おそらく,かつて水郷を代表する存在だった(
いまはなぜか水郷の表舞台に出てこないので
)村田基さん(以下敬称略)のデビュー作ビデオが
『パフォーマンスバッシング』だった。
記憶では,1991年の12月に発売になったものだと思う。
当時は,JBTA(現在のJB)監修のビデオはある程度販売されていたが,当時も相当の人気があった村田のビデオはこれが初,だったはずだ(TVには出演していたけどね)。
オズマは,1989年から実際に潮来に釣りに行っていたので,その時点で村田の存在は知っていた。雑誌には載っていましたからね。同時に
,「やたら話がうまいおっさん」のようなイメージをもっていた。
だが,村田’Sアドバイスのとおりにすると,本当に実によく釣れたものだ
。もちろん当時の水郷が,いまの八郎潟(とかつての琵琶湖)さえ凌ぐ「爆釣レイク」だったのは事実だが,とにかく釣れたのである。そう,20匹平均が30匹から40匹に,というぐらいに。
そんなこともあり,『パフォーマンスバッシング』をバックアップのためにまたまたDVD化した(
というより,友人キャッツ・アイ氏にせがまれての副産物だったりする)。
以下,とくに影響を受けたシーンを抜粋しよう
。
スピナベのスカートにフォーミュラをかけるとは。 ワームでのフォーミュラ使用はともかく,これには驚いた
。いわく
,「コンコンくるようなときにフォーミュラかけると一発でくるんですよ」とのこと。
ビデオ発売の翌年;1992年。友人とともにこれを実践してみた。
北浦・宇崎「俗称 ブイツー」ポイント。
そこは,取水塔がドックの突端から届く距離にあり,その取水塔が,琵琶湖の「名鉄ブイツー」のように「2本」みえたから,勝手に仲間内で俗称をつけていた。
そして,やはりスピナーベイトをセットすると,ある夏ではWウィロー(バイブラシャフトだった)のフォーリングにきわめて反応が多かった。しかし,フッキングが難しく苦労した
。そこでこのフォーミュラ(スパークルスケール・ゲームフィッシュ)をスカートにかけてやると,あっというまに入れ食いになったのだ
。
まあ,ワームに「味つき・においつき」がアタリマエになってからはフォーミュラを買うこともないし,あのベタベタ感と水質汚染しているかのような感じが嫌で,もう10年以上使用してもいないが。
さて,次は,
「バルキーロングワーム」という世界を知ったのもこのビデオだった。
トーナメントクローラー7インチ。これは爆発ルアーだった。 これもビデオを観て,すぐに買ってみた。
オズマは小心者だったのですぐには釣れなかったが,友人キャッツアイ氏がたしか麻生のドック内で一発釣ったことで猛烈に自信が沸いてきたことを憶えている。
その後,オズマとその友人の間では,
「クランクよりもビッグワームの方が楽しいよなあ」
などといって,トーナメントワーム8インチなどをかなり使っていた。
不思議だったのは,ギドスリンガー7インチ半がなぜかいまいち釣れないところだった
。オズマとしては,トーナメントワーム6インチ・カメレオングレープが得意だった
。
そして,
次がワームでの釣りを革命的に変えたものである。
キャッツアイをつけるのだ 緑色が定番だった。
これをやると,実にワームが
「生き生き」とするのだ。実際,ギドバグのヘビキャロでは圧倒的にキャッツアイ使用のものがよかった。応用で,デビルズクローなどにもよく使ったものだ。
いまも一応ある程度キャッツアイを持っているので,そうか,ワームがいまや苦手となったオズマは,またこれから始めてみるのもいいかもしれないネ
。
最後は,モノマネである。
「これが,ナチュラル&アピールなんですよ」と
やたら言う。
いまさらではあるが,当時はこれが口癖だった。いや,いまも意識しないだけで,ルアーローテーションをこの法則に従っているかもしれない。
この後,ビデオは『2』『3』と続き,たしか第4部まで発売されたと記憶がボンヤリしているが,後半は水郷ではなく海外ロケになったりしたので興味がわかなくなった。あとはお約束の「秘密の野池」
。これは,後で調べたら霞近くの池だった。実際に釣ったしね。
それにしても村田基,いうだけのことはある。キャストは天才的だし,話もうまい
。
気がつくとオズマが個人的に好きなアングラーとしては,村田基しかいなのかもしれない。このビデオ発売時の村田基年齢はいまのオズマ年齢よりもずいぶん若いけれども(アタリマエか)
そんなわけで,どこかで中古品を見つけたら購入してみてネ
。いまでも役立つ話はあると思いますよ。