楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

心の棚

2019-01-29 11:32:58 | むかしばなし

親であることは 学校の勉強のように結果が出ず 連続した時間に心が埋もれ

状況が見えなくなることも多いものです。

自分でさえ 理に基づいて心を把握できないのに 子供は別の人格ですから 所作や反応をみても理解不能なことも 多いものです。

30歳すぎまで 人格の形成にかかわればよく 慌てることはないと 自分に言い聞かせていても

子供の できないことは気になり 良い結果 自分の期待に応えてくれる状況を 求めがちです。忍耐と観察力洞察力がいりますね。

厄介な子育てですが おかげさまで 一時預かりの心の棚を設けて 時折

自分が気分の良いときに整理する そんなくせがつきました。

 

自分ができないことや 避けたいことは 意外に瞬時に決まっているものです。

私は 大学で薬理学の実験をしたとき どうしても動物に感情移入してしまうので

薬学を進まず病院勤務を目指すことにしたものです。

 

結婚した時も 主人にしっかり働いてもらうため 自分が働くのをきっぱりあきらめました。

きっぱり決まり 一度も後悔したことはありません。

 

自分が壊れてしまいそうなことは 何をおいても避ける必要があります。実は すぐ決まっているんです。

 

 でも 長い主婦生活で 社会で認めてもらえない感じは 結構鬱々としました。

社会参加したい気持ちとか

誰かに協力してもらう方策とか 心に何度も浮かぶ欲は 

棚を設けて 時折自分の状況を眺めまわして 徐々にできることを探して決めてきました。

 

子供が6歳になるまでは 将来の不安と 現状の不満とで よく図書館で教育書 育児書を何故かひそかに読みあさったものです。でも答えてくれる書は ありませんでした。子育てに正解はないんですね。

読みあさって拾った知識は 生涯の人格形成の核になる体験が 子供には必要だということでした。

まったくつらい思いをしたことがなければ 想像することすらできぬのだから 言葉で説明しても 無理だということでしょうか。

命をおとさず 良い体験ができるよう 祈るしかありませんでした。

 

小学高学年になれば 子供のやりたいことが 見つかるのか 判断を誤っていないか はらはらしたものです。

 

そんなとき

舅から学んだのが 親である覚悟だったようにおもいます。

ダメな子でも いい。 いやなことは 親子で避ければいい。

親は 黙ってもくもくと 生きればよい。といった感じでしょうか。

打って出るべき親の出番を 舅は逃さない人だったようにおもいます。

さらに 困りごとを心の棚に預けて のらりくらり過ごし

好転する機会を待つ そんなことを 今も教わってる気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 


フードプロセッサー

2019-01-29 00:02:30 | 日本文化

以前 母が扁平苔癬とかで食事がままならず 柔らかいものでないと食べられず困っていました。そこで 購入してみたのが フードプロセッサーです。

野菜も粉砕して和え物のし 肉も柔らかハンバーグにし 

便利に 安全に使えるようでしたので プレゼントしました。

娘には離乳食用にと 3台も買ったのです。

 

私は これで もう6年 何かと便利に使っているのでお安い買い物でした。

先日 ガラス容器を床に落として割ってしまったので 部品購入し ついでに刃も購入することにしたのです。古いほうも使えていたのですが よくみたら 刃の溝がなくなっていました。回転してくれるうちは 新規で購入しなくても良いかと。

餃子もシュウマイも あっというまですし 大根おろしも 水っぽくはなりますが

早いです。

 

なにより 母が食事ができて回復したので フードプロセッサーさまさまです。

 食べることの重要性を 本当に実感しています。

咬めないときは 粉砕してでも食べるべきです。

 

 


日々の営みから

2019-01-27 15:20:29 | 日本文化

英語が小学生から学べるようになり プログラミングが楽しめるようになるそうですね。

でも 60歳になったおばあが思うに 本当は 学校で覚えたことだけではなく 日々の営みの中に生きていた情報も必要でとても役立つのです。

それは 重要な公園の管理を任されていても 松と梅の剪定の区別ができないようになっている今

着物を着ても 洋服と区別して所作をかえて 着こなしができないようになっている今

この国の形は のこるのだろうか。大丈夫なのだろうかということです。

日々の営みで感じたり学んだりする機会が 学校の勉学とやらで四苦八苦するうちに失われつづけ 結果 国の個性も失われ継承できないようになっていはしなでしょうか。

誰もができるようになってほしいことと 誰もが理解していてほしいこと 誰かができるようになってほしいことは 学校教育で一律に学ぶべきなの。

伝える場も 伝え方も 学ぶ場も 学ぶ方法も それぞれ向き不向きあり ちがっていていいのではないでしょうか。

時間も場所も 国全体としては 日本人の営みを失わない工夫が必要ではないかと 思っているのです。 

  

学ぶ場がいろいろあって いつ学び始めてもよいのに 誰もが同じように学び 並べぬものは行き場がない そんな学校教育のままでいいのでしょうか。

 

ご飯をつくれること 洋裁や編み物ができること 

釣りができること 鍬が扱えること 

昔は誰もが出会い 何かしらできて当然だった ささいな日常です。 

日々の日常で できるようになることが あまりに

おろそかになりすぎなのでは ないかと思うんです。

 

 

 


教育と生育

2019-01-22 00:50:28 | 日本文化

実は 学校教育はどうしても 生活から離れたカリィキュラムになりがちです。

いまや女性は 子育てに専念して人生を全うする時代ではなくなりました。

安全にすごすためには 子供たちは 限られた環境で 守らねばなりません。

社会との接点も買い物でさえ 人とのやり取りを経験できない状況のような気がします。

虫とのつきあいも 魚とのつきあいも 植物でも 実体験をとおして付き合い方を知る機会が

圧倒的に減りつつあります。

難なく大人になればやがて理解しできるようになるかといえば 

ならないという結論にいたっています。

さらに ゲームが楽しい気持ちにしてくれるはずなのですが

楽しんでいるはずが脳の一部を焼き付けるように使いすぎるようになる弊害や

文字を猛烈なスピードで読むくせになり フリーズ状態を脳が起こしかねないことも懸念されます。

学校で学べないことを 実体験して育てる機会を 地域の一般人で運営する施設で

持つことができるようにしてはどうかなあ。と考えています。

 文部省指導の学校と別に

 親たちや近所のおばさん叔父さん 地域の企業が 将来を担う子供に 知ってもらいたいことや 生活力をつける場を 用意してはどうなんだろうか。

言葉で説明されて知ることと 実際にふれて体験してしることと 両方が必要ですよね。

 

時には 消防士さんや お巡りさん 漁師さんや農家さん お店屋さんや工場長さんに

児童館に参加してもらうとか。 大人に 子供のころの遊びを教えてもらうとか。

  年齢に応じたプログラムを地域でたて 子供と相談して運営できる場が 必要なのではないかとおもっているのです。 

社会で活躍する人を育てるには 社会で幼いときから活躍の場を想像出来たり実感できるほうがよいとおもうのです。ゲームより面白いことが実体験には たくさんあるはずです。

学校での勉強も経験すればイメージ力がついて理解が進むし 自分に自信がもてて 自分をよく理解できるようになるのではと

おもうんですよね。

人手不足は 幼いときからの人材育成で 解消するべきなのではないでしょうか。

 

 

 

 

 


ベルマーク

2019-01-20 22:26:25 | むかしばなし

孫ができ 娘夫婦が豊橋で宿泊し 新幹線の遅れで利用した

ココニコという子育て支援施設。

今年は 婆ばも参加してきました。

ココニコは 質の良い遊具で 親も子もたのしめ 料金格安なのが すばらしいです。

こんなところが千葉にあれば 毎日行くというのが 娘の談です。

 

そこで目にしたのが ベルマークを集める箱です。

私が子供のころ 昭和40年でしょうか

学校の児童会活動で たくさんのベルマークを企業ごとの集計用紙に一枚一枚貼り

トータル計算して送付していたことを思い出しました。

目標達成して備品をもらったような気がします。

チリも積もれば山となる そう実感したものです。

 

マヨネーズや菓子など 今もマークがついていることは認識していましたが

自分の子供たちの育った学校では 集めている様子はありませんでした。

助かったといえば そうなんです。

 

もう少し あたらしい方法で効率よく点数を集められれば 再燃するかもしれません。

協賛してくれている企業は今でも結構たくさんあるようなので

子供たちの役に立つ運用ができるはずです。

時間のある年寄りが協力すれば 児童会とかの運営にも役立つかもしれません。

 忙しい父兄が増えて ベルマークを貼る作業など無理でしょうから

 

ロットと期限と バーコードとマークを 購入時のお店で寄付をできるようにする。

個人が希望の教育団体に協力する申請で 寄付できるような仕組みにすれば

すごいお金が集まるかもしれません。

道路や橋 ビルに 使わないで

 子供たちのためだけにつかえるお金は

貴重だとおもうんですよね。たしか 児童館たりない 国のお金もないんですよね。

 

さっそくできることから

 こつこつベルマークを集めて ココニコに協力しようと思います。

 

 

 


老いてこわれても自分

2019-01-17 14:24:06 | 日本文化

最近衰えてきた自分です。

で 私の幼いころ付き合ってきた年寄りたちのことを 思いだすのです。

毎日 仏様に祈る人 まったく起きれなくなった人

老いてゆく過程も 出来ることできないこと それぞれで 一人として同じ人はいません。

しかも その人となりは 一貫していて 一見壊れていても 好きなものが若いときから同じとか 大声は出さないとか 特徴があったように思います。

 

80歳代まで生きられるかは別として 老いた時のためにも

少しでも良い習慣を身に着けるようにしないと いけないような気がします。

創意工夫は 老いてもすべきですが 悲しいことにできなくなるかもしれません。

でも 習慣として身についていていれば 老いても できることがあるかもしれません。

 


90歳でもスマホ

2019-01-15 22:35:37 | むかしばなし

最近はパネルで注文するお店が増え 90歳になる母は残念がっています。

若い人でないと できないとか言って 悔しいらしいです。

私も やればできるんだから と言いつつ

待って やらせてあげればよいのに 自分も画面が見にくいと 注文しずらいので

つい どんどん注文をすすめてしまうのです。

 

以前から 90歳になっても クックパットとかの 料理の検索がうらやましく あたらしいスマホが持ってみたいらしいのです。

 孫に頼むにも若い人には年寄りにつきあう時間がなく スマホが電話として自分が使えないと困ると スマホ切り替えを あきらめているようでした。

 

ところが ガラ携帯が古くなり 電池が消耗してすぐ電池切れを起こしてきました。

 新たに同じ携帯を購入すると随分安い運用ができるというのです。

で とりあえずガラ携帯を新しいもので所有して 

さらにスマホをパソコンとして購入したら いつでもサポートしてもらえて使えるようになるかも。

というのです。

ちょっと考えたら 忙しい電話会社に つきあってもらえるか、とも思いますが 

とにかく意欲と したたかな考えに驚きます。 

聞かれる立場になると 気の毒な気もしています。

 自分が90歳で できる状態ですごせるか疑問です。

 

 


新しい炊飯器

2019-01-13 08:56:47 | むかしばなし

サンヨーの炊飯器を使ってきましたが もう修理はできないし

お米の立ち上がりがなくなり 買い替え時期かと思っていました。

 このところ家電量販店では高値の炊飯器が並んで かといって

2年で買い替えることになる炊飯器も残念でと迷っていたのですが

少しその中間と思える商品が並んでいたので 購入することにしました。

 

娘は徹底的に検討して 長く使える良い商品を購入しています。

私にはそんな能力はなく 時代が必ず以前より驚くほど良いものになってきた時代でした。

なんとなく買っても残念に思ったことはありませんでした。

 

でも最近5年ほどは 残念なきもちになることが多くなっています。

まだ 購入したばかりでわかりませんが

 炊飯器なのに 玄米 発芽米 雑穀米の炊飯機能が 別途用意されていません。

 

基本は同じなので 良いのかもしれませんが えーって

 

炊飯器の底は 丸くなっていることが多く コメの対流をうながすためだと思ってきましたが

フラットに 熱が多く当たるようになっています。

これも 吉なのでしょうか。

 

炊飯器を購入するにあたり お店のひとに聞いたのですが

まさか そんなに機能が削除されているとは思わず 

見た目でかってしまいました。

 

またしても ドジを踏んだと 思っちゃっています。

グローバルって こういうことなんですね。

 

 


庭に蛇

2019-01-11 16:13:59 | むかしばなし

暖かいのか  お隣の庭から我が家の溝への排水口から きょっこり

太さ1.5㎝ 長さ30㎝ほどのちいさな茶色のへびが テヘへってな顔をして出てきました。

蛇は大の苦手ですが小さかったので出てこないよう まわりの植物を抜いておきました。

子供のころ 夏は草むらが深く 蛇とは知らず尾を踏んで 足にとぐろをまいて絡まれたことがあるんです。蛇も驚いたでしょうが 飛び上がって家にかけこみ外してもらった。

咬まれずにすんだことが 不思議です。

 

庭に皿と排水口のゴムの蓋で目玉のように置いているのですが

鳶やカラスが来ない効果があるようです。

ちいさな小鳥が花の種を安心して食べに来ていたのですが その卵を食べるのでしょうか

蛇がでるとは 残念な。蛇も卵をどこかで産んだとなれば まだ他にも存在するわけです。

わずかな人間のすきまに 生活して生き延びているとは驚きです。

毎日猫が通るのですが 働いてもらえると助かります。

 

 


きれいって どんな状態

2019-01-10 01:25:36 | むかしばなし

内海のちいさな漁村で育ったのですが 

子供のころは 伊勢湾台風後 できたばかりの堤防に波けしの石が海側に並び

大量の生活ごみが山になっていたものです。

そのごみの山を越え ぬかるみの泥場を超え 砂浜に出て アサリを拾ったものです。

今では ごみの山はなくなり 多くの水鳥が休んでいますが

シオマネキは全く見かけなくなり やどかりも見かけず うなぎも取れなくなりました。

 

今日は 裏の家の3mもあった垣根が整理され さっぱりしました。

そのため ヤマガラも ヒヨドリも ミソソザイも 大騒ぎです。

ねぐらにしていた林の様だった垣根が 無くなったからです。

明日からは ちちっと口を鳴らしても 寄ってくる鳥はいないでしょう。

環境の急変に住処を失う動物は 大変です。

それは 人間からすれば さっぱりしているほうがいいのでしょうが

どこにも決まった住居のない動物は 死んで逝くしかないですね。

考えると 昔は 汚いようだけれど 多くの動物をかかえて人が住んでいて

地球全体からすると どうだったんだろうかと 思い起こしています。

動物の営みが 土をつくり 植物を育てるわけで

動物を全く排除してしまうと ぱさぱさの土になり 植物は減り 砂漠のようになるわけで

現に 30年前コンクリートで立てた家は 水回りで大きく土が崩れ 取り壊している家が多くあるようです。 

草も生えぬということが きれいということなのだろうか。

きれいって どういうことなんだろう。