楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

未来予想図

2015-09-30 23:32:24 | Weblog
このところ楽しんでいる司馬遼太郎の対談集
感想ではないけれど 読んでいるうちに  
未来に起きることを 司馬さんが予想したり 想像していたことが
現実になりつつあることも あるんです。 

それは 地球の悲鳴を感じとり
環境から社会の発想の大転換をはかるということです。

隣の国の芝生を羨む前に 自分の国の雑草をよく知り
自分のいまある状況を 生かして長く継続可能な社会をめざし 
誰も取り残さないことを理想とする。えー ちがったかな。
国連の理想が見えてきたことです。

現実達成は ありえないことかもしれませんが 
そこを目指さないと 勿体ない。
人はいずれ死ぬのですから 

わずかな一生の時間
多くの生き物と時間を共有し 多くの人間と享受することこそ
幸せをもって人生を楽しむことができるので 一人取り残されても 残念です。

生き物を殺し お金でおおくのものを手に入れ どんな立派な住まいをもけたところで
幸せに死ぬことはできないのだろうと おもうのですよね。

現実は 虫のように殺されたり いろんな事情で
人格が保てなかったり なかなか そうはいかないです。

はじめての 暴風低気圧の予想
武器輸出の完備
各地で起きている農産物被害
幸せは 忘れたころにおおきな前触れもなく
手元をすりぬけてゆく
その元凶は 多分 生活には必要としないあまったお金です。 

 



スーパームーン

2015-09-30 00:28:29 | Weblog
昨日はおだやかでしたので 本当にきれいな月を 竹島で
眺めることができました。

今日は 少し冷たい風が吹き のっぺり三河湾が すこし波立っていました。
7時ころ 月が出始めたので 月がどこなのかとさがしてしまいました。

蒲郡は以前はどんなにかきれいなところだっただろうと
ほんとうに思うのです。
お寝坊なので 日の出はまだ あまりみていないのですが
山が連なる背景に夕日 月 ほんとうに大きくきれいに見えるのです。

以前の海岸線が残されていたら すごかっただろうと
伊勢湾台風前までの風景は すごかったろう。

いえ 命が大切ですから護岸はよかったと思っていますが
居住地を もっと海岸線からはなして
護岸を内陸に設けていたら どうだったかしらなどと
想像してしまうのです。
 
海牛が磯部にころがりカニが出入りし 砂浜に亀が来ていたころは
この太陽や月が もっと風情あるものだったろう。



絶え間ない歴史

2015-09-27 12:51:22 | むかしばなし

蒲郡のプリンスホテルを竹橋からながめると 18羽以上のトンビが空を舞っていました。
携帯の写真 つぶつぶと黒いのは トンビなのです。
この松林で 長きにわたって トンビが寝起きし 海と山とを行き来し 子育てを脈々としてきた
このみごとなトンビの旋回する姿は その あかしなのでしょう。

烏におわれ喧嘩をしたり 気流に乗る練習やえものを捕える練習を 
山の迫ったこの地で 育ててきたという訳なのでしょう。

それは 護岸にしたり 道路をつくったりする 人間の営みのすきまで
歴史を刻みつづけてきたということに 私は感動しながら
空に向かって毎日 トンビたちに惚れ込んで挨拶しています。

はっきりいえませんが 夏の6月ごろから8月までは
姿を見なかったので 子育て中だったのでしょう
今 数を増やして 秋空を旋回しています。
春はよく ぴーひょろろと啼きますが 秋は静かです。

生き続けて行くことが とても大変な時代になりそうだなどと
嘆いているひまはありません。

トンビに出会う時 
何度も どんなことも いつからでも勉強し直して 生活を工夫して 
生きのびていきたい 
いっしょに両手をひろげ 胸躍らせる喜びの一瞬です。

政治への参加

2015-09-27 00:20:23 | あったらいいな
引っ越して間がないので どうしたものかと 考え中です。

以前は 政党のサポーターになったりしていたのです。

それはたいしたことではなく 一年に一度ですが サポーター料をお支払いに出かけた時は 世間話をし
自分の生活状況や 困りごとを話したりして 
時には 集会のお誘いに出かけたりしていました。

選挙で意思表示をとかいわれますが やはり意見を聞いてもらえる議員事務所で
自分の考えを表明してみることも大事なのではと思っているのです。

職をもっていると どうしてもその利害から 政治参加は職場がらみや
義理だったりしますが それではいい政治を目指すことはできないですね。
職場や近所のしがらみで動くことも時には必要でしょうが それがすべてでは
経済効率だけが最優先だったりしがちです。

普段の生活のお買い物帰りに 気軽に立ち寄れる政治カフェがあってもよいかもしれません。
地元から選出するしかないのが 議員さんですから地元の話も大事です。 
自治会のイベントでは聞けないことを
政治カフェでいろんな政党の人から意見をかわす場で 身近に議論を聞ける場があってもよいのでは。
なにも 決めこんでお世話になるばかりの事務所ではなく 広くひらかれた場もほしいです。

どうやら 戦うのが政治で勝てばおまかせすればよいでは どうもまずいのではと
感じています。
ぜひとも 若い方でしっかり勉強して政治をお任せできる人が出てきてくれることを
願ってやみません。

実は ちょっとした政治参加をしたことで すごく自分の人生にメリットがあったのです。
仕事場の義理ではなく 本当の善意を政治に傾けられる環境を考えて政治家になった方がいて
ちょっとしたお願いをしていたのですが 
その受け皿になってくれた人もいて
それが 思っていた以上に動きがあって実行してくれて
まわりまわって自分の人生に幸せをもたらすことが おきたのです。

原子力発電

2015-09-24 01:20:34 | Weblog
良好な漁場に 次々できてしまった原子力発電所。

燃料が存在すれば発電してもしなくても 
危険が存在することに なるのではないのでしょうか。

発電しても しなくても存在すればメンテナンスがいるのが原子力なのでしょう。
発電するしかないんですよ、きっと。

問題なのは
新たな燃料をつくり続けると困ると思うのですが、

もう新たな燃料はいらないという法制が必要で
それまでは 発電しないと 危険なのではと 思い始めましたが
違うのでしょうか。

もう燃料をつくってはいけない。
その根拠は 結局4年たっても 除染などといって大騒ぎして
土を削っても 置き場所が 除染した地元 持ち運ぶことなく
かわりなく地元になったのですから
いずれ今回の水害がおきた飯舘村のように ながれてしまうということに。

ため息ですよ。

息子には なぜもっと早い段階で 
原子力発電に反対しなかったのかと叱られる始末です。
お金がからむ 防衛がからむ 誰も核の平和利用といわれて
反論する材料が なかったんだと
言い訳しています。

政府はもう 残留線量なるものも発表しませんし
お計りになっているかも存じませんが 
決して解決しているはずはなく
結論 気休めに除染をしただけで 所詮わからぬものは たれながし ということでしょう。

最終処分場がきまらないうちは もう核のゴミを増やしても
お金の無駄ばかりですね。
はやく 現実をお知らせいただければ こんな遠回りも
究極の残念も 早く立ち直るために労力を使えたのに
なんて おもってしまいます。

発電はする。
新たには 燃料を購入しない。
こうすると いいのかしら。

どうしたらいいか解らず 放射能汚染されたら なすすべはないことを
受け入れるための 時間稼ぎだったのかもしれないと っ残念な。
苦労している除染の意義が 全くいかされない
この現実が理解できないと 思い始めています。

経済に強い政府だそうですが お金は死んで持ってゆくことはできません。
 
安全な食を永く用意できる国土と
愛と誠実に満ちた国民であることが 次世代の人に役立ち
お金がなくても
豊かなのではないでしょうか。そんなことを 思っています。

 

車の運転

2015-09-20 00:14:00 | Weblog
豊田や岡崎の人の中には 車の性能を信じて疑わない方がいらして
縫うように追い越したり 割り込みしたりする人も
架道になった道路に 登ったり降りたりして混雑を作り出す人がいて
ひやりしたり 腹が立ったりすることが 多いです。
なにか いらいらすることが仕事であるんでしょうかね。

事故を起こしたために 渋滞したのに さらに事故を起こしかねない運転をしたのでは
のんびり婆さんでも 血圧があがります。

基本のんびり屋の私ですが 最近は年齢のせいか 
運転が雑になっているような気がしていたのです。

すると 今日 きわめびとという NHKの番組で
運転の苦手なママが うまくなるように試みるという企画の放送がありました。

車庫入れで 毎日狭い車庫にきちんといれる。
これを 最近していないことに 気がつきました。
車幅感が 鈍りますね。

さらに 気をつけるべき事を声に出して確認するということでした。
自動車学校で とにかく見えるものすべてを見てとって 危険を予測するよう教わりました。
視野を広げ 遠くをみて 運転する
と教わったので みえる車の足回りまで
見るようにはしていますが 
高速を乗ることが多くなり運転はへたになっていると 反省しました。

ところで この 予測できることを声に出して作業をしてゆくという
運転を安全にするためのアドバイスでしたが
生活でも使わせていただくことにします。

でかける前に 何と何をすべきかをやりのこしたり
イメージした料理を完成までに するべき作業の手順が悪くて作り忘れたり
年齢のせいか本当にふえてきました。
これらを防ぐのに 声だし手順確認しながらの作業をしてみたところ
 とても役立ちそうです。

責任

2015-09-19 06:39:30 | Weblog
とうとう不安定で ゆがんだ自衛隊のまま
きれめのないとか 平和のためのとか
きれいごとばかりの名のもとに軍隊となることに
なったようです。
ナチスのヒトラーが 平和のためと称して熱狂したことを
彷彿とする安保法案の議決でした。

今回 記名投票したかた順に
現地へ自衛隊司令官とともに 
非常事態危機管理責任者として
PKOでも 後方支援でも 先頭に立って発言し票を投じたもの順に
御出掛けいただきましょう。

国民は法のもとに 皆平等ですから 
国会のどの身分の方であろうと かわりはつぎつぎ
総理大臣であろうと 次々かわりがあるわけで
次期総理を任命して 
危機管理責任をそれを決めた時の総理が担うことにしてください。

国民に戦場におもむくことを決めるなら
国民のために自衛隊が存在するのであるのなら
遠くはなれたアフリカに行こう発言する
もし これからそんな発言をする総理などがでてくるなら
国内でまもられる必要などありません。
その責任を全うしていただくということです。
命をおとされたら次賛成投票したものが 
次々その責任を担う任務に あたっていただきましょう。
政治家ですから その責任は 国民のために果たすんでしょう。

どこまで 卑怯で無責任な政治家ばかりに
なってしまったのでしょう。

主婦のお気楽ブログが 反安保法案ブログ一色に
きれめのないアメリカ軍追随に 税金をさらに借金して投じることは
許せません。辺野古ではなく 山口に基地建設をお願いいたします。

八百富神社

2015-09-16 23:44:57 | Weblog
蒲郡の竹島に八百富神社が祀られているのです。
海岸の上を 竹島まで橋で歩くことができるので 軽い散歩に出かけることもあります。

今日は雨で本格的に散歩するのは辛いので ここに。

すると 一応 神様を敬って 神社に礼拝すると 何故か涙が流れてきました。
とめどもなく 海にむかう間中 涙が流れてきました。

どうやら 海からのメッセージだったのかもしれません。
どうかしてたのか 帰りは全く流れなかったのですが 
海に向かううちじゅう泣いちゃってました。

私の叔父は未だ戦場であったソナムから 遺骨が帰ることがありません。
叔父の父である祖父は 大学で医学を学んだ叔父を 大切に思っていたのにもかかわらず
戦死ならず 餓死でその命を失ったそうです。多くの人がそうだったようなのですが。

目の黒いうちは国旗を掲揚すべからずと 祖父は祝日にたびたび言っていました。
でも 祖父の診察室の引き出しには 黒塗りの玉と国旗がしまわれていたのです。

国を大切に思うが それゆえに その政治の成したことに怒っていた。
ということなのでしょう。

いまだ 帰らぬ人が日本中にいて その責任は国に 政治家にあったはず
わずかとはいえ指導者や司令官も あんな戦争でも生き残っていて
深い心の傷をかかえて いきていたと思うのですが 検証も
反省のうえの学習もなく 聞いたことも見たこともない歴史の空白となっています。

話しできないほどに 残念なことばかりですから 無理もありません。
元気よく話ができる人は 処遇がまだましだったかもしれないと おもっています。

 当時 戦局の悪化に 苦渋の決断であったとあったとしても
勝つ国と負ける国 どちらかなのだから 早く負けを認めれば
あそこまでの時局にならなかったはず
ところが 負けないと決めていた。

どこか 似ていないだろうか そうおもうのです。
決めるときに 決めると そう決めて議会を運営したら
あの当時と同じではないだろうか。
押しとうせば 感謝されるようになるなどと 今までの政治を冒涜する発言に
驚きます 詭弁です。
法はできうる限り 安定性のあるものを据え  
法にのっとって 現実をいきるのであって その後の熟慮と対策が 
日米安保を 自衛隊の存続を支えるのであって 何故軍備にここにきてするのか
理解できません。 
 
踏みとどまるべき時に立派に踏みとどまれば それは立派な総理大臣なのに。
安部ノミクスで得た票を すりかえて 自衛隊は国連の軍隊にしてしまう。


その後の検証を 話し合えないほど辛く 戦後の検証をきちんとしていなかったために
いまだ アメリカと武器を持って脅せば抑止力になるなどと 
時代錯誤の政治家が総理大臣になってしまいました。
 残念極まりない。

戦争に参加できない小さな国で 申し訳ないが 平和な時は身を呈して
災害救援しますので お願いしますで どこが悪い。
ふつふつと帰り道 考え込んでいました。

神社様はどうすればよいのかと お返事下さらないけれど 過去の うかばれない命の犠牲が
訴えてくるようでした。

司馬遼太郎の対談集

2015-09-16 00:33:54 | Weblog
安保法制が採決されるようで 自衛隊の軍化が心配ですが
自民党の方も 国民の反対者がいてくれて
言えるようになられた方もおられるようですね。
私にさえ得たものも ありました。

過去の戦争が何故 誰がどうして太平洋戦争まで起こしていったのか
どうしたら 二度と戦争をしないで 国際関係の平和維持ができうるのか
あきらめずに考えるようになったことです。 
そして ばらばらな司馬遼太郎さんの対談集という本が
私の心に明りをともしてくれていることです。
いままで人生で世の政治のはなしや日本の話で
疑問だったことが いろいろ司馬遼太郎さんも
同じように疑問を持たれいろいろな方と対談されていたんだと 
考える糸口がみつかるからです。

自分の職や当座の地方の利益だけを求めて
政治家を支配したり票を投じたのでは
まわりまわって 大きな不利益をうけるということが
企業にも 見えるようになってきているように感じるのです。
 
よく社会のあるべき未来をみすえて 個人がなすべき事を陳情して
政治で実行してもらうことが
まわりまわって自分に恩恵をもたらすのであって
企業の団体や 職業集団の偏った考えでは
うまくゆかない時代になったのかもしれませんね。

やれ利権がらみだと叩かれるのかしらね。

本当の民主主義に成熟してゆくには いろんな方向から
いろんな個人が 普段から政治家にも提案をして よりよいと思われる方法を多くの人で
危険を予測して 解決策をすすめることができる 
その先頭に立つべき人物に 日常の生活の延長で
お願いをして 納得していただいて選挙をしていけるよう
これから 努力していかなくては いけないのですね。

常総市の大水害で翻弄されている自治体の方
時の政府が立法に翻弄され外交に翻弄され
災害も次々あちこちで発生して 
さらに マスコミにさらされ大変なことだとおもいますが
まずは 食事と寝ることがかなっておられるようお祈りします。

そうそう愛知は堤防がもう古すぎるし 埋め立てで予測不能な海ですよね。
尾張地区の宅地化で 洪水が起きたらすごいですよ。
驚異の台風シュミレーションを スーパーコンピューターで解析準備してますでしょうか。
災害に強い町を住宅を購入する段階で
インフラもコンパクトになるよう計画して
あるていど 更新しやすい街にしてほしいかも。


 

教養と品格

2015-09-14 09:35:55 | Weblog
武力能力を見せつけて国に
今まで守り続けた武力行使しない国を 
この危ない情勢で アメリカと仲良しだから大丈夫だと
それが抑止力になるなどと 発言しないほうがよいでしょう。

それならば 何故アメリカでも タイでも テロにあうのでしょう。
武力の見せつけは 武力を行使しようとする者を 
さらに 何とか勝利したいと燃え上がらせるだけなのではないでしょうか。
以前の 日本がそうだったのではないのでしょうか。
 
アメリカとの関係の安定を破るのは できない約束をすることでしょう。
実行可能でない約束は 特にやめてほしい。
さらに今後の方針を 武力抑止にシフトするのは やめてほしいです。
信心があるわけではありませんが
偶然にしても 相次ぐ水害に地震に噴火と 
日本の神様も少々お怒りのようではありませんか。

あくまでも いずれしなければならない粘り強い交渉 
品格ある交流で抑止する方向を
前面に政治活動していただくことを お願いします。

他国の状況もくみとって 大切にすれば 国際社会で孤立しないのではないでしょうか。
我慢している国民がうかばれません。

今日の国会質疑で ヒステリックに危機状況をあおる内容にもってゆくことは 
危険で国民が最も嫌う手法であることを
理解していない内閣に あきれるばかりです。

時の政府が提案できるのは 現実の状況をどうとらえ 何をすべきかを国会で報告し
安保法案は 多くの人であらゆる知恵をしぼって
国民総動員で考えるべきだった。
もっと経済人にも見える場で 参考にできる意見を求めるなど
そんな手順があって 法案を提出してほしかったです。

そして 政府が自分の責任で いまある法制で 
最善を適切に尽くし続けることは 当たり前のことで
それが 一方的な安保法案の提案の根拠には ならないのではないでしょうか。

国の国益などといって 刺激をするから領土領海獲得競争になり
羨む心の暴走を生むのであって 
領土というのは 人が生活していて 文化が継承されて 
営みの喜びがあって幸せをもたらすのであって
人の愛してやまないものをうばったり 
人の大切にしてきたものを台無しにしては
いかなる神も幸せを もたらすことは ないことを 
お互いに肝に命じておくべきでしょう。
あいまいな箇所は 共同で交渉で粘りず良くですよ。

たれもみな こころは父の形見なり
はずかしめなよ おのが心を

たれもみな からだは母の形見なり
傷つけるなよ おのが身体を

思いだして 肝に銘じたいとおもいます。