楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

妙な組み合わせの料理

2017-11-29 13:58:35 | 日本文化
里芋や蕗が出回る時期になってきました。
そして ブリのあらが250円で手に入ったので 大根と煮物にしようと
購入してきました。
アラは グリルで火を通し 大根を煮る水でクラクラにごるまで煮て
出汁を取ります。アラは取り出します。 

なんせ 家族に頭が入っていると気になる人がいるのです

この出汁に 昆布 大根などいれ 薄味でも 濃い味でもそのときの
好みで煮ます。

アラは身をほぐし 里芋といっしょに 濃い甘辛で煮てみました。
すると 里芋がどうも 黒ずんでこない気がしています。
アラは里芋のぬめりで ぱさぱさになりません。
仕上げに それぞれ別に煮切って汁気をとばして アラはご飯かけ用に瓶詰に
里芋はホウレンソウと付け合わせにしました。

蕗は東三河は産地でもあります。
小さな時から 正月に煮物にして食べてきました。
でも残念なのが 色が黒ずみ悪くなることです。
そこで 生の紫蘇の葉が冷蔵庫で眠っていましたので
煮汁に放り込んでみました。
すると 香りも良くなったし お互いの邪魔もしていないし
ほんのり色がよいような気がしています。

正月の定番料理を少しひねって加えてみようかな。 



おのれのペース

2017-11-27 23:42:03 | 日本文化
人生は学校のように 計画通りにはいかないもの。
予定を立てて計画通り活動できるのは 調子のよいとき 充実した時期です。

頭のなかで成功するだろうと計画するのは
ある種 妄想のようなものだとおもっているのです。

ところが 今の世は 旅行も計画通り 病気やけがの治療も計画通りにと
予定を立てて対応するのが一般的となっています。
物が売れる予定が立てられなければ 商売でさえできません。
予定は変更してこそ 人生はおもしろい。ところが 計画が自分で立てられないとしたら
その責任はどこにぶつけるのでしょう。

じつは姑は大腿骨のケガで術後のリハビリ計画なるものが実行され始めました。
そしてその計画とやらが 90歳を超えた老人にも
元気に必ずなる計画として 予定が組まれています。

待ってくださいよ。 何事もうまくゆくとは限りませんし
ましてや 90歳をこえて 栄養の吸収も悪くなっているうえ 運動能力の衰えは
一日で恐ろしいほどやってくるものです。

どんな介護でも どんな障害でも 己のペースを自分できめて
少しづつ改善していくことが大切で 介護士の決めてくださるペースで
ことを運んで うまくいくとは 限りません。
予定はあくまでも 予定で 人生の終盤に追いつめられるように
決められるリハビリ計画は大変そうです。
痛んだ足で立ち上がる大切な訓練ですが 過酷で大変そうな姑です。

そう そしてけがを避けるために
90歳過ぎたら自転車よりも 歩行補助カートです。

落ち着け落ち着け

2017-11-27 00:24:26 | 日本文化
人間動けなくなったり つらい痛い困った状況の時
時計が必要です。
冷静な自分 目標を持つ自分を 確かなものにできるからだと思うのです。
最近の病院は 病室に何も置かない かけないすっきりとして落ち着けるよう
病室が作られているようですが ちいさな時間がわかるもの
いやされるかけものが 少しあったほうが 気もまぎれるとおもうのです。

現に 姑も一番先に 腕時計が欲しいといいましたし
以前舅が入院した時も かかさず腕時計をしていました。
体内時計と 自分の感覚を確かめて 
今までの規則正しい生活を維持していたのかもしれません。
結構自分を維持するうえで 重要な気がしています。

姑が 日によっては 困らせるような発言が多くなる日があっても
多分理由あっての事 前日の看護師さんとのやり取りとか
部屋の人とのやり取りとか トラブルがあった時が多いように思います。
多分 やつあたりでも したくなっているというわけでしょう。
心の傷を広げることが避けられて
 落ち着けば回復して日常を取り戻せることがあるので
おちつけ おちつけ 困った話は聞かぬこととします。
 周りの人の気持ちを 少し小出しに代弁してみて
話半分にやりすごせると
あくる日には 何食わぬ話ができる状態に戻っていたりします。

相手の話は尊重し聞いていたようにするけれども 答えられぬことは返事をせず 
その場を去ることに 徹しようかと思っています。
あまりに困ることで どうしようもないときは 
きっぱり一蹴できることばを探し放ってはなれるしか
ありませんでしょうね。


姑の災難

2017-11-24 23:41:35 | むかしばなし
主人の日曜参観が 姑が一人住む家に続いていました。
ところが 水曜日 自転車に載せてゴミ出しをしに 自転車ごと転んで
とうとう 二本目の大腿骨手術を受けることになりました。
今後はどうなるか 本人 とても不安そうです。
主人次第ですが 自己主張の強い 筋金入りの姑ですから
世話に奔走するにあたって 心しないと自分を見失います。

姑に以前から 乳母車で 生活移動をするよう勧めていたのですが
いただいた乳母車はお蔵入りでした。
そうはいっても 自分で足腰のメンテナンスできていたのです。

どうやら姑はせっかちで 四十代から車でどこでも移動し 夫婦でいつも過ごしてきたために すぐに思うことが運ばないと不安なようです。
自転車が得意ということもあって 90歳になっても
電動自転車を購入して 2キロの範囲なら どこでも移動していたのです。

でも 90歳ですから 筋力体力は衰えていたのでしょう。大腿骨頭部破損です。
自損でしたので 幸いだったとしか慰めようがありません。

姑の様子を見ていて 自分に振り替えてみると 心掛けておくべきだと 感じています。

85歳までに獲得した習慣 危険安全に判断基準は とても重要だということです。
その後は 獲得した習慣を維持することはできても
 あらたに学習する能力が衰えてくるからです。ですから 世の中が便利になれば
85歳以上は取り残されるということです。

自分は そこまで いきれるかどうかは 別ですがね。

整形外科の世界は 目に見張るリハビリテーション力です。
大腿骨の金属補強術は いとも簡単に日常的におこなわれ
14日間で ルーティーンができているようです。
昔は大変で 術後の回復は見込まれないことも多かったものです。
姑が そのスケジュールに乗れるかどうか 
さらなる悲劇が起きないことを願っています。

主人に私の行動や言動が 先行することを避け 思いやりは少し発揮して 
姑のちょっとした勃発する挑発発言に翻弄されないよう 
何事も なるべく 言わず 聞かず 見て見ぬふりして 
過ごして協力してみたいと思っています。

姑の本心は 所詮わかりませんし 思い込んで努力を空回りさせていると
腹を立てることになりますから 達観してことに当たれるとよいのかもしれないと
思っています。




お弁当と夕食の準備

2017-11-16 13:22:52 | 調理
まだまだ朝の食事つくりは 時短への挑戦に挑んでいます。
今日は鶏肉をキャベツ団子と ハーブ焼きにし
酢レンコン 昆布の甘酢煮 厚揚げとジャガイモの煮物
昨日購入し 大根のさっと煮に使用した500円のキンメダイの大きな頭がありました。
汁ものとして 使った残りを今日は 少量ですが箸休めにします。

汁の残りは 厚揚げ煮物の出汁につかい 味に含めて煮切ってしまいました。
昨日の大根汁の出汁につかった昆布は 初めにとりだして 味付けすることにしました。
レンコンの酢煮した酢味のゆで汁で さらに味を調え甘酢煮にしました。
しっとりするし まろやかな酸味になっておいしいです。
金目鯛頭の身は男性は食べないので 私がほぐして甘辛の味を付けました。お茶漬け用です。

キャベツは 上下に切り分けて 上半分は塩漬けにします。冷蔵して使い残り
味が酸味を帯びたら ピクリングスパイスで長期保存に耐えられるようにし サラダやスープなどで使います。
下半分は 葉の部分はちぎってビニール袋で保存します。
残る軸を 簡易フードプロセッサーで粉砕し 鳥の腿半身を入れて粉砕します。
溶き片栗粉大匙一杯ほど 必ず溶いたものを回し入れて ねばりがでるまで撹拌し
団子に丸めてあげました。
ふわふわで 野菜が取れて おいしいです。
粉の片栗粉では 締まるかばらけるかしやすいです。

残りの鳥の半身は あげるのに使ったオリーブオイル少量とったフライパンで ニンジンの葉とかパセリやパクチー ニンニクなど香りのものを炒めておき
魚焼きでグリルしたものを放り込んで後の調理に使います。
パサつかず 生をコンフィするより時短で 
香りのよい鴨ではありませんが フランス料理のカナードのように使えます。

オリーブオイルは 揚げ物に使うともったいないのですが
順次赤パプリカとか しし唐をいためてソースやドレッシングに仕立てたり
玉ねぎ にんじんやゴボウを揚げておいたり ネギやショウガをきざんで放り込んで
瓶詰めにし 料理のバリエーションをふやすことにしているのです。

瓶は消毒が面倒だったのですが 最近網焼きにして冷まして使います。
すぐつかうものには こうして横着することにしました。  

水運

2017-11-16 01:01:37 | 日本文化
最近気になっているのが やはり自動車の電化です。
心配したところで 身を任せるだけの話です。
で 思い浮かんだのが
現代の水運の利用のなさです。
海に囲まれた国なのに 川も水路も用水もある国なのに
水運利用ができていないことです。

空気に比べて 水は重く 動かすのに動力がいるという理由からでしょうが
一旦動けば大量に 意外に早く動くと思っているんです。
水を波打たせて漕ぐだけでなく 潮流を利用すれば
海でおぼれた時 岸に向かって泳いではならない
岸に平衡に泳いでいれば 潮時に一気に岸にたどり着くといわれます。
これを うまく利用して 動力使わず昔の人は 
結構早く移動できていた気がしてなりません。

さらに ダムからの放水を 水道管の古いものを利用して
一気に下流に落とす その水にカプセルで物を運ぶシステムとか
大雨による洪水対策と共に なにか始められませんかね。
 車ばかりで運ばずとも 水運の技術も向上を図りたいですよ。
 昔のまま いや以下では もったいない気がしてなりません。
 

名古屋市の大塚屋さん

2017-11-16 00:13:20 | むかしばなし
主婦をしていた30年前は子供服を買うお金もあまりなく 夜なべをして自分で子供部ブティックなる雑誌を購入し 作ったりしたものでした。
同じ年頃の仲間と 工夫や情報を交換したりして お茶会したものです。

洋裁の技術は学校の家庭科と叔母から見様見真似で得たものだけですから 
困ると友達と よくデパートに購入ではなく 見学に行ったものです。
見返しの縫う手順 裏地の扱いなど 購入ふりして見てくるんです。
最大の功績は カシミヤウールのオーバーコートでした。

そんな痕跡である 新聞紙で作った型紙が 引っ越し残骸から出てきました。
3歳児 五歳児の綿ズボン 6歳女児の入学服 紳士のシャツ 
何度も繰り返し使った家族のパジャマの型紙です。
今より若かった分 几帳面に作った記憶がよみがえり 
懐かしくほろ苦い思い出がよみがえりました。
お出かけの旅費でいっぱいいっぱいだったので
 服は安い時期に購入した大塚屋さんの服地で 
高級にちょっと見える服をねらって勇気を出してワクワクしながら作ったものでした。
よほどたやすくできるが 値が張る定番の寝間着とか
生き地を安く購入して入学式の服とか スーツとかつくらなければ 
買ったほうが安いのでは割に合いません。
で 高い布を一発勝負 裁断に緊張したものです。
失敗すれば 自分の責任 家計に響きます。

今では 型紙はビニールにしたり クリアファイルにしたりできますが
わかりにくいけど 文字列でゆがみがわかるという理由から 新聞紙で型紙をノリで張り合わせて作ったものです。

チャコペーパーまで出てきました。( ´艸`)

そんな折 先日久しぶりに名古屋千種駅近くの服地店大塚屋さんに久しぶりに
出向きました。娘の三人目出産で 対費用として
 久しぶりにパジャマぐらい作らせてもらえるかもしれないと
思い始めたからです。
かわらない風情で当時あった店頭のたこ焼き屋さんかどうかわかりませんが
 お団子とたこ焼きを売っていて 購入してしまいました。うれしかった。
 
 今では 布地の購入単位が30センチという方が多いのですが
お客さんでにぎわっていました。

この激安衣服時代では作る意欲もわかず
服地を購入する人も少ないでしょうが
一時期から 立ち直って 元気を取り戻したように感じました。

日本の女性の洋裁へのあこがれは戦後すごくて それまでも自分で自分の衣服を縫うというこだわりは 歴代培われたいました。
その後の服飾の勉強は 財産だと思っています。
でも 一般の購入者が技術を読み取り評価できなければ 良いものは育ちません。
母や叔母たちが 洋裁指南書を片手に ミシンを動かして 細部にこだわっておしゃれを楽しんでいたことも
楽しい思い出となっています。
サイズ感 着心地 それに自分を美しく装う楽しさは
幼い時から 洋服 被服 服飾を 
知らなければ 楽しむことができないと思います。。



 

才能の開花

2017-11-15 00:26:56 | 日本文化
主婦という立場はもう社会的に認められなくなり 
専業主婦で安穏と生きられない時代となってしまったと感じています。
結婚しても そのことで税制や社会保障に優遇されるメリットがあまりありません。

私結婚して退社したころは 結婚を理由に退社した人は失業保険は支払われませんでした。
今では共稼ぎしないと経済的に不安定という事態が起きかねません。
産業構造が改変する時期だからなのでしょう。

ところがそんな時代でも 社会がどう変わろうと 子育てをし生涯を生き抜かねばなりません。さらに 本気で子育てを考えると 子育てに最低でも十年は要してしまうものです。
十年たったところで製品のように完成というわけにもいきません。
子育て期は社会的に満額働けず うずうずしがちなものです。
社会の評価からすれば目に見えて褒められる成果を
子育てで期待してもかなえられるものでもありません。
学校の成績や評価に一喜一憂しても それで将来が保証されることもありません。
ならば 何を基準に幸せをはかるかという疑問に答えてくれるものは
あるのでしょうか。
それは バランスの良い食事のようなものかもしれません。
おいしいものは 時折食べるほうがおいしいと感じるでしょうし
偏っていても悩ましい事態に陥ります。
ほどほどを どこに求めるかは その人次第ということでしょうね。

今では 実はその子育て期を子育てに専念して 終えて
本当の才能が開花する人も多いかもしれません。

主婦の間に培えば今やお金をかけずに勉強するすべはあらゆるところに存在します。
さらにその気になれば ネット検索してみれば 
身近なところに思わぬ掘り出し物の勉強の場や出会いの場があるかもしれません。

会社の中から会社の人間として働くのもいいですが
 子育て期で 満額働けない時期であっても 
地場のいろんな人との出会いを大切にするのも
重要な人生のアイテムになるように思います。

子育てを終えて 60歳から勉強して 年齢を重ねてさらに
活躍の場が広がってい女性が増えることが いいことなのではと思っているのです。  

お菓子

2017-11-11 20:27:23 | 日本文化
お菓子は時に 人生を救ってくれるアイテムとなると思っているのです。
甘いものを くつろいで おいしい飲み物と共にいただく時間は
人生の苦難にも 貴重な喜びの時も 色どりを添えてくれるものです。

暗闇に一条の光が差し始めた時の ケーキだったり 
人生行きさき真っ暗な時の タルトだったり
別れの時の 羽二重餅だったり 初めての孫との和菓子だったり
自分の人生にも 忘れられぬ菓子が 脳裏に浮かびます。
 
ところが 最近はあまりに日常に購入できるがために 糖尿病とか 高脂血症とか
病気の原因になってしまうと購入を控えることが メディアでは推進されています。
  
でも 特別な日には作ったり購入し もてなしのアイテムに使われた時くらいは
そのはからいを尊重し 共に味わい 共感して幸せを分かち合いたいものです。
いまでは葬式でも お菓子に手を付ける人は少なく お菓子受難時代に突入しています。
お砂糖が手に入らなかった時代など あったのかと思うほどなのです。

姫様やお嬢様だけが食べることができた時代から 庶民にいきわたる時代を経て
いまでは本当の意味でおいしいとは なんだということを突き詰めることが
必要になってきたのでしょうね。
必ずしも 甘いものでなくても 体に良いものが求められるようになった
ということなのでしょう。
お菓子屋さんも 本気で工夫しなければならない時代になったのでしょうね。

日常のお菓子と 栄養補給のための季節菓子と 特別の催しの菓子と
それぞれが その地方ではぐくまれ 長きにわたって 
材料も職人も生きることのできる国になってこそ 成熟した幸せな社会になるのでしょう。
そんな互いの文化に育った菓子を 各国相互に理解しあい
教養あふれる 落ち着きのある国になって 
平和で豊かな自慢できる世界に なってほしいものです。

いまさら あわてたところで 私たちに命が終わる時があるように
地球という小さな星は 生き物を抱えきれない時期が
多分やってくると思うのです。
その時期を なにもあわてて大量の武器を用意して早める必要があるでしょうか。
せっかく美しい星に 温めあえる心をもって生まれたのですから
大切にすることを考えたいです。 
  

コンポストの住者

2017-11-10 22:31:50 | 菜園
今日は畑で玉ねぎの植え付けしました。
今年は 雨が多かったせいか 何かが過酷だったのか 
農協でも晩生種は午前中で売り切れるところが多く 多少なら痛んだ苗も50本600円はします。
自前の種まき組は まだ松葉ほどです。
そこで やむなくすこし購入してきたのです。寒い時期の植え付けは大変なので 今がチャンスと思うのです。

作業を終えて いつものように 
食生活ででた生ごみをコンポストに少量の土を混ぜて入れようとすると
比較的おおきな蛇がにょろにょろっと コンポストに入り込んでゆきました。

えー コンポストは発酵で暖かいとはいえ
いつ出現するかもわからぬ珍獣がすむのは迷惑な話なのですが 
とりあえず春まで コンポストの中身を出すことは
あきらめることとなりました。
マムシではないと思うのですが 確認はできていません。
苺を見込んでいるのかもしれません。
おさるや 猪の防除に一役買ってくれるかもしれませんが 自分にも危険です。
踏むと足に蒔きあがって えらいことになりかねませんから 
気を付けてゆっくり歩くことにします
忘れてしまうといけないので 記入しておくこととします。

農薬なしで作付けしてると いろんなものたちが 畑の住民になるようです。
先日レースだった白菜には てんとう虫と蜘蛛がざわざわ這っていました。
くりひろげられる生き残りへの展開に 驚いています。

そういえば 冬支度で忙しいのか リスが一匹 幹線道路を渡ってゆくのを見ました。
小さな体で 勇気があるというか 動きが元気で早いというか 
いや 生きてゆくのに必死なのだと その懸命な走りから読み取れます。
母の畑がいろんないきものの生活場所になることは 
結構楽しいことでもあります。 
のんきに収穫できてもできなくても
母と二人 畑仕事をする自分の幸せをかみしめる一日となりました。