楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

高速ジャンクション3車線で

2020-10-27 21:49:58 | 調理
毎月一度 コロナ感染回避のため 名古屋高速を走ります。

それで 二度 三車線道路での車線変更で ウインカーを出して中央車線に進入するとき 中央より外の車線から 中央に変更する車に 出くわしています。
二度とも 頻繁に車線変更を繰り返す お急ぎせっかち運転者でした。
今のところ 気づいて 車線変更をとどめて 事故に至っていませんが
いまだ その疑問と不安は募るばかりです。

運転アシストサポート機能は こんな時も機能するのでしょうか。

五車線が並ぶ本線と支線が分かれるところです。
短い距離で 混雑する車列を中央まで車線変更してはいらないと
目的の降り口に到達できません。
難所ですから 緊張してよく確認するのですが 急変更して我先にとお急ぎの方をとらえるのは 難儀です。
 どうやら慣れた人は 楽しいらしく かいくぐって 右左自由に車列を変えて 早い展開をするようです。

スピードが速いので 私の方がもっぱら後ろなので 接触すれば不利ですよね。じつに 怖いです。

当分前から 五車線の車の動きをバックミラーで見て記憶し 慎重に変更するか
 変更できなければ もう一周するつもりでいないと 安全に走行できないのかもしれません。



 

雇用と子供の教育

2020-10-17 11:59:10 | 調理
大人になれば 学校教育から解放されているかのような気でいました。

でも どうも評価とか 人選とかの機会に 学校教育の手法が生き残っていて
人材を埋もれさせる原因になっているかもしれないと 思うことがよくあります。

例えば ある人物を雇用するか否かを考えるとします。
雇用するかを決めるのに 書類をもって 評価されます。
人物も全体像や おかれてきた環境とか 履歴書の決まった書式です。
雇用に値するか 雇用にこたえてもらえるかで決まります。

でも 狭い視点で人物を観察すれば 決めるのは簡単ですが
 その後の勤務がどのようなものかで 貢献度は変わるわけです。
狭い視野で人物を評価し 向き不向きを無視して雇用しているとしたら
残念なことです。
貢献してくれるかどうか 即戦力 長期戦力 やってみて決まるのが より良い気がします。

昔の徒弟制度で 親方の仕事を見て 自分の意思で仕事をみつけて 伝承したのは 悪いことばかりではない気がしています。
説明を聞いても 自分のものにできるのは 実際やってみて 失敗を重ねて克服するものですから 学校のようには いかないものです。
でも 雇用を決めるときは やってほしい仕事が先で 人物を使ってみて使える雇用場所を雇用を求まる人物に提供する企業は 少ない気がしています。

学校でも 教えたいことが先で 教わりたい希望をかなえる場所ではないように 企業も雇われたい人物に 居場所を提供するのに 希望を求めることは少ない気がします。最近では 雇用契約前に 実際に働てみることもあるようですがね。 

できの悪かった子供のほうが 長年教師だった父に 手紙をくれたり病気見舞いに来てくれたと 父が言っていました。すぐに役立たずとも 長く勤めてくれるのも メリットの一つです。
そして出来が悪いことが 実はメリットを生むことは 多いものです。
不器用だと失敗も多く 失敗することがよくないことのように思うことが多いのですが 実は失敗すると必ず弱点が明らかになるので 改善が進むことになります。できの悪い人を嫌うより 失敗を最前線にすることで 全体の底上げにもつながります。無駄を失敗だからと むだにしないと 実は社会全体の底上げができることに なるかもしれません。

不器用な人に見えて 実は急成長することも 
人当たりが悪いように見えても 誠実が功を奏したり
あるんですよ。人間はだから面白い。

学校も無論 身に着けてほしいことはいっぱいでしょう。
でも 教えたいことが先ではなく 教わりたいことに応えることが 多くなると いいような気がします。
すると 雇用の募集も 雇って働かせたいから
雇われて これをして稼ぎたいに応える募集にかわるかもしれません。  

 

母との時間

2020-10-15 21:41:23 | 調理
90歳と65歳の親子が 今日も日常を楽しめました。
 畑や家事で より便利に快適にと 工夫しあえていることが 主人が亡くなり 主人に見放されて失ってしまったような心を 癒してもらっています。

地面に両足を投げ出して子供のように無邪気に草を取る母親を見てると
こんなにもたくましかったんだとか 驚いたりします。
招かなくなった指をなんとかして ボタンをはめる長い時間 子供の時は待たせてたのは自分だったと 思い起こします。

夢中になると 何事も 飲まず食わずで 予定を自分で設定すると何が何でも実行するところは 多少の譲歩はできるようになりましたが かわらないなあとか。予定をもたない子供の私に 今日は何となにをするのか 決めなさいと叱っていたものです。
そして なにより年老いてきた今 その先を生きる母から年を取ったときの工夫を見ることができるのは これから役立つかもしれません。
何事も 目の前で見たことがあるというのは 困ったとき映像でよみがえり
人生の節目で救われてきています。

関わることができる幸せが 待っててくれていたとは 長生きをしてくれたおかげであり 生きてこられてよかったです。



芋の収穫

2020-10-13 22:55:00 | 調理
暑さはまだですが それでも九月のようなことはありません。
そこで母と畑にでかけました。
久しぶりの 畑です。薩摩芋ほりをしました。

これが 今年は梅雨から夏にしっかり雨が降り 暑い夏が続いたせいか 芋が大きいんです。スコップや鍬で掘るのは重労働です。そこで 杭で掘すことにしました。
工事用の50センチの杭で 一株掘り ぼちぼち寒くなるまでに済ませます。 堀穴に苗床の小さなキャベツを三本植えてきました。
杭で掘ると 鍬切れせず 杭で地面を持ち上げるようにすれば 簡単に芋ほりができます。
草取りも 根の中心が1っセンチも持ち上がれば 雨あがりならばススキでも 簡単に抜けます。
マルチしてあるので キャベツも 豆や芋の後小さな苗なら 植え替えれば成長するはずです。

今年は 種まきに成功し 冬までに順次草取りできた場所に移植して 野菜がたっぷり食べられそうな期待をしています。
いま 人参 水菜 青梗菜 ほうれん草 葱 白菜 キャベツ ブロッコリー 玉ねぎ
これらの赤ちゃんが 五本の畝の苗床で 植え替えをまっています。
その他の場所は コスモスと 苺と オクラ 菊芋で 草ボーボーです。
結局 90歳の母が ぼちぼち植え替えてくれることになりそうですがね。
母は背中も日焼けしてるんです。

軍事力より食

2020-10-13 22:29:06 | 調理
イージスアショアとか物騒なものの配備で政治家は
頭を悩ませているようですが
以前に兵糧がなければ 国を維持できないことを いやというほど経験したはずです。
ところが 種も苗も輸入し 工場のようになってゆく農業です。
どんどん高齢化する農業従事者 外国人労働者で維持しているのでは
植物の劣化がおきないかと 心配になっています。

昭和50年代のころ 種を購入すれば発芽率は書かれて通りでしたが 最近は
種自体も貧弱になり 発芽率もあやういものも出回っているようです。
農業試験場での取り組みも国を挙げてやっていた気がしていましたが
今では そんな話は聞けません。

国を守るには まず食ですよね。
種が高騰していることに 心配しているんです。
コロナ禍で 何が起きているのか よくみないと 
うっかりしていてでは すまされません。 



マスク消毒液大丈夫なの

2020-10-09 20:29:25 | 調理
買い物に出かけると 少しきにしているのが 消毒液とマスクの購入です。
コロナ前は コーワのマスクがお気に入りで 息子の仕事に 私の主人の看病に用に いつも購入していました。
そして 消毒用エタノールも お安い値段で購入できていました。

ところが いまやどのマスクが信頼できるのか 薬局方の商品なのか 消毒液と称して日用品なる商品まで出回っているようです。

このまま この状況で 第三波となって 大丈夫なのでしょうか。
信頼できる商品なのか いろんな物が ごちゃまぜのようなきがしてなりません。商品があればよいではなく 信頼できる体制に 戻してほしい気がしています。
良い商品を示す指標なるものが あやふやになっている気がして
主婦は心配になっています。

移動と思考

2020-10-07 10:12:22 | 調理
いつも いらぬ妄想が浮かぶのが 車の運転中 電車の移動中なのです。
毎日の積み上げなる書き込みや メモ中は とても役立つのですが
突飛な妄想に走りそうになるのは いつも移動中なのです。

集中が求められる運転中に 多くは消えてゆくのですが 
そうしても忘れたくない時とか なんども繰り返し同じ妄想に走れば
ブログにあげたりしています。

毎日の生活で 繰り返し作業や情報をあたることも 楽しいですが
ポーンと生活感を解放した時 人は新たな発想にいたるものなのかもしれません。


銀行と相続

2020-10-07 09:36:08 | 調理
主人の預金を相続して 銀行の経営方針とか 引き継いでいる理念とか なぜか思い起こさずにはいられなくなってます。
今まで どこに預けても 日本の銀行ならそう違いはないと たかをくくってきていました。
でも この金利がつかず 預ける価値がわかりにくい時代になり ネットで実態のお金が見えなくなってくると 銀行の個性が出てきているような気がしました。

以前浜松に住んでいたので 浜松時代は 浜松信用金庫とか JAバンクとか
静銀にお金を置くことが多く 実家とのお金のやり取りで 当時は東海銀行とか
郵貯も使っていました。
でも 引っ越せば困るかもしれないと 解約した銀行の方が多いです。
相続して それは正解だったと感じてます。

農協の預金は 引き出しはJA間でやり取りできても サービスはご当地ということでした。
同じ県でもご当地農協でないと共有しませんから 土地を離れるときは解約して次の住所の農協にしてきました。

信用金庫も 借家の送金に使われることが多いですが 引っ越し時に解約して次の住所でご当地の信用金庫をつかいました。

で なぜか 静銀はその経営の手堅さが気になっていましたので 少しの預金を残して ネット決済に使ってきました。
主人の分は カードを作らず 非常時の預金として 少し預けてきていました。

すると 相続して即日手続きできたのは しずぎんだけでした。
ネットでの 不正請求も なんども引っ越ししたのにも関わらず 一度もありませんでした。

大手の銀行でも なんども不正請求の事故を起こしてきたので それがない静銀に信頼はあつくなりました。
大手でも 相続で凍結している口座が 引き落としされているかもしれないから 預金通帳を持参してくれなければ 手続きできないとまで 言われたりしました。窓口の人の誤解かもしれませんが ちょっと残念な。

本来 銀行はどの役割が重要か
見直ししてほしいものです。
 信頼できる日本の銀行であれば 
ネット決済や 信販会社に振り回されることなく 生き残れるかもしれませんよ。お金というものが 実態とかけはなれているから 起きてることを見抜いて
実態とすり合わせられる信頼できるお金を扱えばの話でしょうかね。

データというものの本質

2020-10-05 23:52:31 | 調理
いろんな日常をブログに書き込んできましたが
どうやら 記憶記録という点では 物に勝るということは なさそうな気がしています。
手紙や書類でのこっていると ふとした機会に目にして 思い出すことができます。でも データーで膨大となると もう振り返ることは減り 電源を入れて能動的にならないと残らないデータで 記録したと思っても どうやら一瞬にして存在があやしくなるような 不安があります。

デジタルは あくまでも道具 
ツールの一つであって 活かすも使うも使う者の能力次第というわけです。

阪神大震災の時 人工呼吸器が止まり 納戸にあった鞴で息をつないだと聞いたことがあります。
水害時 仕事の倉庫でパソコンが水没しました。 伝票をすべて手書きでしたことがあります。究極の事態は アナログが役立つようです。

病気で入院した時など ハンコがいらなくと ありがたいですが 何もかもデジタルにするのは 控えた方がよいと 老婆は思うんです。
 東証の事故も 神様のお知らせのようなタイミングでした。

そうそう データーを非常時に使えるようすべてすり合わせ 厳重なセキュリティーでリアルタイムなものを用意し 常に書き換える。
実生活は ある程度 証拠の残る紙で 確認保存してはどうかしら。

いざ非常時や 困窮者の救出には データ情報を使う
その際には 個人的に許可を得るってのは どうかしらねえ。
得る