楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

しっかり降らない雨

2019-02-25 21:02:34 | 菜園

日本は 春になる前 以前は三寒四温とか。雨が降る度 暖かくなる。

そんな気候でした。

ところが 雨が落ちません。

木々の葉が雨を呼んでいたのに めっきり減っているからかもしれません。

二月で富士山が冠雪しないとなれば 一に富士とはいかないようになるきがします。

 

草も生え 木々も葉をつけて 喜べる余裕ある心を 取り戻したい気がしています。

 

 


善と悪のせめぎあい

2019-02-24 09:56:38 | 日本文化

人間の心の善と悪が常にせめぎあっているように 

菌も有利な環境を求めてせめぎあっているはずです。

味噌の樽も以前は雑菌だらけの杉樽でした。

単一ではない 雑菌にうちかった麹菌が 雑菌の繁殖で味噌をダメにする危険をおかして選択されてきたはずです。

大豆が味噌になるのに適した菌だけを培養し続けて このさき世代にわたって弱くなってしまわないのかと 疑問を持っています。

植物が次世代に環境を克服するべく種に託されることを考えると 菌もおきているのやもしれぬと 思うのです。

 

人の心も 自分は善だとおもって行う行為も ひとの強要し過ぎれば

悪となるようです。

戦中派世代は 美徳とした孝行が あまりの悪に変貌していて

広い視野でながめれば 愚かなことだったと喪失した経験があります。

戦後 善悪混とんとして貧困と飢えに苦しみながら

逞しく古きを見て知る世代が技術を革新して豊かさを築いてきました。

善悪も良し悪しも せめぎ合わずして磨かれないのではと思うのです。

失敗をして 心のせめぎあいを乗り越えられる必要もありそうです。


地球温暖化阻止

2019-02-24 09:36:31 | あったらいいな

今年の夏はどこまで暑くなるのでしょう。恐ろしくなっています。

その地球温暖化阻止は 日本はどう進めているのでしょう。

木々が増えているようでもなく 街路樹に葉もつけさせません。

庭も駐車場も草一本生えさせない お金と時間をかけられないので アスファルトです。いえ 許可申請でアスファルトが求められるとか。

さらに ピルもタンクローリーもピカピカで まぶしい限りです。

乱反射する太陽光でさらにカリカリに。

東京に久しぶりに訪れて 墓石のように乱立するピカピカ乱立する高層ビル群に

圧倒されてるというより その後の将来が恐ろしく感じました。

今はよくても 50年後は負の遺産となり廃墟になりかねません。

土木業の仕事の空恐ろしさを感じます。

 

ポリ袋とプラスティックは食べるものより多く 自分も含めて

とても地球環境を考えて生活しているとは言えません。

 AIが進んでも 食べるものと水が底をつけば 宮崎駿監督の作品が示す通りです。

どこまで残念な国になるのか 政治家の方がまったく言及がないので

温暖化阻止を金で払ってすまし顔でないか

心配になっています。


一隅を照らす

2019-02-20 23:32:04 | 菜園

畑仕事の師匠が 亡くなりました。

東京にでかけ 上野のお寺でみかけた張り紙に 一隅を照らすと書いてあるのを見て

まさに そうあった人だと思い起こしました。

しかも その一隅を征したひとでした。

 

国府宮神社のはだか祭りでしたから

晉男?に なっているやもしれません。

 

激動の車時代を会社員として働き

定年後すぐに がんと闘いながら畑で作物を作り

友人と古巣の会社に ご意見番をしながら祭りを楽しみ

地域を守り 寺を愛し ご夫婦仲良く添い遂げて

みごとな人生だと 感心しています。

 

教わった野良仕事と体のメンテナンス法を忘れないようにいたします。

 

 


東京国立博物館

2019-02-20 23:07:19 | 日本文化

子が毎日書道展に出品するようになって早10年あまりになりました。

これからどう書と向き合おうかといっていた矢先 ぜひ見たい展覧会があるというのです。

そんな息子の希望で 東京国立博物館 顔真卿 特別展にいきました。

50分会場に入るのに要し 祭姪文稿の前を通してもらうのに 70分を要す

盛況ぶりで 多くの人が訪れていました。

しかも 日本の書道が何を価値あるものと選択し どのように書法は変遷し

どう書法を学んできたかがわかる展示になっていました。

何度も臨書した作品も多く あらためて顔真卿を中心にして見ることができました。

息子曰く 顔真卿後の多くの著名な書家が その筆致をたどっていることがわり

再認識できたとのことです。

へとへとになりましたが 何度も眺めなおしたい 

大パノラマ展でした。


洗濯機購入で

2019-02-12 13:52:49 | 日本文化

90歳になる 両母親たち なんとか一人で暮らしています。

自分だとと 置き換えると ため息が出ます。

 

先日 長年 母がつかってきた日立の洗濯機が とうとう時々動けなくなるので

買い替えました。

すると ごみ取のプラスチィック部品が母の手では外せずごみ取ができないとのことでした。

いやー 結構な力をいれても 外しにくくなっているんです。

 

そこで 溝に はまって引くことができるおもちゃを探し出し

使ってみることにしました。なんとかクリアーし そのうち緩むし慣れるだろうということです。

以前のスライド式は どこ行ってしまったのか。

 

ごみ取が外せないという事態は結構深刻です。

男性が設計すると これでよいのかもしれません。

細かいところが 以前の製品とは違うようです。

 

ユニバーサルデザインで 家電が製品化されているはずですが

それでも 年寄りには不自由なことがあったりするものですね。

とにかく 押して引くという 二方向へのアプローチは 年寄りには難しい気がしています。

 

もう 何代という製品を改善しつくしてきて 完成してるはずでも 選ぶとき気を付けるべきことが出てくるんですね。

電池入れの蓋とか外せないと 結構呼び出されます。

実は自分も手首を骨折してから 難儀してます。

 金属のようなばねがあって 丈夫で軽く外せる素材が ほしいものです。  

 


チャーミングに自分をだます

2019-02-09 16:02:57 | むかしばなし

以前 NHKの特集で ターシャデューダが 画用紙が見つからないとき

私は何かを隠す天才なの。そうつぶやいていました。

60歳のわたしも 何を探していたのかさえ忘れることがあります。

90歳ともなる姑は 探し物が増えています。

年を取り 情けないと思いがちでした。

 

でも なくしものをしても 物を隠す天才になったといえば 

なんとチャーミングなのだろうと思ったのです。

 

画用紙がなくなって いらいらしてるのは 同じでしょうけれど

画用紙を何処においたのかしら ない ない と言うよりも

なくしちゃう天才なんだからと聞けば

聞く人も 表現する自分も 癒されます。

物忘れしたところで なにも いらいらすることでも

残念がることでもありません。

 

ターシャさんのように 普段から 子供に絵本を用意するということは

できないことを 楽しむ

不足なことを 不満としない

そんな訓練になるのかもしれません。

 

学校では できることがいいことで 理解するのが目標で

立派に静かに すごせることが ほめられべきこととなりがちですが

そのまま 大人になると 間違ってしまう気がします。

 

実は しようとする意欲もち 現状や結果を見つめられる姿が 立派なのでは

ないでしょうか。そのためには チャーミングな発想はとても役立ちそうです。

こんな風に 見えるわ それも素敵なことね。というわけです。

 

子供に 良かれと思うあまり 負の暴言を思いついてしまいがちです。

ましてや 責め立てたり 追いつめたりしていては 人生を改善していけません。

距離を置いてながめて 本当のことをさがさなければなりません。

私は子育てで 周りの人に助けてもらうことを 恥ずべきでないことを学んだ気がします。

 

心理学を学んだ人とか

精神医療に携わる人に 相談するのも よいのかもしれません。

 

 

 

 


手首の骨折 一年後

2019-02-05 13:22:17 | あったらいいな

手首の骨折から一年が経ちました。

手首のまわりにゴムバンドをはめた感覚と 小指の攣りは残るものの

日常生活で困ることは減ってきました。

お祈りのポーズも 膝に手をおくことも できるようになりました。

が どうも 膝がこわばるのと足首が痛むのと足の裏がこわばっていました。

 

年齢のせいと思っていましたが 手の小指 薬指は 体幹の内側を支えるのに必要で

親指側ばかり使っていると 前のめりの姿勢になると 息子の友人から聞きました。

ひよっとして 小指のせいで 足も痛いのかもと思うようになりました。

そこで 施術をうけにいってきました。

 

小指の筋肉は手首関節の中をとおって 肘につながっているらしく

手首の関節の中 繊維が増えたり めぐりがわるくなると 引っ張られる可能性もあるとのこと 1時間半ほど緩めたり動かしたりして お灸をうけると 

なんと 攣れた懸がゆるみました。

 

指を寄せたり 広げたり 手首を返したり戻したり 腕の肉を手首に引き寄せて動かすと

手のひら全体の動きがよくなりました。

金具や骨とつながれていた線維化した腱をほぐして まだよくなる可能性があるとのことです。

 まだ少々腫れがあるうちに 動かそうという気になりました。

 

施術うけた帰りには 足の痛みがとれてました。

意外に 手のひらを 特に小指と薬指を動かすことは 体全体にとって良いらしいです。

柔道でも 合気道でも 小指を体の内側に引き寄せてるのには 意味がありそうです。

 

そうそう

庭でふらふらの 幽霊のようなバッタが 出現していました。

えー 夏じゃないのに ねぼけたかー

 

 

 

  


命を知る

2019-02-03 01:50:50 | むかしばなし

舅は釣りが好きで 80歳までは 毎日のように魚を釣りに出かけていたようでした。

冬はボラを埋め立ての橋から ブラをつけて投げ釣り

河口の石積を小さな竿で探る うなぎ

春は こませで呼び寄せる 鯵釣り

友人と船を出して メバル カニを板に張り付けて釣るタコ

季節でかわる釣りの エサ取りから 仕掛けつくりと熱心でした。

当時 舅が60歳の時 私は結婚したてで ともに一つ屋根の下でくらしていました。

子育て中の私は 毎日釣りあげた魚を 娘が2歳ごろから 子供イスに座らせて 

共に 舅が魚を料理するところを見ていました。

 

あきない遊びの時間として 本物の魚の調理時間が毎日のイベントでした。

ぴちぴち跳ねる魚をまな板に載せ 刺身に仕上げ その日の料理になります。

刺身を前日のものか 今日のものか区別ができなければ 娘の口にいれれば前日のものは吐き出すのですぐわかるほど毎日でした。

さらに 出たアラは 庭に出て猫の餌やりに使うのです。

子供と一緒に猫を呼び寄せて 猫がおいしそうに食べ喜ぶ姿を眺めるのです。

なんの説明もなく続く 毎日魚の料理だけれど 毎日違うイベントでした。

 3歳になるころには 生きたウナギをまな板に載せる係は 娘でした。

ちいさなやさしいタッチは ウナギも警戒せず おとなしくまな板に乗るというわけです。

 

その日々は 私の子供にとって おおきい財産になりました。

 命に対して何の疑問もなく教わることも叱られることもなく 真摯に 静かに向き合うようになっていたのではと思い起こしています。

 ありがたかったと 今魚の料理をしていると 思い出すことがあります。

 

医師の入学試験の現役男子優先の記事を見て

活き魚の調理を試験にすれば 医師に向くか向かぬかすぐ判定できるのではと

妄想したりもしています。

言葉で説明するよりも 人は生き物を口にしている 命をいただいているということを

体で知っているということは 大事なことではないでしょうか。

 勇気と覚悟が 命を扱う人には必要な気がしてなりません。

 

子供の時から 命あるものの営みと親しみ 毎日格闘して食している食材があることを

活き魚の料理教室は教えてくれていたようです。