楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

左利き

2018-01-31 21:26:55 | あったらいいな
目下右手を雪で転倒し負傷中のため 左利きの訓練中です。

物が両手で扱えないので 汁ものを容器にうつす作業で
のきなみこぼしてしまいます。
そこで鍋の上に椀などを焼き網の小さなものをおいて
少しずついれることにしました。でも不安定で慎重にしないと
椀が滑り落ちるとあぶないので 鍋の上に重ねて使える装置があったらなあ。
なんて

洗いあげは 親指と人差し指で挟んでよごれをかきおとしています。

切れないはさみは使えませんが 切れるハサミなら小さくつまんで使えば使えます。

ペットボトルも片手では回せず ゴム靴やゴム製のスリッパで挟んであけています。
プルタブの商品を買うほうがいいかもしれません。

面白いのは 玉ねぎとかジャガイモの皮むきです。
金属製のポットにはめ込んだり
竹串で白菜の下部分にさして立たせて 刃を親指と中指で寄せるように剥くことです。 
この生活に費やす無駄なような時間が 左手といういつも使っていない世界なので
いらいらしなくて済んでいるようです。

この生活に費やす時間が 痛みを忘れさせてくれていますが
これが半身まひだったら重い荷物となった半身とランダムに連動する動きで
大変だろうと想像してしまいます。 

バスで

2018-01-29 21:21:27 | あったらいいな
今日は蒲郡三谷駅から 豊川市民病院へJRとバスで受診に出かけました。
実家が豊川なのと息子の事業所の通勤路の延長でいけるので
何かあった時お願いしやすいと考えて決めた病院です。
この豊橋鉄道のバス路線豊川線は とても利用客の増加が見込める路線のような気がします。

豊橋から コロナワールド マチニワ 豊川駅 路線にっては新城もつながっているようです。
新城の停留場所の選択によっては
観光ルートとしても 買い物や遊びのスポットとしても
集客力が見込めるかもしれないと
痛む腕をさすりながら ぼんやり考えていました。

さらにコロナワールドと蒲郡の観光地 国府駅をつなげば 過疎地と観光地とを
バスで救済できるかもしれないとか

今回のケガで 年老いてどう移動手段を使うかの練習だと考えているのですが
妄想は 思わぬところにたどり着いた感じです

ニーズと実情を細やかに丁寧に拾いなおすと
おもわぬ集客があるかもしれませんよ。



左手の活躍

2018-01-27 23:49:43 | あったらいいな
先日の雪で右手首を骨折し目下左手生活です。
手首が使えないだけですので 料理ははさみとよく切れる包丁で
何でも煮る焼くでできていますし洗濯は時間をかければ干せます。
でも 片手で不自由している人の体験とかんがえると
いろいろ要望がでてくるものです。

洋服のズボンですが ゴムじゃないと不便です。
でも一本ひもが前からうしろにかけていいサイズで回してついていると
前のホックやボタンのおしゃれなものも
腰で引っかかってくれるので はくことが可能です。

ファスナーは最初の合わせる部分が困難です。
箪笥が片手だと一方ずつ交互にひかないと開けられないように
普段ファスナーをおさえて引いていることを再認識しました。
ファスナー始まりに紙絆創膏をつけ引くことにしました。
この寒さダウンウエアは必需で ボタンのついたものをもっていたのは
幸いでした。

いろいろ勉強になりますが ユニバーサルデザインが施されている商品が意外に
あることも不自由になるとわかるんですね。
トイレも病院も我が家も 昔はたいへんだったろうと

魚釣り

2018-01-23 19:12:25 | 日本文化
冬になると思い出すのが 亡き義父の釣り行脚の姿なんです。
冬寒く餌を食べない時期は 沿岸から時間を決めて夕暮れ前
 ゴム風船を切って吹き流しにしたような小さな飾りに恐ろしい引っ掛け針をつけたしかけの竿で豪快に投げ入れて ボラをつりあげていました。
冷たい水で刺身を洗いにして締めよく食べたものです。

磯ガニを板に縛って餌にして タコをつってきた日もありました。

春はウナギが堤防の穴に潜んでいるとかで
短い竿で 貝を餌に よく釣ってきたものです。
むろん 味は抜群で 孫にウナギをつかませて まな板に載せてもらい
頭に錐をさして捌いてくれたものです。
聞けば 子供の手でつかまれると暴れないのだとか。
なるほど 嫌がりもせず まな板に乗ってくれていました。

夏は 毎日川でエサ取りをし 夕暮れに何かしか釣り上げてきたものです。

そんな祖父と孫の遊びの時間は 今ではすっかり見受けなくなりました。

護岸がすべて 石が取り払われ いきもののとどまる場所がなくなり
針を扱う 糸をしばって仕掛けを自慢しあう大人の姿が
釣り禁止区域が増えたこともあって 見かけなくなったからかもしれません。
 
海で貝を拾って飢えをしのいだ時代は もうやってこないのかもしれません。

ウナギの稚魚が激減するのは 水路を作るごとき河川工事を重点的にしはじめたころから
明白だったのに 
森を大切にすることも 河川を幅広く管理することも
まったく見直されず進まず 
海のせいや 気温のせいだと 未だに頓珍漢な話が蔓延して
まったく残念でならないと
祖父もあの世で嘆いているやもしれません。

シンプルとは

2018-01-16 22:32:42 | 日本文化
食品にトレーや包装を洗って干す作業がかなり時間を取ります。
果物にも野菜にも 
レジ袋は減ってきてはいるのでしょうが 個別包装はいまや極みです。
コンビニでは 安全管理のせいか容器を回収しなくても営業でき
売るのには便利買うのも便利 
でもその容器の山を処理させられる主婦は 毎日ごみとの格闘です。
ごみの処理を怠れば 一月でごみ屋敷と化します。
このままでは いつまでたっても 行政のごみ処理は減らないのではと心配になっています。

さらに 情報にしても 煩雑に便利になったようで実は紙の情報も更新が激しくなっている気がします。 
ネット上の情報も 何が重要で必要なことか ほしくない情報の占める割合が
以前よりずーっと増えて 良い情報がみえにくくなっているような気もしています。

使う側も気を付けたいものですが 発信する側の整理も 淘汰も どうルールして
どう整理するのか 政治で決めているのか 探ってみたくなっています。
 

ようじで細かいところの手入れ

2018-01-12 22:32:30 | 日本文化
薄汚れてくるプラスティック製品
特に お弁当箱とか セラミックのスライサー ピーラー
きにしないことにしていましたが 
偶然木製の楊枝でこすったところ 意外にきれいになることが判明しました。
弁当箱の隅はどうしても すっきりしなかったのですが 楊枝の先や
 寝かして使うことで汚れをこすり取ることができます。

ピーラーや スライサーのケガをしがちな刃の部分も
楊枝でそうじすると すっきりきれいに 溝に沿ってこすると
結構なよごれが かぴかぴになってとれてきます。

鍋の溝 床のコーナ 家具の目地なども 究極床の目地にも有効です。

子供のころ 校長が掃除好きで ドライバーで 床の目地の埃をかきだして
ピカピカに雑巾がけしていたことを思い出しました。
細部がきれいになっていると 全体がきれいに感じると
子供心に感心していたことを思い起こします。

ドライバーでは加減がいりますが 木製やプラスチィック製の
串や楊枝なら そう傷つくことなく きれいになるんです。
捨てる前に もう一回 おためしする価値はあります。 
 

名古屋でお泊り

2018-01-08 23:12:27 | 日本文化
名古屋で年に一度 息子のおごりでお泊りをします。
止まる場所によって 計画はまちまちですが 今回は錦町でしたので夜の一人歩きでトラブルを起こすのはごめんと ホテルで一人の時間を満喫しました。
買い物以外 そう出かけたいところもなく 強いて言えば 昔通った科学館どうなってるかなくらいかな。

名古屋のお出かけスポットは 散策に系列をそろえることができにくく
 どうしても魅力に欠けることは否めません。
どこかの街のいいものを寄せ集めてオリジナルに欠ける感じとでも言いましょうかね。
さらに レゴランドは苦戦するでしょうね。
レゴというおもちゃは 想像力をふくらめて 作っては壊し 組み立てては壊しするのがたのしいので できあがったごつい大人が作ったレゴの建造物でアピールされても 
どうなんでしょう。と、

なので レゴランドは 私の希望としては みんながそれぞれ 建造したり 解体したりを可能にした 建設現場空間のような遊び場にしたいかもしれません。
テーマで作品を発表しあったり チームで単純なルールで競い合ったり
ロボットも含めて どんどんつくったり こわしたりしあって 刺激しあってあそべると
なんども来てもらえる遊び場になるのではと 思ったりしています。

そして 尾張名古屋の城ですが お堀の周りの木々はどんどん削れているような気がしてなりません。
さらに いまや書を読める人も 自分の蔵に眠る貴重な資料も
汚い ださい じゃまと ごみになってしまうことが多いのではないでしょうか。
市を挙げて 城だけではない名古屋の伝統色を 発見して
大事に庶民生活に取り込んで残す取り組みが 
個人の庭でも 小さなイベントでも 必要な気がしています。
 
街並みに磨きをかける工夫が ほしいですよね。
 

総量が限定される世界

2018-01-05 20:34:32 | あったらいいな
綿の素材の寝間着を買おうとす以前はどこでも手に入りました。
ところが 今や下着でさへ 綿かどうか吟味しないと購入できません。
長い繊維の綿を栽培している地域が激減してきているからかもしれないと 感じています。

何処の国も豊かさを求めて物が動く時代となり たとえ自動車の動力エネルギーを電気としても その総量は無尽蔵を想定することができる時代は 終わったのかもしれません。
今ステンレス製品がニトリで安価に手に入り わたしも恩恵にあずかって買い物してきました。
でもこの先を考えると おそらく5年後にはそんな値で手に入ることはない気がします。
素材がなにになるか想像できません。

メールでスマホに 日に何度も 占いや宣伝の記述が自動配信されていますが これとて記録されてゆくとなると
膨大な電子が必要なわけで ちょっと嫌気がさしています。

世界資源の総量が理解でき そのなかで暮らす暮らし方を そろそろイメージしないといけないのではないでしょうか。
せっかく投資家も地球温暖化がもたらすリスクを考える時代になったのですから
さらに 踏み込まないといけないと感じています。

のんきな政治家は いまだに昭和時代のままで生きてゆけるとお考えの様です。
あるうちは どんどん使い切れという 無責任な気がします。
現実は CO2だけでなく 木々や動物も 鉱物も水も空気も 総量から換算して妥協できる消費量で総量規制して生活する必要が でてきたということではないかと おもうのです。

主婦でも感じる地球の危機とでも言いましょうかね。


うかぶ考えの癖

2018-01-03 04:40:56 | むかしばなし
誰しも打開するべき事件がおきると どうするとよいか真剣に考えます。
でも答えがないと 不安と焦燥が襲ってパニックに陥ります。
そんなとき 考えてゆく順序が人によって個性がそれぞれあり 
対応も変わってくるものだと思っています。

自分や友人が 思いついてくれる打開策が 自分をどう導いてくれるのか
順序だてて考えることができるようになると たとえ何が起きてきていても
落ち着いてくるような気がしています。

その友人の打開策を自分のものにできる人は 意外に少ないかもしれません。
でも自分が思いつかないアドバイスを 何度も友人からいただいて今を生きている気がしています。

娘時代には 長い春の恋路を成就して 結婚するまで 現実には思い込みの視野の狭い恋路でも 応援してくれた友人があって 今があります。
難解な主人の母親との格闘が始まりますが この年齢まで結婚生活を続けられたのも
幾多の若き日の友人たちのおかげだと思っているのです。

子育て期に 長い人生があるとして何をするのがよいのか
家をいつ持つべきか 親世代とどうつきあうのがよいのか
教わった気がしています。
ケースワーカーを長年している友人でも 自分の親たちとは距離を保っているようです。
狭い家庭という世界で 親たち世代がしてきたとおりに何事も維持してほしいと願われてもかなわぬことですから 自分のペースを保てる距離を持つ必要はあると思うのです。 

子供の思春期に隣人とうまくゆかなくなったとき 助けてくれた友人は
いつもフランス人のように論理思考で 尊敬しています。
娘と私とは人格も志向も違うのに 親だから同じように管理されているはずと
思われがちです。そこを 勇気をもって表現してくれたおかげで 今があります。
どうしてもいい人ブル私に対して 娘もおなじと勘違いし 誤解を生んでいたのです。
そんな飛躍をかなえてくれた人ですから 
活躍の場をさらにひろげてほしいと 願っています。

助けてくれたひとは 他にもたくさんいるのです。
存在してくれているだけで うれしい気持ちになる人も たくさんいます。

で これから 素の自分が 何者なのか どんな思考経路が癖なのか
みきわめて 姑との格闘にいどまなくては ならないきがしています。
どうやら私は 起きてもいない最悪を最初に想定しがちです。
そして 起きてきたことを どんどん人に話して忘れていく はきだして忘れて
おもいついたことを 淡々とこなす感じでしょうか いやいやでも 決めたことは
だれだって 続けていくものですよね。で 高跳びができない。
逃げるか 突き放すかしなければならないときの一発がないんです。

誰も傷つけたくはない 穏便に豊かに暮らしたいのです。
でも それは相手あってのこと 穏便ばかりが解決ではなく どこまで
自分をどう表現し 妥協や打開にもちこめるか いよいよ自分の正念場になりそうです。

実は結婚当初から この危機をつねにかかえて生きてきました。
自分の恋路を成就させたはずが とんだおまけがついてきた感じで
時代の違う 考えの違う家族を どうまとめていくのか 苦心惨憺してきたつもりです。
幸い主人が 離れる逃げるを繰り返してくれたおかげで助かっています。 
主人の父も 言葉にはしなかったのですが 多分助けてくれていたとおもうのです。
どんなお宅の嫁姑でも 多少の違いはあっても多分同じように課題があるでしょう。 
自分に残されたのは あと少し でもあと少しが結構過酷です。




シャープ

2018-01-02 21:21:08 | 日本文化
姑の家の掃除をしているのですが 冷蔵庫のシャープの製品は2008年製で
両サイド開き 未だ健在です。

ほとんど手入れした形跡がないほど 古いものの詰まった庫内でしたが 
冷凍のトレーが金属製なので 意外に清潔です。
さらに金属トレーが入ったパーシャル部分は 
金属トレー下に こぼれた汁が入り込むことなくプラスティックのトレーにはまっていました。 
棚も洗う時 曲線部分が少なく 強度を保つための突起部分も 間隔に指が入り洗いやすくなっています。他社製ではなかった感覚です。

でも いやはや大きな冷蔵庫というのは 手入れに時間がかかり こまめに部分でスケジュールして庫内のそうじをしないと 大変だということがわかりました。
詰め込むと どうしても忘れてデッドストックが増えます。

洗濯機もやはり2008年製です。
いまだ健在で 今使っている私の洗濯機よりずーと清潔で 雑巾も古い鞄も 真っ黒なスリッパっも 放り込んで洗っちゃいました。
除菌消臭で槽洗浄して 早い早いお掃除ができました。
食洗器洗剤と この洗濯機で 一月はかかったであろう掃除が 二週間で終わりそうです。

いやはや シンプルで丈夫で手入れしやすく 次買う必要がしばらくなくって売れないかもしれません。
炊飯器でも うち窯を買い替えて かなり長く使っていたから 感心していたんです。
地味なので今まで購入してこなかったのですが 手入れさせられて認識した次第です。
 今後どうなるのか 同じような製品を購入したいけれど どうなんでしょう。