ネットで探し当てて新品同様の古本をセットで購入。
矢口高雄先生のマンガを読みたいのは『釣りキチ三平』世代としては当然。
調べると,電子書籍ではいくらでもある。
しかし,僕の眼では電子書籍をスマホで読むと老眼がさらに悪化。
そもそも,往復とも満員電車なのでスマホをいじる余裕なんてない。
だから古本を探し当てた。上記5巻は5400円と,発売当時の1.5倍ほどの価格ではあるが,新品同様で文句ない。
矢口先生の達筆さがよく現れている題字。
「書は人なり」という。書に人格が出る。僕も,自慢げで高慢な態度が出てしまう...。げに恐ろしき「書」の世界。
『釣りキチ三平』のなかで度々出てきた手書きの文字。手紙だったり看板だったりするが,どれも達筆
これは間違いなく矢口先生のものだろうと確信している。
なぜかというと,矢口先生の中学生時代は成績優秀だった。だから,村で唯一高校に行けた。
そして銀行に入社できた。
普通なら,この時点で「人生の成功者,いっちょアガリ」である。
つまり,高校進学できた時点で,学力も人格も優れたものがあったはず。
そして優れた人が書く「書」は優れている。
この不思議な関係を,僕は社会人になってつぶさに見ているだけに,僕の「書」に対しての関心はむしろ日々増しているのである。
厳しいおじいちゃんだった。
厳しいおじいちゃんが,逆に一平じいちゃんを産んだのかもしれない。
厳格な家父長制が残っており,家長としての役目を全うしていたおじいちゃんの話も考察が深い。
一言でいえば,「なまけていたらすぐに飢饉になる」という農業の厳しさが,あまりにもリアルだ。
秋田県,それも山奥の村では,けして都会の生活はなかったということ。
だからこそ「一平じいちゃん」は「こんなおじいちゃんだったら」という思いで登場したのかと考察する。
一平じいちゃんは,厳格なのは自分の仕事に対してのみ。若い感性をつぶすことなく,まさに憧れのおじいちゃんだもんね。
やっぱり釣りキチ少年だった。
まあ,これは想像に難くない。
しかし,いつも「どうしたら見えている魚を釣れるか」などを考えており,三平君そのものの矢口少年である。
矢口少年=三平君であることに疑いをもつことのない体験も綴られている。
どうりで高校の話題が少ないわけがここにあった。
高校に行けただけでも満足。修学旅行にも行っていない。
サボっていたのでなく「働いていた」。
魚紳さんが「ケツの青い連中が,自分勝手なことをしていると腹が立つ」と「磯の王者・イシダイ」で語っていた。
魚紳さんや谷地坊主のような生き方を,やっぱりどこかでしたくなる,少年の夢がある。
矢口少年の「働き具合」が非常によくわかります。
そしてやっぱり母親への愛情がある。
『釣りキチ三平』でも,しばしば「鮎の匂い=母の汗の匂い」と例えられているが,僕のような東京育ちにはわからない。
でも。
こうした描写が,間違いなく矢口少年の母への愛情であり,最大の感謝なのだとわかる。
他にも矢口先生の作品はたくさんある。
予算の許す限り,古本で集めてみるベ!