オバマ大統領のノーベル平和賞が決まった。
解せない
。
原爆をもっていて,しかも投下をした国。そんな歴史をもつ国。核不拡散といいながら,自分だけは別扱い。京都議定書(
これはかなり怪しい議定書だが
)にも,自国産業のために賛成しなかった国。
そのときから転換をしたから平和賞,なのだろうか
ノーベル賞は,「科学」(数学も含ませたい)だけに限定してほしい。理由は明白。「客観的事実」があるからである。
「文学」「史学」などには,観念がはたらく。すなわち,見方によっていくらでも変わるものである。しかし,科学(とくに自然科学)は揺らがない。
今回の物理学賞は「実利」に走ってしまったと思う。小柴先生の「ニュートリノ」のように「ワクワクする
」感じがない。CCDの開発もたしかにスゴイことなのだが,それが「ノーベル」なのかというと,オズマとしては「ワクワク感」が少ないと感じるのだ。
こうして考えると,自然科学でも「ワクワク感」などという主観的なものがもたれてくるが,それでも「平和賞」より断然いいのは,データが客観的であることだ。
さあ,米国が,ノーベル平和賞をとった国が,さらに日本国に圧力をかけてくるゾ
いまの日本に必要なのは,やはり「NOと言える日本」の気概だ
解せない

原爆をもっていて,しかも投下をした国。そんな歴史をもつ国。核不拡散といいながら,自分だけは別扱い。京都議定書(


そのときから転換をしたから平和賞,なのだろうか

ノーベル賞は,「科学」(数学も含ませたい)だけに限定してほしい。理由は明白。「客観的事実」があるからである。
「文学」「史学」などには,観念がはたらく。すなわち,見方によっていくらでも変わるものである。しかし,科学(とくに自然科学)は揺らがない。
今回の物理学賞は「実利」に走ってしまったと思う。小柴先生の「ニュートリノ」のように「ワクワクする

こうして考えると,自然科学でも「ワクワク感」などという主観的なものがもたれてくるが,それでも「平和賞」より断然いいのは,データが客観的であることだ。
さあ,米国が,ノーベル平和賞をとった国が,さらに日本国に圧力をかけてくるゾ

いまの日本に必要なのは,やはり「NOと言える日本」の気概だ
