大人になれば 学校教育から解放されているかのような気でいました。
でも どうも評価とか 人選とかの機会に 学校教育の手法が生き残っていて
人材を埋もれさせる原因になっているかもしれないと 思うことがよくあります。
例えば ある人物を雇用するか否かを考えるとします。
雇用するかを決めるのに 書類をもって 評価されます。
人物も全体像や おかれてきた環境とか 履歴書の決まった書式です。
雇用に値するか 雇用にこたえてもらえるかで決まります。
でも 狭い視点で人物を観察すれば 決めるのは簡単ですが
その後の勤務がどのようなものかで 貢献度は変わるわけです。
狭い視野で人物を評価し 向き不向きを無視して雇用しているとしたら
残念なことです。
貢献してくれるかどうか 即戦力 長期戦力 やってみて決まるのが より良い気がします。
昔の徒弟制度で 親方の仕事を見て 自分の意思で仕事をみつけて 伝承したのは 悪いことばかりではない気がしています。
説明を聞いても 自分のものにできるのは 実際やってみて 失敗を重ねて克服するものですから 学校のようには いかないものです。
でも 雇用を決めるときは やってほしい仕事が先で 人物を使ってみて使える雇用場所を雇用を求まる人物に提供する企業は 少ない気がしています。
学校でも 教えたいことが先で 教わりたい希望をかなえる場所ではないように 企業も雇われたい人物に 居場所を提供するのに 希望を求めることは少ない気がします。最近では 雇用契約前に 実際に働てみることもあるようですがね。
できの悪かった子供のほうが 長年教師だった父に 手紙をくれたり病気見舞いに来てくれたと 父が言っていました。すぐに役立たずとも 長く勤めてくれるのも メリットの一つです。
そして出来が悪いことが 実はメリットを生むことは 多いものです。
不器用だと失敗も多く 失敗することがよくないことのように思うことが多いのですが 実は失敗すると必ず弱点が明らかになるので 改善が進むことになります。できの悪い人を嫌うより 失敗を最前線にすることで 全体の底上げにもつながります。無駄を失敗だからと むだにしないと 実は社会全体の底上げができることに なるかもしれません。
不器用な人に見えて 実は急成長することも
人当たりが悪いように見えても 誠実が功を奏したり
あるんですよ。人間はだから面白い。
学校も無論 身に着けてほしいことはいっぱいでしょう。
でも 教えたいことが先ではなく 教わりたいことに応えることが 多くなると いいような気がします。
すると 雇用の募集も 雇って働かせたいから
雇われて これをして稼ぎたいに応える募集にかわるかもしれません。