楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

誤解しそうな報道

2015-05-29 22:07:35 | Weblog
たまたま見ていた国会
辻元議員の質問だった。

機雷の除去作業が アメリカの軍でどのような扱いになるのか

そこが とても重要な話だった。
難しくて解りにくかったけれど 機雷の除去が国際法でどんな扱いになるのか
ド素人の私でさえ 気になった。

ところが 報道は まるで
辻元議員が挑発して 安部総理が早く質問しろよと
言わされたかのような話になっていた。

そして 重要だと感じた 
機雷の除去を ホルムズ海峡で自衛隊に参加させる話は
全く消え失せている。

これが 日本の報道陣の取材力なのかと
国会の争点のとらえ方なのかと

全く驚くばかり 

同じコースの散歩

2015-05-27 00:52:37 | Weblog
暇があれば出かける 公園への散歩ですが
一日たりとも 同じでは ないのです。
同じようにあるいても 違うことが起きてくるという訳です。

昨日は 石組みから蛇があらわれました。
久しぶりに 二メートルもあろうかという蛇さん
あと30センチで 踏むとっころでした。
アオダイショウという蛇でしょう。

何故か ひばりや 鶯が 近づいてくるようになっていると
感じます。
あれ あの人間がまた やってきたぞ
ということでしょうか。

人間が来たぞ どんな奴だ。ってな気持ちかな。

潮が泡立っているときがあるのですが どうやら
どこかの 排水のようです。

海面をきらきら飛んでは 群れで進む小魚に目を凝らすのですが
なになのか わかりませんね。


法の整備と必要な判断

2015-05-26 22:23:24 | Weblog
いま出されている法の整備が 実際の不測の事態に役立つということは
ありえないと感じています。
安部政権が おもうように法案をとうそうと
内外に向けて演説すればするほど 
中国も韓国も過敏に反応せざるを得ないだろうと感じます。


領海を広げようとすれば どんなことをしてもと
岩礁を使っても広げようと決めている国を
もうすでに止めることはできないのでしょう。

起きてしまってからでは おそい もうすでに
遅いということです。
基材を持ち込み 足場を組みそうな段階で 各国に内密お知らせです。

領有権を左右する行為は 国際的に許さないようにしようとか。 
第三次世界戦争でも始めたい国と
国際社会から制裁をうけさせましょうと 呼びかけ終えていないと
 歯止めにはならないのではないでしょうか。 

はじめようとする前に決めていないと間にあわなかった
はじめてしまった人に 指摘をし 立ち向かえば もうすでに 喧嘩になる。
と感じています。

ならば どう国を守るかですが
先手で やろうとしていることを牽制でしょう。
 国際的な民意に訴えて
法整備の根回しをしおえていなければ 
起こされてしまってからでは 我慢して
警戒にあたるほか 戦争を回避することは 
できないということなのだろうとおもいます。

領海を左右することを意識して まさか その工事 はじめたのではないですよね。
それが 国際社会を乱すと感じないのですか。残念すぎますね。
領土の範囲内でも お互いつつしむべきです。とかね。
 
いまや 自国のみ幸せになろうとしても
かなわぬ地球の危機が目に前に立ちはだかり始めていませんでしょうか
と示すべきでしょう。
排気ガスの問題 温暖化 ウイルス
協力すべきこと山積なのに 排他的なことを法整備ですか。 

食料 資源 

どう確保し どう調達し 国際社会でビジネスも どうあるべきかが
日本の国のルールとして示されているのですかね。よくわかりません。

安部政権の説明をおききしたかぎりでは
自衛隊のあるべき姿も 曖昧になる。
 歯止めも 線引きできない。
 危ないことははじめられるようになるが メリットは少ない。そうおもっています。

根拠は 
あえて いわないほうが良いことを決めている。 
戦争を目の前にしていない状況で 攻撃されたらどうするかなど 
決めても意味がないことだからです。

原発がメルトダウンする状況で 想定していた法律も 装備も
全く役に立たなかったことが それを証明しています。
有事は 全力で時の内閣は交渉の場に持ち込み 時の内閣がその事態回避にあたり
武力攻撃を阻止する。
この 一文で 終わりです。
潔く 特攻隊員は 武器のない飛行機で 亡くなったのです。


憲法を書き加える必要があるとすれば 国際社会で
日本人はどうあるべきか なのですよ。きっと。
 
自衛隊がどうあるべきかも 時事刻々
かわることは明白で 自国の法整備してなんとかしようなどと
考えるよりも 
国際的にどのようなルールが必要なのか 人類はどう生きるかが
先にあるべきで そこに焦点があてられない政権では 
国際社会で自国の国民を守り 国益をまもることなど
できようはずもないと 思うのですが。
とにかく この事態 残念で 危険だと思います。



 

免疫でがん治療

2015-05-23 22:35:41 | Weblog
最近の医療はめざましく 麻酔もリスクが減り さらに
免疫でがん治療できる薬の臨床試験が進んでいるとのこと
朗報です。
その陰には よりよい医療に向けて 働いてくれる政治家の存在があるのではと 
感じています。


多くの人が 掃除に洗濯 料理に遊び 手軽に学べます。
どんなことでも 情報をもらうことができ 
情報を集めたい気持ちと
ある程度の選択能力があれば 可能性はいっぱいです。

そんな幸せがある一方
政治にも 経済にも いろんな視点で 見聞きしないと
侮れません。
ちょっと危ない時代になりそうな予感です。
想定の一歩先を行く立法が必要です。
核兵器は 自他共に自殺するための装置であって 兵器としての役目は果たせません。
使えば 使用した地面は使い物にならなくのるのですから
死して帰ってきた方はいらっしゃらないので 死してわすられることはあっても
人を殺して名を残すことは望めませんね。

そんな 時代遅れの戦争想定ではなく
 シェア交渉で
先見性の幅をおおきくとることが 
また 自国をよく見極めていることが大切だとおもうのです。
 
多くの国の理解を見方にし 小さいけれど 殴られても殴り返せないけれど
なくてはならない愛すべき国として しっかり生き延びる道を
目指したいですね。 

もんもんと主婦をして 今までは
目クラめっぽうの子育てに明け暮れた人生ですが 
今までのように 発言しないことはやめて 見聞きしてきたことを
発言していかなければ 原発のように後悔します。。

広い視野から 本質をもとめて多くの人が良い選択する能力が こ
れからの将来を 左右すると感じています。

選択によっては 残念なことになるからです。





  

とんび

2015-05-23 22:25:35 | Weblog
実家は浜辺なので 散歩するといつも飛んでいるとんび。

今日はホバリングして餌のようなものを頭を足に何度も近づけ
食事をしているようでした。
陸に降りると 烏のほうが多勢で持っていかれるからなのでしょう。

それにしても 空の上は御手のものとばかり 何度もくりかえし
足先のものを くちばしで引きちぎっていました。
 
今イメージしても どうしてあそこまで 上空でのびのびできるのか。
どうやったら足を頭にもっていけるのか。
理解できず 印象は強いのに くっきりと思い出せないです。

悲しい原子力発電の稼働

2015-05-21 00:06:54 | Weblog
先日のNHKの特集で 廃炉の進捗状況をみて
このまま あらたな原子力発電所の再稼働は 反対しないといけないと 感じました。

メルトダウンしたコンクリーとも抱き込んだコントロールのきかない物質が
設計をする人でさえ 特定できない 予測できていないと聞いたからです。

困った時に とりだせない爆発物を これ以上抱えるかもしれないリスクを
次世代に引き継ぐなどと これ以上やめた方がいいでしょう。
このブログが攻撃を受けるようなら 言論統制でしょう。

以前 少しですが 大学で二級放射線技師の勉強をし その後 浜岡原発を見学したとき
この厚いように感じるセメンの壁が 本当に遮蔽の あてになるのだろうか。
広島のドームは とけているが マグマのようにセメンが溶けたのか。
そんな事態は 起きないのだろうか。
うーん と感じていたのですが 
当時 立派ですと自慢げに説明する人に
意見することは できませんでした。

あらゆる方向から あらゆる人の知恵を結集して 廃炉にあたるべき時で
それが 解決の道筋もみあたらずどうして よそ事を考えていられるのかしら。
廃炉に当たっている企業が 書かれているのが三社だけなのも気になりました。 

主婦では 何も協力できないけれど あの様子を見て 先頭に立たされる人の身も心も心配です。
予測もないまま やれるといわされて仕事をする恐ろしさ 想像を絶します。
 
次の原子炉の稼働を検討しているひまがあるのなら 
どうして 今困っている東電の廃炉の仕事に心血注いで協力してあげないのか 
その人間性を疑います。

仕事とは金儲けだけが仕事ではなく
火事場は 金儲け関係なく火消しに走らねば 国そのものが崩壊です。
そう感じている私は おかしいのでしょうか。

原子炉が本当に安全ならば コンパクトに どこでも小さく運べて
いつでもしまえる形にできるはずです。




教師の国家資格

2015-05-12 18:11:36 | Weblog
戦後日本の学校で 教科書を黒塗りした話を 聞いたり説明をうけたことがある人
親に語ってもらったことがある人
授業で聞いたことがある人が 今の世に何人いるだろうか。
60歳の私でさえ 人生で二度ほど耳にしただけです。

できることなら 忘れていたかったです。
でも 先生の国家資格化が導入されると聞いては 黙っていられません。
国は その責任をどう取ってきたのか 問いたださねばならないとおもったのです。

昨日まで 天皇陛下万歳 国のため 欲しがりません勝利するまでは
と 軍事色の強い教育を戦時下の学校で全国一色展開してしてきていて
非国民国賊と口答えするものを一蹴してきて教育されていたことを 母から聞いていたことを
 思い出してしまいました。
 
戦争終結して 本日から アメリカのように民主主義でと 手持ちの教科書の軍事色の強い表現は
黒塗りにして 再教育を始めたと聞いています。
そんな歴史を人にも 子供にも語ったことは 母も私も一度もありませんでしたが
国家が教育する人員すべてを資格化したら また そんなことが始められる国に戻れますね。
 
教育を国家資格とするとしたら 教育者の自由度は狭小になるのではありませんか。

自由にモノ申す先生もいて ダメな先生もいて でも人が良かったり
あることには 秀でていたり 教師だからといって 完璧でなくとも
子供の将来をよりよきものとするという思いさえあれば
 優秀な子供は 自分で勉強するでしょうし 特異な好きなことは 一生懸命になって
子供は愛さえ注げば活躍するものです。
なにも 国が資格制度を持ち込まずとも 良いと考えます。

資格化すれば それこそ 一方的な見方しかできない
官僚集団になりかねません。
今でさえ 家庭の事情や 生活環境の幅に対応できない先生が多いのに
何事が始まるのかと 声をあげたくなりました。


教師という集団は 国の大切な仕事を 担っていてくれています。
しかし 国家資格となると どうしても視野や考え方が一本化すると思うのです。

なすべき政治の仕事

2015-05-11 21:29:16 | Weblog
散歩で懐かしい浜昼顔を発見しました。
砂浜に深く根を下ろし 風が強くてもしっかり地面をとらえて生活します。
今では見うけられる海岸線はほとんどありません。
小学二年生のとき 伊良子岬で植物採集したことがあったので記憶に残っている植物です。


ところで 政府は海外貢献できる自衛隊 後方支援できる自衛隊をめざす法改正に
踏み切るようです。
それが 何故悲しいのか 何が不満なのか 
今まで考えないようにしていましたが
今日は考えてみました。

それは 後方支援できる財源は いったいどこから湧いてくるのだろうか。
という ことです。
自国で命をかけて戦いに挑んだのであれば 自分の責任でできることを決めます。
ところが いとめなく支援してくれるのなら ジャブジャブになりませんか。
自分で決められない支援を どこで歯止めをかけるのか。
命がけで前線で動いてくれているくれる人に 支援しますと宣言してはじめたとして
どう動いてもうまくいかなくなり
あなた 家はもうお金がないから 支援はできません
とは言えない
どこで支援を打ち切りにできるのか不思議な決め方です。
徴兵制を 始めるのですか。と 聞いてみたくなりました。

さらに 今の日本は 伝統的な仕事はほとんど空前の灯火で
 石 木材 畳 もう ほとんど 生き残りがわずかです。店という店は 疲弊しています。
農法 漁法 航法 工法 種さえ収穫して種を守ることすら できなくなってて
政治家は人ごとです。
着物 茶の湯 書 日本文化といっても 
 カルチャーセンターでさえ いまや扱えません。

政治家様は 国らしさが 経済とやらが優先で
途絶えてしまっていることに 気がついてもいらっしゃらない。
 
そして 店はコンビニばかり 家は合板ばかり
町づくりのイメージさえ お持ちではない。
借金を増やすまえに 日本らしさという資産を 守れる仕組みが必要ですよね。
食でさえ守り続けられる構想が 全く聞けないんです。

浜昼顔同様 日本らしさは 絶滅危惧なのでは そう思えてきました。

自国を自ら崩壊させて失っているのに 国益の何を守るのでしょう。
根を下ろし 風が吹いても耐え抜ける浜昼顔に 教わるべきことがありそうです。 



鯉のぼりと母の日

2015-05-09 23:32:20 | Weblog
鯉のぼりと雛人形は 実家の家を出て 主人の仕事のため
子供を連れて名古屋に引っ越す際 実家において出ました。

それは そうでもしないと 自分はおそらく
実家に戻ることが少なくなってしまうと 予見したせいでもありました。

案の定 4年も過ぎると
盆正月がやっとで 鯉のぼりもひな人形も
実家に戻って飾ることもできなくなっていたものです。

その鯉が 何故鯉なのか 60歳にもなると
合点がゆくようになりました。

人生の岐路で 男性であろうが女性であろうが
ちょっと頑張って 人生の幸せへの軌道に乗せられるか 乗り損ねてしまうかで
その後の十年が かわってくることが多いものです。
またその後十年頑張ればよいことではあるのですが なかなかきついものです。

遡上する魚が ぐぐっと跳ねて岩場をくぐりぬけ 流れにのるのと
似たところがあると 運気を上げるため鯉を飾ってきたのではと感じます。

息子が あとちょっとのところで うまくいかないなあ。
そう 嘆くとき そう母も あと少し理解してあげていたなら
そこの岩場が登れたかもしれないと 母としての自分を
今頃みつめなおしています。

でも あるべき姿になれずとも 今ある自分でできる努力を
これからもするのが 親の使命だと思い返してもいるのです。

オリンピックの夢

2015-05-07 13:16:46 | Weblog
被災する地域がでるたびに 必要になる建設資材。
その需要と供給はいまどうなのだろうか たくさんのトラックが行き交うのを横目に
ふと考えてしまう。

多くの公立病院が建て直され 高層ビルも次々に建っている
高速道路多くのトンネルや堤防もメンテナンスが必要 高層ビルだって
何年後にどのようにメンテナンスしていくのか 考えられているのだろうかと。

秩父セメントのトラックもめきり減っている。
こどものころ建てられる家は 節のない杉の柱だった
今では 全くと言って見られない。

そんな時代にオリンピック需要にもこたえていけるんっかと

実は妄想は 廃材に
多くの空き家がことし処分されていく条例がはじめられているらしい。
そこには 細かいが 長年家を支えてきた木々が ごみとして廃出されるだろう。
そこで ちいさな廃材を組み合わせて建設できる工法が採用されるといいな。
燃やせば廃材 いかせば資源 って。
ドームハウスなんて いいとおもうんだけどなあ。