人には 意識して関わる付き合いがあります。
子息に なにかしてあげたい。とか
あの人に お礼が言いたいとか。
一方で無意識に 認識しないようにしている相手とか
傷つきすぎて 思い起こさないようにしていることが
結構あるものです。
無意識のうちに 過去のよき思い出を楽しんでいることもあります。
とても幸せにしてくれた 食べ物を食べたくなる。
あそこに立つと あの風景を見ると 思い起こす人が 誰しも
あるものです。
それは 年老いるほどに
頻繁に過去にさかのぼって起きてきている気がしています。
老いた母が ここで写生したとか 子供のころの友達が
ここに住んでいたとか
菓子の米爆ぜが むしょうに食べたいとか
以前は 聞けなかったことが いっしょにいると 出てきます。
それをきっかけに ふと 私も子供のころを思い起こすことも あります。
トトロの映画のように 母は私が生後3か月時 結核にかかり 祖母と叔母に世話になったのだそうです。1歳まで世話をした祖母が 親である母にかえしたくないほど かわいいといっていたとか。
三歳ほどだった姉は 父親と勤め先の学校に行ったり 父方に預けられたらしいです。
少し病状が安定し 姉が母の見舞をできるようになったときのことです。
母に蠅が止まり祖母が布団を叩いて払おうとすると
お母ちゃんは叩いちゃダメ 蠅をほかのところに追い払ってから 叩くよう 祖母に進言したそうです。
そのご 母は回復したのですが 姉は一年生の夏日本脳炎で亡くなりました。
それは 思い出すのもつらいことです。
無意識に家族は理解していて 姉の話は母とも父ともしたことはありません。聞いたこともありません。
蠅叩きの話も ごく最近95歳になってから聞いたものです。
無意識のうちに 私は姉をほうふつとさせる存在だったろうと
この年寄りになって初めて 思いやることができました。
事あるごと 春休み夏休み冬休みは いつも祖母の家で暮らした理由が
すこし合点がいきました。
不思議だった 自分の母親に対する気持ちも
友達とちょっと違った感じがしていたのも 納得ができました。
ところが 父親は私を見て 姉を思い浮かべる感じがなかったです。
それは 男親だからだけではなく 各々の人格を固有のものとして
比べたりせず しっかりとらえている
いわば民主的な人だったからだと思っています。
国民皆 軍国主義教育をうけた時代です。
母は軍国主義で褒められて育った人で
父は地味に抵抗して生きていた人でした。
母は人に劣らぬよう 人と競う毎日を是として育ったのですから
個がしっかり見えません。
姉とどうしても比べてしまえば 思い起こすことになる気がします。
個々の存在を個々認める人は 比べる対象をイメージしませんから
私だけを見てくれることに なっていた気がしています。
今の学校が成績をつけてる以上 個々を見ない教育ということになるのかもしれません。個の尊重をして 子供を見れば 比べる必要はありません。
個に必要なのは 今の先に何が必要なのかを示す案内です。
自分で見つけられれば 指し示す必要もないし 社会の人や友人との
関わりで見つかれば 楽しい人生です。
で 私は気楽で自由ですが 母に何をしても 良かれと思って関わっていても
母にとって 私の存在は ちょっと疎ましいということが
無意識のうちに 起きている気がしてきてます。