楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

賛成者のデモ必要ないでしょう

2015-08-30 15:58:36 | Weblog
驚きました。
今日の予定デモが気になって検索しますと 
安保関連法案に賛成者のデモって 変ですねー。
賛成者ならデモは必要ないのに えー どうなってるの。
この雨の中 必要のないデモを どうしてやるの?

だれか 教えてあげて下さーい。

かわせみ

2015-08-29 12:25:29 | Weblog
いままでも かわせみに出会ったことはあるのです。
でも 浜辺の公園で かわせみに遭えるとは思ってもみませんでした。

公園ができて 二十年以上になるので 動物たちも居場所を求めてさまよい
見つけた えさ場なのでしょう。

自分の居場所があるというのは とても落ち着くものです。
人間の私でさえ ちいさなこの家で なにげない家事がとても楽しく感じています。

それが きまって餌を調達できない 棲みかのない動物たちは
本当に気の毒です。
焦燥して 疲れているように見えたのは 気のせいなのでしょうが
カワセミの羽は 傷んでいるようにみえました。
以前 川で遭遇したカワセミの美しさとは 違って見えたのです。

一方 母の畑では 西瓜をずいぶんたべられてしまい 母はがっかりしています。
猿のようでもあり 烏のようでもあるのですが ハクビシンもいるらしいので
畑の運営は大変です。
でも おすそ分けはしつつ 人間の分も確保できるよう 知恵比べを考案中です。

お金をお持ちの方は ぜひ自分の地面を 大きく購入して
ピーターラビットの著者ポターさんのように 風景を購入してほしいです。
持続可能な日本庭園を 管理していただきたいと願ってやみません。
イギリスやフランスのように 持続できる独自の日本の風景を いつか壊れる高いビルより
ぜひです。
お金持ちの方で 持続管理していただきたいですよね。国では うーん

私は貧乏人ですが 
祖父は 
蟻は地面に自分のテリトリーと称して線引きなどせぬ
必要な巣を動物たちは用意するだけなのだから 人間もそれが良いと
三軒も家を建てたのに 土地の売買を しなかったそうです。
でも 祖父の隠居だった家の庭が 持続可能であったなら どんなに素晴らしかったかと
小さいころの海岸とつながる芝生の築山がある庭園の風景を
思いおこしています。

一方 母の実家は
 馬 牛 豚 鶏 犬 猫 山羊 その他がいろいろ棲み
土間があり 御倉があり こなひき小屋のある農家で 里山でした。
その 懐の深さ ゆるりとした美しさは 動物たちの糞の香りとともに
これもまた いつも思い起こされてきます。

昼は網の手入れをし 朝暗いうちから漁に出る
学校にいって教わることよりも 漁場で知ることの多い生徒たちは
先生より知っていることや できることが多かった
学校生活は 二の次だった 通った学校は そんな小学校でした。

一生で 使いきれぬ額のお金を さらに増やしたい方が おられるのでしょうか、

居場所がなく 声をかける大人もなく 不幸な子供が日本にいるのであれば
何かできないかと 知れば ただてをしたくなるのが 裕福な方なら 普通の神経だとおもうのです。
ぜひ できることを お願いしたいです。金儲けの介護施設より 将来性はとても高い
感謝されるはずです。

長い目で見た対策は すぐに効果がみえにくいけれど
地道な努力を 自分にもしていこうと思いますし、
きれめのない声あげを していきたいと 婆ばになって思っています。 

先人の仕事

2015-08-27 11:02:12 | Weblog

ちいさな松の盆栽を 剪定するには おおきくなって どんな木になるのか
その姿を 影に投影し 想像しせんていをするのだと聞いたことがありました。

ご近所の神社の松の大木。
なにも 風でこのような姿になったのではなく 毎年
大きく育った時 このようであったらよいと思う姿に 剪定を繰り返してきたおかげ。
なんとも 美しい。

林業も農業も 漁業も 一年二年の単位でできることではなく
長年の歴史の上におかげさまをもって享受する性質の産業
それを 現代のお金に換算することは 不可能といってよいでしょう。

ところが 例の 松下幸之助と司馬遼太郎の対談に 公共性の高い土地というものは
あずかっているという理念なるものがひつようだといっているようです。

 口では 総理も農業を理解するような発言ですが
つねに お金にならぬことには どうもならぬという。
では イギリスやフランス イタリアの一次産業は どうなのだろう。

一時の経済にふりまわされて 大切な空気のように存在して存続しようとしていた
日本の一次産業は 土建屋のセメン工事と 漁協、農協の国の身勝手な施策のせいで
お払い箱にしようとしているように思えてなりません。

新たな一次産業の担い手は 国による組織でも 株式会社でもない
あらたな組織を創設する必要があるのでしょう。

薬局という組織団体も 国の施策中心ですから どうも崩壊する危機にあります。

あらたな時代は 個人が繋がって いろんな業種の人との交流が盛んで
良い情報を教養をもって共有する。
そんな 未来になるよう 爺婆が若い方に協力していかなくてはなりませんね。

さて 松の木ですが。
子育ても おおきく育っていくとき 払うべき心か 速い判断で芽摘みする。
かわっていても 育てるべき心で ゆっくりゆるり構える芽摘みか。
 判断が重要です。
それが 1年生から四年生くらいのあいだです。

あとは 人格が育って答えが出てくる そう婆は検証しています。



 

ラジオとのタイムラグ

2015-08-24 11:00:20 | Weblog
国会中継を家事のBGMに 聞こうとテレビを消して ラジオをつけると
タイムラグがあるんですね。
どう編集しているのかと びっくりしました。

家事と国会って 関係ないでしょうと
そう 思うでしょうが

安部総理のいいわけすり替え答弁
いかがわしき操作が政治の力で行われていないかとの不安感 
良い政治をしていただけているのか 
とても疑問がわくので
人生ではじめて 国会中継を日日 
チェックしたくなっている自分です。

報道も 農業、漁業の自給率は まったくニュースにせず 
輸出しているとのニュース
自給率はもう 問題にも しないらしいです。

安保法案については
いつぞやも そうであったように
事故がおきたときが 非常事態の最初のおきる事象。
それが 存立危機事態であったかどうかは 
のちのち解ってくることですよね。

存立危機事態でおきていることを阻止しようとするならば 
どのような要件があろうが 阻止するために武力の行使は なされることになる。
阻止といえば 言葉が良いようにみえても することは武力行使ぎりぎりの接近。
どうなってもおかしくない。よい例が 今回の朝鮮半島事態。

そのときの 責任や決定の組織も 歯止めをかける仕組みも 考案されていないで
やれることだけが どうやら決まるらしいことが とても 不安です。

存立危機事態を回避すべく動く政府責任者は
人の人命をもかかわる決定をするのですから 
誤った決定をすれば 生命をもって責任を果たす
という そのくらいの
気概を持って決定する 
そうあるなら まだ 解る気もします。

きいていれば そこに論理性が ない 
危機管理が 果たせる仕組みが全く用意されていない。
 
日本人の生命をかけての任務を果たすべく 
責任も 状況判断の基準も手順も 全くみえないのに
できることだけやりますという決定。
こんな法案は 完成していないと 感じてしまっています。

米国と演習でも 事故が起きても 見解でさえ米国と 共有できず
その検証でさえ 介入することができないのに 
武力の行使の歯止めを
いつ誰が どうやってどの順番で実現するのか 全く決めようともしていない。

そんな 法案で 
顔を見せない官僚が いけいけどんどんになれば
繰り返すでしょう。 

原子力発電と一緒です。たれながし。
おつむで考えた自衛の措置が うっかりだったとか
辺野古の基地のように 国の権力による 
いじめの横行が 周辺住民になされたように

困った事態 繰り返されるでしょう。 

中国は ほんとうに困っている時期なのに総理は 出かけられない。
総理の国内で決めようとしている法案は 自衛の武力を持とうという法案なんて
残念すぎです。

 



司馬遼太郎対話選集6

2015-08-22 01:07:04 | Weblog
無教養でわからないところが 多いものの
読み進めるうちに 今の政府が見えてくる気がして 
なんども 前後して司馬遼太郎対話選集 読み返しているのです。

司馬さんが軍隊で 自国の国民をひき殺して連隊を進ませろ
との大本営の命令をうけた というくだりがあるのです。

うかんだのは 沖縄の辺野古でおきていることです。

国民けちらして 強制執行ですよね。

現在の安保法案もです。

地位協定の改正も 米国との交渉のテーブルにのせられぬまま 
自衛隊をアメリカ軍と連携させるという無謀さ。
目もあてられません。

おまけに 答弁のたびに 責任をとらないお方が 
がたがた動いて大臣に紙をお渡しして指図してみえる。

司馬遼太郎さんは 長年の歴史小説づくりで 研究を重ねてきた
そんな方の過去の疑問をもった戦時下の政府の対応や構図が 
今も政府に 政権の中で焦点を結んでいると感じたのです。

新国際競技場とて 何人もの政治家が知恵を絞ってもねえ。
回答はなかなか出ないでしょうに。
司馬さんだったら どうしたらよいと言ってくれるのでしょう。

専門の業者が 国を挙げて協力して
実行可能な案を計画してくれなければ 決まるものではないでしょうに。
そう 主婦は考えますです。

江戸城の石垣が 各地の石の供出で プライドをかけた基礎作りだったとすれば
政治のすべきことは 参加結集力を工夫するのが仕事で 
細かい要望など
主婦の出る幕ではありませんが
おおざっぱなものでよいのではと。 

個人の家でも 難しいのに どうなるのよ。 
国が 貧乏なほうが協力しやすいんかもしれません。


洗濯ばさみ

2015-08-15 09:19:11 | Weblog
このところ よく買い替えているのが
洗濯バサミです。

以前は 安物でも はさみきれずに 洗濯ものが舞うことは すくなかったのに
いまは どうも思いこみか一流メーカー物でも はずれやすいきがしています。

いたみを少なくするためか 鋼がかわってしまったのか
しっかりとまる気に入ったものが なかなかないのです。
こんなことなら 古い洗濯バサミのばねだけ 保管していればよかったとも。
つけかえれば 立派に働きますもの。

洗濯バサミの先 こんなところは あまりみないけれど
各社工夫されているのは おもしろいですよ。

プラスチックの容器にも 溝のつくりで しっかりもれなくしまったり
微妙な違いが おもしろいです。細かい穴で パッキング力アップ。

以前 ネジの後先に使うワッシャーを比べて 戻りのないワッシャーを使うだけで
はずれにくかったり 緩みにくかったりしました。
安物を購入しても ワッシャーをかえれば しっかりした製品にすることができたのです。

ちょっとした部品や パッキング ワッシャーやばねを 捨てられないのは
そこにあるのですが 人生のせいりをつける年齢になったのですから
あきらめて 捨てましょうかね。 

海川山を知り、土を大切にする

2015-08-15 07:16:06 | Weblog
忘れてはならないのは 先人の人々は 身体で
山 川 海を 視ていたということかもしれません。

その仕組みを身体で知って 土をみて 作物を作ってきていた。

いまや 農協も 漁協も機能しなくなり
土を鍬で感じ 手足で感じ 自然の仕組みを生かして 農作業をする
国土をプログラムする人が いなくなりました。

魚をとって生計を立てることができないので 
特に川の重要性を 意見できるような 以前はいた常識人は いなくなりました。


そこで おきているのが 草取りの面倒から逃れる方法として セメンで農地も管理する、
川の洪水対策や 土手の管理と称して セメンで固めて管理する。
オアシスだった地域が 都市化して 石畳で管理しようとしたところは 
砂漠化したのではないのでしょうか。

自然と共存し ゆっくり生きてきたところが 後進国などと
誤った考え方で 自然をいかし 巧みに管理してきた国は
長きにわたって 生き続けるしくみを 持っているのではないのでしょうか。

いまや戦後教育がいきわたり 机上の計画がフラットに思えてなりません。

被災地のかさ上げでも 山に対して段々の耕地整理したようなまっすぐの道路のようですが
いままで 何が豊かな漁場を提供していたかを 忘れていないか 心配です。

工業を栄えることができてきたのは こだわりの商品だったからであることはむろんのこと
当たり前のように 農業をし 山林をまもり 川の普請をおこたらず
豊かな海があったからこそで 空気のような自然の恵みは カエルや燕 トンビや鷺
多くの動物たちもいかされて いたのであって
戦後70年のあゆみに 総理大臣からも忘れ去られてしまっていることは とても残念です。

入学式 卒業式には かならず自然の恵みを享受していることを表現し
手紙の文面には いまある自然のありさまを 知らせあって
知らず知らずのうちに 今生きている状況を感謝しあう習慣も 教育しなくなってしまったことを
思い起こしています。

子は鎹

2015-08-15 00:52:01 | Weblog
今日は 浜辺が臭い 赤潮のせいか 多くのカニが浮いて
網をもって収獲する人でにぎわっていました。

このところ姑と 家の片づけでもめていたのですが 息子のおかげで
乗り越えることができました。
幼いときに世話になった祖母に やはり やさしい思いがあるようで
困っていると 私をせかしてでも 祖母を救援する体制のようです。
子はカスガイということらしい。

家庭も歴史をひきずることを 意識していると
自分の判断も 客観視できて 落ち着くことも出きるようです。
小石で先祖の墓石を磨いていると 
なにも些細なことで 腹を立て続けることはない
そう 落ち着いてきました。

それにしても 心配していた安部首相の70年談話が 急展開で微妙に治まったことに
安堵しました。

あの安保法制に 以前の挑発態度の談話では とても心配でした。
ギリギリの粛々ぶりだった。

未来思考という話でしたが そこは 全く感じませんでしたがね。
一国で ウイルス対策も 環境問題も テロ対策も成立しない時代に ひどく時代遅れな談話で
マスコミに翻弄されたのかしらね。

それにしても 気になったのが NHKの安部首相へのインタビュー。
聞いてほしいことがあったのです。
 
ヘリが起こした事故で行われているような
自衛隊の訓練が 実際の現場に いつどう実動させるつもりなのか。

原子炉のごみの問題に言及し 
本末転倒のいままでの発電計画を立案した責任は
誰にとらせたのか どうとらせるのか。

怖がりません 滅びるまでは 
無責任な核の扱いは 
戦時の
欲しがりません 勝つまでは
と同じ構図なのだと思っているのです。

そして 想像できぬ 想定できぬ
知らぬということが どれだけ恐ろしいか

この 気温の上昇で 山の木が 茶色く立ち枯れしてきています。
どういうわけか 農作物の状況すら ニュースになることがないのですが
産地表示が ころころかわり じりじり野菜は値上がりしています。

山の木々が枯れる状況が すすむと アメリカのように 山火事が起き
地面を包む根がよわり 大雨が降れば 地滑りが進むようになりはしないかと
妄想主婦は 心配しちゃっています。



事後承諾の法案

2015-08-14 00:16:42 | Weblog
一連の報道で解ってきたことは すでに
自衛官はアメリカとの共同作戦に 参加秒読み状態で
法案だけが 待たれているということなのでしょうという むなしさ。

そうだよな 今までの政治が そうなのだから。

それにしても よく報道を聞いていれば
川内原発は もう制御棒を抜くだけの状態だったわけで
電力に使用が しなかろうが 危険にはすでに 変わりがなかったわけで
これも むなしい。

日本における国会は 事後承諾機関であって よきにはかられているという
そういう国で 実質 憲法は絵に描いた餅であったと 落胆する馬鹿さかげん。

そうだよな 庶民である年寄りの判断は いまだ 軍国主義とか 教育勅語が基本で
家庭の亀裂に その辺の分裂状態が存在しているのであって
主婦も 黒塗りにされた教科書の 犠牲になっている部分も 現存中なのだ。

ましてや 政治家はむろん 分裂していて 当たり前なのだろう。

しかし ここで 歯止めはかけるべき。
武器使用に 正義などない。
使用を広げようと考えるものは 自ら赴くがよい。


歴史の残骸

2015-08-12 08:25:14 | Weblog
人は一度に何もかも 変革してしまうことは なかなか困難で
ましてや 国が終戦を期に 全く予想していない国民のありかたを
いわば 強要されたわけだけれども 
総じて ほとほと戦争に疲れ切り 
誰の何のための戦争かは お国のためだけを強調され 希望はもう見えず
耐えがたきを 耐えていたわけです。
その点で一致していましたから 
平和を維持する力は 非常に強かったとも言えるんでしょう。


ところが 耐えがたい状況は ご家庭ですこしマチマチで
家庭のありようも 

子供は親に従うことが 当たり前というご家庭。

民主主義になったのだから 親の考えは古く 新たな時代は子供が
築くとしている 家庭。

いまやっと それぞれ 家庭によって それぞれの家庭の
こうあるべき という姿の違いが 見えてきました。

たとえば 学校のPTAといわれた親による支援活動は

民主的に考えて 実行できる地域もあれば 
順番でやっつけ仕事 親が働けることが重要で 子育ては自然に育ってくれるという地域
話し合いなど無意味で面倒で 先生に丸投げの地域。
神経質な意見だけが独り歩きして 地域全体をおおう地域。

このように 民主的なことは 子供をめぐる親の組織でさえ
迷走しがちで 不幸がおきるまで 機能しない。
いままでは そんな感じでした。

今の親たちは どうなのでしょう。

小さい時から 自分たちで取り決めることを練習してきた
以前の先生の命令主導の学級運営でない 子供たちです。

職場で50代など未だに ご家庭の環境が影響してか
 上司となると一方的になるひとも
我が家でも 力の上の者が 決めてすすめるという 構造が
楽ですから 役立っているようです。

そこで必要なのが 自分の発想も行動も
どんな歴史的流れを規範に決めているのか
そこを 再考すると これからの道がみえて
その各個人の違いを意識することで 
距離のとりかたも決められるような気がしてきました。

司馬遼太郎の戦争と国土 
本当に理解しにくい対談集ですが 
多くの歴史小説を書く仕事で培った
自分の認識力 事象の観察力のすごさに 感銘し 主婦生活にも
とりいれてみようかと 少しずつ読みながら
ただいま自分探し中です。