楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

藤の花

2018-04-27 22:28:24 | 日本文化

母の畑の傍に ちいさな公園があります。その公園は ご近所でよく整備されているんです。

その公園の雑木林におおきな藤の木があり 花がみごとに咲いていました。

一花が長いわけではありませんが 滝のように短い花がさわさわと下りていて 木の高さは3メートルほどになり 立ち上がっています。胸がすくような姿です。ご機嫌な鶯の声もしていました。

その姿から 母は思い出したのか 岡崎城の藤を見に行こうといいだしました。 二人で小旅行しました。

岡崎城公園の龍城神社の前に 古い木の藤の花が四本ほど枝をはり 1センチほどの小さな花を懸命につけ 長くしだれていました。良い香りもしました。

でも藤の花も年を取ってしまったか。母はそうつぶやいで ちょっと残念そうでした。

昔は身の丈ほども花をつけ 一花もおおきく それはきれいだったのだとか。

時のたったことを実感してしまったようです。

蒲郡の我が家の裏には 藤がたくさん生えています。

でも切り刻んでしまったせいか 花をつけなくなってしまいました。

自然に任せて育った木が やはり一番というわけでしょう。

それも大事に残してこそです。

河川の工事や公園のメンテナンスも地方によって様々ですが

牛やヤギが草を食べたり 川辺の桜につながれて 足を洗ってもらったりしている風景は もう見られなくなりました。公園も バリカンガリのぶつ切り頭の木が増えています。

セメンで護岸をすると丈夫なように感じるでしょうが 実は30年もすると 中は空洞だったり ぱさぱさの土になっていて 底が抜けるようにいたむんです。

 濁流は早まるし 落ちたら最後カエルでもおぼれるしです。 草ぼうぼうを嫌う衛生管理のうるさい今どきは セメンがいいんですかね。水の行き場がないです。

まして 川底がセメンなら その川底に土砂がたまるでしょう。 何度も底をほり替えすんですかね。

 

自然と共に 自然をいかしてきた もう少し先人の知恵を読み解いた方法がありそうなものです。

公園の維持管理が 文化財の公園の破壊につながっていやしないかと 二人で嘆きながらも 実は幸せな婆話をして岐路につきました。

 

 

 

 

 

 


輪をもって貴しとなす

2018-04-23 23:24:34 | 日本文化

自分の感覚は自分でなければわからないのですが。

家族であっても 親子であっても 倫理観も違えば世界観も近いことはあれども

結構かけ離れた感覚をもっているものです。

共有する価値観がそろうことも 疎通をすることもむずかしいことがおおいものです。娘も息子も 想像はしていますが 把握できたことはありません。

でも 互いに輪をもって貴しとすることにきめていると 折れたり譲ったりフォローにまわったりして家族一緒のかじ取りができるようになるものです。

譲って譲歩しすぎていたり フォローしすぎてあたりまえになりすぎていたりすれば 破綻して輪はきれてしまいます。

時として 輪がきれそうでないか 自分の言動や行動を 達観してみないといけませんね。

もう90歳になる老人である姑に 今更ながら どうにも腹が立つ自分を眺めると 大人げないと思う一方

売り言葉に、買い言葉は思いつかず だからといって戦わず黙して毎日が送れそうにないことを想像すると 気欝になります。

動ける限りお世話せず 現状維持で すこしは間隔の近い親子で 頑張っていただきたいと ただいまは逃げ口上です。

夫婦で 理解をふかめたり 決裂したりして 長年すごしてきても

年齢を重ねれば さらなる難局に当たることが多いものです。

自分の感覚を超えて 輪を重んじてくれない家族がいるとき より感覚の近い人が案内人になるほかありませんね。

自分が姑なら 息子たちが元気でいてくれて 自分で歩けて 食事ができれば にこやかに 花をめで 鳥や虫にあそんでもらって 日がな暮らしたいと思うんですがね。

自分のしてほしいことと 嫁への恨みと批判の嵐が 姑を襲っておいでの様です。

 批判や指摘は上手にバランスをとってしないと 輪は壊れてしまうものです。

いやはや姑の 批判や指摘を この年で かわす元気もないし 自分の心も どうバランスを取ったらよいのか。そのために 社会で仕組みができてきたのに 姑本人が

嫁にやらせたい やるのが当然と頑張られると 機能しないんですよね。

自分の感覚と違う姑という存在は 本当に勉強になります。


ガマばあばの庭

2018-04-21 22:52:26 | 菜園

手首の骨折で庭の手入れもままなりませんが たくさんの草や花が咲き 植物は仲良く草と共存しています。今年の第一位は菫です。昨年は蛇苺でした。

どこからか 鳥に桑の木が連れてこられて 今青い実がつき始めています。

枇杷の木も四年目にはいって大きな葉がつきはじめました。これこまるかなあ。

とにかく かわるがわる訪れる動物訪問者を歓迎してます。

フウセントウワタが毎年芽を出すのですが 今年は古い株が頭だけ葉を出しています。

去年の房が残っていて黒くなってるので取ろうとすると 長細いてんとう虫が列をなして蠢いていました。アブラムシに消毒しなくても花々が襲われなくなるので 我が家には貴重な虫です。

見苦しいとご近所に嫌われるかもしれませんが 少し残すことにしました。

カマキリ君はまだ卵の中です。テラスの手すりに束子を張り付けたような陣地が設けられています。彼らも 上客の仲間です。

今日は たねまきポットで 先月の種まきしたピーマン、茄子が発芽したので ゴーヤ スイカの古い種をまきました。苗で購入してばかりでは家計にひびくので 種まきはお楽しみです。

そこにやってきたのは ハト。 うーん見てるかー。網をかけておかないと 豆やトウモロコシは消え失せます。で テラスの下に面倒ですがしまっています。

ハトは 玉ねぎは嫌いだそうで 枝豆は玉ねぎ収穫の穴に種まきしています。

例年通り 今年もオンブバッタが挨拶に来ました。今年は寒い日が続いたので プランパーゴなど 枯れた枝が目立つのですが どこですごすのか オンブバッタはやってきました。わざわざ殺されるかもしれない人間の前に現れるのです。不思議です。畑のカエルもそうなのですが 見に来るらしいのです。

そうそうちょっと病気になってしまったかもしれない黒猫さん

そろりそろりとやってきて 抜き足差し足でさって行きました。すまなそうに去るのが彼女の流儀の様です。

裏庭のピンクのオダマキが今最高潮です。ギボウシも元気です。

草取りできずでしたが いつのまにか手を加えなくても肥料も消毒もなしで 購入した切バラの刺し芽も 場を得て我が家で すごしてくれるようになったんです。

これも 燕やセキレイ すずめやヤマガラ 蝶や虫たちのおかげなんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


手首の骨折 リハビリ

2018-04-20 23:52:16 | Weblog

もうそろそろ手首部分が動いてほしいのですが なかなかです。

手首部分で猫背のように丸くなっていて何とも後ろに反ってくれません。

 

リハビリの理学療法士さんに 固定する金具が邪魔をすることがあると小耳にはさんだので ちょっと乱暴の様だけれども 手の平を引き上げてみることを決意しました。

いくら 反らせても手のひらを机の上に置くこともままならないようでは 困るので

そこしづつ 痛みがないことを確認しながら 左右に振らせながら じょじょに引きました。

 

すると 一気に猫背少し改善です。

さらにはじめて 手の甲側の手首に大量の垢が発生しました。

まだ 猫背ではありますが 異様さはなくなり一歩前進です。

後ろに5ミリ反らなかった手首が 2センチ後ろに反るようになりました。

 

金具が筋肉の動きを邪魔することもあるそうなのです。

 一か月経過していれば 挑戦あるのみです。

何事も よく観察して 押してもだめなら引いてみなも やくだったようです。

 

肘のあたりから指が動かせているなどと この年になるまで意識したことはありませんでした。手首を超えて指まで 筋肉がとどいているんですかねえ。

90歳になる母が 何かをつかむことができないと嘆きますが 小さな細い筋肉のはずですから 無理もありません。

あらゆるところを使い続けていないと 衰えることしきりなのだと理解がすすみました。

 

 

 

 

 


今年の春

2018-04-18 23:37:42 | むかしばなし

今年の春は もう初夏といっしょになっているようです。

クリスマスローズが咲いているかと思えば

五月の連休あたりに咲くサツキが咲き始めました。

いまだに チュウリップも咲いています。あまりに 多くの花が競うように咲くので

いよいよ地球の危機がやってくるのではなんて 妄想してしまっています。

花はちょっといじめられるほうが 良く咲きます。

野菜でも はじめの初生り物は早く収穫すると 多くの実がつくものです。

 

春になると 決まって食べたくなるのが ウドです。

生でスライスしたものを 父がシャキシャキ音を立てて食べるのを見て

自分も楽しくなっていたものです。

大人になって 富山出身の人から だしで煮て食べることを教わり

ほとんど 捨てるところなく味わえるようになり ほろ苦い春の味を堪能します。

 

 今年は カラスよりトンビのほうが優勢です。環境が変化しているせいでしょうか。

多くのトンビが棲んでくれている蒲郡ですが 今工事が進んでいます。雑木林ができてきていた埋立地が 建造物に変えられていく様は 私には なんとさみしいことか。

以前稲沢市でも 水路がが道路のようにセメンになり カメも鯉も カモたちも死んだり 棲めなくなったりしたことを思い起こさせます。

昔 62歳の私が小学一年生の遠足の時は 丸山公園だったラグナシアのあたりにやってきて 岩の磯で ウミウシや イソギンチャクで遊んだものです。

温暖化で長い暑い夏なのに 木々のない炎天下で 何をして遊んでもつまらないと思うけどなあ。なんて 年寄りだからでしょうかね。

お金をかけて三十年後にはごみになる建物をたてるより とんびがくらせる環境を残すほうが 価値が高いとおもうんだけど 建設業生活がかかった税金の行き先は本当にやっかいです。

 

 

 


魚の頭

2018-04-17 23:30:16 | 調理

手首の骨折以来始めたのが 魚のあらの購入です。

少々時間がたったものなら 200円台で高級魚でも購入できるうえ 骨元気にしたい私の味方です。特に目玉や頭が入ったものを 選びます。おいしい魚を売るスーパーでは パックにしてくれていることがおおいんです。

調理

湯をわかして あらをはなちます。冷めるのを待って スープと残渣に分けます。

スープは 大根やキャベツ 今 初物の筍 香のよいきのこなどを 煮るのに使います。昆布などいれれば おいしく飲めます。具沢山の汁ものにつかえます。ぐらぐら煮だしていないので 苦みや いやみが なく おいしい出汁になっています。

まだまだ魚のあらの残渣に 身がついていれば ほぐしてオリーブオイルでいためます。

ビザのシーズニングなどくわえれば サラダにぴったりです。

 

残った残渣 骨や皮 目玉はひたひたまで 醤油を少しいれた水でゆでます。ぐらぐら5分ほど煮たら酢をひたひたまで入れガラス容器で冷蔵します。

冷蔵後 酢などの汁がプルンプルンの琥珀色のゼリーになったら スプーンでかきとります。さすがに この残渣は畑のコンポストにいれて肥料にします。

プルプルゼリーの味を確かめ クルミとかアーモンドなどのナッツ類 パセリやセロリなどの香草を加え ミルで攪拌して ドレッシングにします。この骨元気ドレッシングで もりもりの春の野菜をいただきます。

実は この冬 あまりに何度も あらを購入しては大根の煮物にしていたら 息子にきらわれたのです。魚臭い きもいと。家族に懲りられないよう もっと臭み抜きしておくべきでした。

匂い嫌いの息子も いまのところ このドレッシングが 魚のあら出身であることは ばれていません。

意外に臭みなく おいしいんです。魚の頭の酢漬け。きもちわるいかなあ。。

 

 

 

 


登喜子姉さん

2018-04-12 16:37:33 | むかしばなし

最近おもいだしておきたいのは 姉さんの死と政治は とても関連があったということです。

昭和20年代は 貧困と民主主義への戸惑いの時代だったかもしれないとうことです。

父は戦後兵役をとかれ 親元にかえって トヨタに就職したそうですが続かず 英語の教師になりました。当時 結婚しても 給与は安く毎日の食事が満足にできなかったそうです。我が家だけでなく どの家庭も 貧困だったはずです。

そんな時代にうまれた姉は 利発で 夕食時間には 尋ねて質問にやってきた生徒に

お兄ちゃん ご飯を炊く煙が出てきたから おかえりと 帰宅するよう促したそうです。

自分の家族の食事が減るからです。

そんな状況下 母が私を出産するとすぐに肋膜炎をおこし 実家で生死をさまよったそうです。父は姉を最初は学校に連れ歩き その後耐えかねて両親にあずけ働いたようですが 大変だったろうとおもいます。

姉を守るこころのゆとりは 誰ももちあわせていなかったはずです。

 5歳で赤痢にかかり やっとなおって学校に入学しても

わずか夏休みまでの命でした。

両親は岡崎に小さな新居をかまえていたのですが 急に祖父の家ではなく 新居に帰りたいと言い出したそうです。その新居に帰ることができた日の夜 話ができなくなり 高熱で受診したら日本脳炎であることが判明し わずか三日で亡くなったそうです。

私が姉の死後四年たって 小学校に入学すると 決まって先生たちが私を 姉の名でときちゃんとよびました。今でも 姉の同級生は ときちゃんを覚えているそうです。三羽烏といわれるやんちゃな可愛い一年生のひとりだったそうです。

このちいさな子供の死は 戦争のあと 貧困とたたかわねばならなかったことを教えてくれています。

利権を奪い合う悪行の仕置きを将来をになう子供がうけることを 教えてくれています。 あらゆる手段で利益を求める必要が 本当に必要なのでしょうか。

 欲しがりません勝つまでは そう旗を振って 餓死をすること明白で戦争しつづけた原因を いまこの時代につきとめて 本当の勇気とは 将来の子供たちのために持つべきです。

英語を話すは非国民国賊 そんな恥ずかしい常識が 闊歩していた日本中で

良しとしていたことを 忘れず 恥ずべきは 偽りを正せぬことにありと

肝に銘じねばなりません。

 

姉の死は その後の家族に 死はいつやって来るやもしれないことを 教えてくれます。そして 生き延びられるのは 今を大切に 本当のことを大事にする人と

幸せを願ってくらすべきです。 本当のことを探して国を運営しないと まわりまわって自分の将来に災いをもたらすということです。

 

 

 

 


手首の骨折 リハビリ

2018-04-11 00:06:05 | Weblog

手首を骨折して 金属での固定手術をうけて 二か月経過しました。

あいかわらずのようですが じりじりと少しずつ改善しています。

骨はかなり再生が進み 時折の少しつるような感じのほかは ずきじゅきしたりしなくなりました。

でも 動かし続けていないとてのひらはこわばり 猫背になった手首は机の上に手を置くことを許してくれません。長い経過に少々うんざりです。

先日草取りをしたところ 良いはずの左手が悲鳴を上げ

 

 人差し指と中指の爪が割れまっした。げー まずいと 作業撤退です。

爪切りの苦労を作業療法士のかたに打ち明けました。

すると テーブルに爪切りを固定するとよいとのことでした。なんでも話してみるものです。 うーんそうかと 刃を少しテーブルからだして しっかりテープで固定すると切りやすいです。

 

手首の甲がわに生えている産毛が 濃くなっていると話すと よくあるというんです。体は命令しなくても 守ろうとして毛を立てているんですよ。けなげですよね。

発毛って可能なんですね。

 

そして 腫れが引く日はすごく皮膚も産生するのか 垢がよれるほど落ちます。動かすメニューはかわりませんが 頑張れば握りこみが可能になりました。でも 指に青地ができたりします。腫れが引くのはいつになるのやら。おとなしく金属を頼って骨の回復を進めてくれていることに感謝です。

 

食器洗いは悪い手首のほうの手にスポンジを握らせ やんわり洗うことならできます。包丁は持てても引ききれないので 左手にも参加させます。包丁の前方をあげて切り始めるようにしたら 能率が上がりました。 道具も 芯を摘み取るものも購入し 効率化をはかっています。

洗濯物はほぼあつかえるようになりました。 字は少し書けるようになりました。

 

ここにきて 右腕がかなり自然にのびなくなり肩甲骨あたりもこわばっていこわばっています。パトリックの靴を購入して 体のゆがみを取るように 両手を振って歩いたところ 手を持ち上げてばかりいるより腫れが引いたように思います。

もう ほぼほぼ骨は形成し始め いろんな打撲によるケガも改善したはずですから 大手を振ってよいということでしょうかね。

 

 

 


嫁と姑

2018-04-07 17:47:55 | 日本文化

家族が幸せに向かうためには 親子がよい関係でいることも 大切な要素だろうとおもうのです。でも過酷なのは 好みも考えることも 嫁と姑の間柄というのは互いに予測しあわないという現実です。

ところが その違いが 時として自分をバランスのよい方向に導いてくれることもあります。

自分の場合

結婚して新婚旅行をおえ はじめての家族四人での夕食のかたずけをしていたときでした。「あんたは 干支がひつじ年で人を食うといわれているけれど お姉さんを食っているから 大丈夫かもしれんね。」といわれたのでした。

私の姉は 小学一年生の夏 日本脳炎で亡くなっているのです。

なんてこと言う人だと思ったのですが 世間話のつもりかと リアクションなしで

あぜんとしただけでした。

 

その後も 姑には何気ない正直な会話でも 自分にはおどろく発言をうけました。

いやはや とんだことだ。先が思いやられたのですが

結婚して 一月のあいだに子供も授かり かえって覚悟ができました。

優しく迎えられなかったことで 悩みはしましたが

 自分の両親以上のことを目指せば 疎まれてばかりにはならないはずだ。

 親なら許すも許さぬもない。意思をつよくして なんとしても 離婚だけはしない。離婚させられないよう 何事も先回りして対策してでも 批判をかわそう。

その決意固く 今に至っています。

 いつでしたでしょう 娘の風邪を自分もひき 娘の鼻水を口ですすっていたために ひどくしてしまったことがありました。ふらふらで 主人が姑に助けを求めると 「親子である以上 片時も離すことまかりならぬのだから 自分で何とかしなさい。」という返事でした。

厳しいようですが この一言は 本当にその後の母親としての覚悟ができた

ありがたい契機となりました。

 

いまや 年老いてしまった姑ですが 一人、気丈に過ごしています。

私は 卑怯にも 襲撃を避けて主人におまかせで訪ねていませんが ある意味

 姑から連絡があるたびに 姉のことを思い出すことができ 

姉との絆になっているようなきがしています。

 

負にとらえれば 残念ですが 良くとれば なにくそ元気にできるかもしれません。

 

きつい発言の嫁様だからこそ なにくそで元気にすごせるといっていらした方がいたそうです。

一発でも 何発でも 本当のことを言って 姑に活を入れていこうかしらね。

 


日々の心得

2018-04-02 23:33:44 | お出かけ

今年は桜祭りの準備前に 満開のため さみしいお花見かとおもいきや

花壇も一斉に花開いて 上品なお花見ができているような気がしてます。

 

 私も ご先祖である祖父や祖母 父や姉に 案内されるように 蒲郡中央公園の花見をしてきました。

娘 婿 孫 息子 90歳になる母と 子供の顔あたりまで枝先に花をつけ 見事なさくらにいだかれて 花びら吹雪を楽しみました。

思えば 結婚以来 こんなにゆとりのある時間を家族と過ごしたことがないような気がします。引っ越しだったり 看病だったり 次々人生のアクシデントに ふりまわされて過ごしてきたました。

でも今日を機に 不満不平をおこさぬ よき心のありかたになる生活を身に着けていきたいと おもうのです。

 過去の先輩方を眺めてみますと

 よい人生の終わり方をしたひとは 人を責めず 不満を語らず よい生活習慣を実践し にこやかに 身の丈で 最後の日まで学びつづけていた気がします。

学びといっても 字を読むことではなく 老いたからだが教えてくれることに 素直に従い最大限生かす工夫をすることです。

これぞ 人の醍醐味かもしれません。

自分にも 曽祖父 祖父や祖母 叔父 叔母たちの教えが 努力すれば導いてくれることだろうと そんなことを感じる年齢まで いきることができたようです。