94歳ともなると 記憶は時折とぎれるようで
今話をして振り向いて すぐ同じ話をすると 前に話した内容が
まったく記憶されていないことがあるんです。
ちょっと驚きますが 何食わぬ顔で何度も繰り返して理解してもらいます。
この現象ひょっとして 死と向き合うのに必要なのかもしれないと
感じるようになりました。
以前の母と 小学一年生で亡くなった私の姉の話題は 上ることがありませんでした。最近よく 当時結核で寝込みがちだった母を ちょっと見舞うと
寝床に蠅がとまり 看病していた祖母が 叩いて払ったのだそうです。
するとまだ一年生だった姉は 蠅を追い払ってのち 蠅のみを叩くべきだと
祖母に怒ったそうです。
戦後で栄養もとれず 疫病もはやり 死が
隣り合わせの時代だったはずです。
母の死をおそれて大事にしたかったのだろう。
ところが 先に亡くなったのは 姉だったと よく思い出すと
話してくれました。
テレビでも戦闘のシーンは全く見ることができませんでしたが
いまは 驚きません。
鈍感力で 受け止められるようになったのかと 感じます。
人生を総括するには 鈍感力もいるのでしょうか。
それにしても 凝りもせず 何を学んだのか
この時代にも 庶民にそんな思いをさせたい政治家が
未だ選出されるのも残念です。