実家の前は海なので 大潮になると堤防に多くの潮干狩りをする人が訪れます。
以前はごみが廃られていた砂浜の海ですが 今ではごみはありません。
ヘドロも減っている気もします。
でも 埋立地に工場ができ 風力発電機が回り 幅の広い川のような姿になっています。
海水の満ち干がありますから アサリは獲れます。
昔はアサリを行商といって 取れたあさりを押し車に乗せ売る人もいて
よく食べたものです。ごみの山があろうがおかまいなしでした。
生き物が生活してるわけですから 食べられるもののはずですが
今では 以前のように たくさん食べる気がしません。
それも そのアサリの内容がどうなのか
一抹の心配があるからです。
海水の分析結果も アサリや魚の健康状態の調査結果も 出ているのかもしれませんが そう知らされていませんから 知らぬが仏です。
今更 あえて知る必要もない気もします。
これが放射能を持つとしたら それは未来永劫 質量保存の法則にしたがうわけで それは心配です。
風評被害というのは 現実汚染されていないのに汚染したといわれることです。
実際に放出するのに その後の調査のスケジュールも 何か異常が起きた時の対策も知らされず 津波が証明しているように 離れているチリに 日本のごみが潮に乗って到達するというですから 本当に大丈夫なのでしょうか。
大きな視点でデーターを取る計画をたて 長年粘り強く追跡することが
どんな言葉より説得力もつ。
説明責任とは 根拠を持つ論理が示されることであって ご託を並べることではないのではと 不満を持っています。
限りある生き物の恵は どうなるのか 潮干狩りで思い起こしてしまいました。
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