母の裁縫道具入れに 5㎝高さ幅5㎝ 縦8cmの針山が入っていました。
あまりに 黒い柄の布でこんもり山になっていて 汚い感じになっていたので
解体して捨てようかと 中にたまってしまった針の残骸を取り出すことにしました。
針山の中身は人の髪で お饅頭になっていました。
掻き分けて針を取り出し始めると 出る出る 100本は優に超える待ち針の頭がとれた針です。あまりの数に 汚れも落としたいと シャンプーすることにしました。
シャンプーすると 大おばあさんの若い時の髪の毛の様で するする つやつやになりでてきました。遺髪を残すといった 昔の慣習が なぜだったのか 理解できる気がします。見事に 若い時の細胞が 髪の毛に残っているきがします。
汚いはずの古い髪の毛が 懐かしいと思うのですから 私は異常かもしれません。
どれだけ 針仕事をしたか 針山が教えてくれました。
使い残しの待ち針の数でも想像がつきます。
大おばあさんの仕事ぶりは 朝 着物の裁断をすると その日のうちに 裏もかけて 仕上がってたというのです。
その速さも 段取りも すごかったのでしょう。
貧窮時は 訪問着も 喪服も仕立てして 家計を維持したらしいです。
そして もう一つ驚きました。
洗っても 針が抜け落ちでこないのです。
針は髪の毛に絡んで 洗ってもぽろぽろ出てくることがありません。
昔の人が 針山をあやまって洗い場で洗っても 針が抜け落ちない。
さらに 針山の手入れをして 洗ったとしても 簡単には針を見落とすことがないそんな理由が あったかもしれません。
ただ詰め物の中身 そして 針の錆止め そんな理由のほかに
この 針を抱き込む習性を信頼して 針山にしていた気もします。
今よりも 椿油で髪を結っていたのですから 滑りがよいという理由が大きいとは思うのですがね。
60年ほど前の小学校の 私の針山も ついでに壊してみたところ
ボール紙の上に 人の髪がはっていました。
学校の教材として購入したものであるのに 人の髪が中に入った針山というのに 驚きました。
当時はまだ 針山は人の髪を使うことが 常識だったということでしょうか。針山から針を落としにくい そんな願いもあったかもしれません。
なにせ 針を体に滑り込ませてしまうと 神経や血管を通って あっという間に走って 神経がマヒを起こしたり 脳血管まで達すれば 命の危険が及ぶとか 危険なものであることは いまもかわりません。
本数を決めて 針山にさし 決して見落としのないよう 扱う必要がありますものね。
こんなふうに 今では 忘れ去られる常識や 工夫も 残していきたいとも思う婆ばデス。