの正確さでフランス語の音声をスマホで音声翻訳してもらえるのですから フランス人の教師を雇ったようなものです。
さらに 辞書引きという作業なしに考えを文章にできるので
考えもまとまりやすいです。

これなら どんな言語でも自分で勉強でき
さらに フランス人の素敵な一面も勉強できるとあって
わくわくし始めています。

姑の気欝な否定的な発言が 頭に渦巻いていましたが 今日は吹き飛んでいます。
勉強したことは 裏切らないですね。たとえ自己満足の類であってもね。
藤田康次郎先生 ありがとうございます。
 



じゃこと紫蘇

2017-12-20 22:24:12 | 日本文化
以前は麦のシリアルを朝食にしていたのだけれど
最近は高齢になったせいか 血糖値がまた上昇傾向になっていました。
先日くすりをもらう薬局をかえたところ ちょっとしたヒントがきけました。

閉経期を過ぎて骨の形成に関与する
働きが衰えることにより カルシュウムのコントロールがうまくいかなくなることが
血糖のコントロールに影響するとかいう話でした。
うまく説明できないので さらに勉強することとして
とりあえず 対策を考えました。

朝食にじゃこに酢をかけてひたし 紫蘇に少量の黒糖をまぶしてあく抜きをします。
紫蘇の黒い灰汁を絞ったものと 酢じゃこをあわせます。
それを ご飯にまぜ 朝の息子の弁当つくりの時間放置してなじませます。
これで 朝から味噌汁と寿司のようなおいしい飯の食事としたんです。
夜はヨーグルトにはやりの玉ねぎ和えをたべます。
すると このところ
上昇し始めていた体重と体のだるさがとれてきました。

血糖値があがってくると さらに食べたくなる 食べると眠くなる
さらに朝こむら返りを起こすと 結構自覚症状はあるものなんです。

カルシュウム剤で安易に解決しそうな話ですが あくまでも
自然な食事でまかないたいし 吸収するかどうかわかりませんが
無理なカルシュウム剤で腎機能が落ちれば もともこもありません。
糖質を制限といって穀物をとらないと どうも肺の機能が悪くなる人が多い気がしているのです。裏付ける根拠はありませんがね。

でも 90歳をこえて元気だった義両親の朝食にかならずじゃこ煮干しがあったので
多分効果があると信じています。

そうそう 紫蘇を塩でもんで灰汁抜くしていたんですが
少量の砂糖で揉むほうが色も良く じゃことの相性も良いようです。

やぎさんの除草

2017-12-14 23:21:26 | 日本文化
今年の冬にはいいって 稲刈りがすんだ豊橋市の田んぼで やぎさんが 何頭か草を食んでいます。私にとっては親代わりだったやぎさん。なつかしく いとおしく 無表情なやぎんさん。この のんびり屋さんが あーこれが私の母だと感じたのでした。

私がつきあっていたヤギは 畑の土手につながれて 子ヤギといっしょでした。
やぎの守で日がなままごとあそびをして いちにち過ごしていた記憶が映像であるんです。

草をはみ 肥料を施してくれ 乳もチーズにすればフロマージュになるわけですから 究極のアイテムですよ。
でも 広い場所でないと 匂うかもしれませんね。

祖父がイタリアのようなチーズを切って食べていましたが 牛乳で作ったのか ヤギで作ったのか はたまた 購入していたのか
これまた 不思議な食べ物として 納豆とともに 映像で記憶しているんです。

子供のころの記憶は 本当にくっきりと
畔の匂いから そよぐ風までも 感覚と映像でよみがえるので 不思議です。

だからこそ 子供に触れさせる環境は 本物であることが大切なのではないかと
子育て期に思ったりしてきたものです。


英語教育

2017-12-10 20:03:54 | 日本文化
父は生前英語教師をしてました。
いつも英語の教材をテープに録音したり 松本亨の著書を購入して 英語の勉強は好きなようでした。 
同僚から辞書とよばれるほど 国語のことばも 英語の単語も運用も 自身の勉強を怠らない人ではありました。
ところが 娘の私には まったく教えることはなく いつもテレビにむかって
大丈夫だーが始まったぞと 勉強中であっても 共にお笑い番組を見るよう勧めていたのです。べんきょうとは 強いて勉めるべき つらいものだとも言ってはいましたが
音を聞いて覚えるのがよいと とかく聞くように言われても 実際自分の勉強はもっぱら辞書引きでした。
従って 英語の成績は 他のどの科目と比較しても 体育の次に芳しくなかった。

さらに時間をかけて英語の辞書を 引くのが面倒で 父に聞きかじっては安易に答えを求めていたせいかもしれない。

勉強家の父でも 瞬時に会話を展開しようとすると 選びすぎていたり 考えすぎていたりして 海外旅行では苦心していたという話を母から聞いたことがあるのです。
聞いて話すをくりかえせ とにかく聞くことだ そのあと訓練しないといけないとも
言っていたように思うのです。 

私には弟があるのだけれども 彼はほぼほぼ 会話に困らないらしい。
私と英語で話したことはないので 実際のところは知らないのだけれど
とにかく 最初の海外出張で通訳が不在というハプニングに襲われ なんとかやり切ったという話だった。
大学を在学中に英語のトレーニングに通っていた成果だったかもしれない。

さらに子供の時から音楽好きで 音に感度がよいことも 私との違いかもしれません。

苦手だった英語で子供が苦しまないようにと 父の教えを子育てには生かそうと 毎日
英語の教材のお話を 夜の本の読み聞かせ時間に テープをかけて
わかっても わからなくても 絵本を眺めながら 英語の音を聞いてもらったものです。
その成果は 多分 二人の子供 ともに聞き取り力には貢献しているようです。

さらに瞬時に反射的に言葉が出るようにするには 決まり文句をパターンで出るようにすることが必要なのに 日本では とんでもない設定の教科書で ありえない会話文の紹介だったような気がしています。私はその癖が いまだにぬけられない。
今では そんな陳腐な教材はないと思っていましたが
今日のNHKで紹介された教材を見た限りでは ショックを感じざるを得ませんでした。

頭の中で どんな順序で何を話そうとするのか その話をする場面でどんな言葉を選択するのか 英語は聞き取れるけれども いまだに 自分で話を組み立てていけない。
そんな英語教育を 日本語も 論理力も育てないで ありえない架空の英語会話に時間をかけてゆくことに ちょっと落胆しています。

でも 公共の場で 英語の会話を自由に楽しむ人は 多く見られるようになったので
それで いいのかもしれないとも 思っています。


たてつづく葬儀

2017-12-05 20:29:48 | むかしばなし
戦時中を生き抜てきた人たちの人生が終焉を迎えてきています。
我が家でも 叔母さん 義父 叔父さんと 今日で三人が亡くなりました。
見事に 長病みするでなく ことりと。
戦時という 生きるか死ぬかの瀬戸際を乗り越えていきてきた後を
夢のような世界に ひょうひょうと毎日をすごして 老後も
たゆまず日々を大切にし 私には とても素敵なプレゼントをもらった気がしています。

毎日 庭を掃き 部屋を掃除し 食事を作り 家屋、衣服のほころびを直し
お金儲けにならずとも 怠りなくすごしていた姿は これからの
老いに向かう私にとって 安堵する姿です。

それは 死んでいった家族 友への 真摯な姿勢だったと
感じ入っています。
各国のお偉い方も ぜひぜひ真摯に日々の暮らしの続く生活を
大切に考えてほしいものです。 


達観視

2017-12-01 20:24:43 | 日本文化
人生行き詰まったときは 考えないことに徹したほうが
良いアイデアが浮かびやすくなるものです。
自分は悩みだしたら うかぶ想念を ことごとく打ち消してくれる事象を探します。
さらに 人付き合いで いやなことがおきたときは
自分の言い分を 紙面に書き出したりします。
十分書きなぐって 吐き出したところで 食事をして寝ます。
 一日置いて 誰かの投稿文として 読み返してみます。

すると えーっと 見えてくる景色が変わってきたりします。
何年もして見つかることもあれば 誰かの見え方を聞いたことで
はっとしたりもします。

ポイントは 悩みの種の現場を なるべく離れることかもしれません。

コンビニに買い物に出たり 景色を眺めに散歩に出たり
トイレに行ったり 歩き回ってみたり 同じ場所にいることを避けます。

こうして 離婚の危機や 姑とのいさかいや 職場の行き詰まりを
乗り越えてこられているような気がします。

神社にでかけて お願いすることより 木々をながめ 鳥の声を聴き
素直な自分をまっすぐに立て直して 助かったこともしばしばです。

おもいきり高価な本で きれいなものを眺めたりして効果があったこともあります。

そして 何食わぬ顔で 次の日を いつものように過ごしてきたものです。

三十年前 結婚して子供が授かった時 
あまりに子供に関心のない伴侶に ショックを受けたものです。
老夫婦と自分たちのギャップや考えの違いに 言葉もなかったこともしばしばでした。
戦時中を軍国主義でいきてきたのですから 民主教育と称した学校に通った世代とは
根本 真逆なわけです。

ところが 毎日を 良かれと思って行動し 自分の思うところで日々を積み重ねれば
認めてもらえることも 増えてきますし 自分も相手も壊れない距離が
互いにきまってくるものなのですね。

母たちが格闘してきた過酷を極めた介護から 自分がその苦労の恩恵を受けて
距離を持つことのできる助成のある介護が目指せる幸せを
かみしめています。