オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【矢口高雄・螢雪時代】素晴らしき「三平君」の原点,ここにあり!

2019年11月23日 11時50分38秒 | 釣りキチ三平語録


ネットで探し当てて新品同様の古本をセットで購入。

 矢口高雄先生のマンガを読みたいのは『釣りキチ三平』世代としては当然

 調べると,電子書籍ではいくらでもある。

 しかし,僕の眼では電子書籍をスマホで読むと老眼がさらに悪化

 そもそも,往復とも満員電車なのでスマホをいじる余裕なんてない。

 だから古本を探し当てた。上記5巻は5400円と,発売当時の1.5倍ほどの価格ではあるが,新品同様で文句ない


矢口先生の達筆さがよく現れている題字。

 「書は人なり」という。書に人格が出る。僕も,自慢げで高慢な態度が出てしまう...。げに恐ろしき「書」の世界

 『釣りキチ三平』のなかで度々出てきた手書きの文字。手紙だったり看板だったりするが,どれも達筆

 これは間違いなく矢口先生のものだろうと確信している。

 なぜかというと,矢口先生の中学生時代は成績優秀だった。だから,村で唯一高校に行けた。

 そして銀行に入社できた。

 普通なら,この時点で「人生の成功者,いっちょアガリ」である。

 つまり,高校進学できた時点で,学力も人格も優れたものがあったはず

 そして優れた人が書く「書」は優れている。

 この不思議な関係を,僕は社会人になってつぶさに見ているだけに,僕の「書」に対しての関心はむしろ日々増しているのである。


厳しいおじいちゃんだった。


厳しいおじいちゃんが,逆に一平じいちゃんを産んだのかもしれない。

 厳格な家父長制が残っており,家長としての役目を全うしていたおじいちゃんの話も考察が深い。

 一言でいえば,「なまけていたらすぐに飢饉になる」という農業の厳しさが,あまりにもリアルだ

 秋田県,それも山奥の村では,けして都会の生活はなかったということ。

 だからこそ「一平じいちゃん」は「こんなおじいちゃんだったら」という思いで登場したのかと考察する。

 一平じいちゃんは,厳格なのは自分の仕事に対してのみ。若い感性をつぶすことなく,まさに憧れのおじいちゃんだもんね


やっぱり釣りキチ少年だった。

 まあ,これは想像に難くない。

 しかし,いつも「どうしたら見えている魚を釣れるか」などを考えており,三平君そのものの矢口少年である。

 矢口少年=三平君であることに疑いをもつことのない体験も綴られている


どうりで高校の話題が少ないわけがここにあった。

 高校に行けただけでも満足。修学旅行にも行っていない。

 サボっていたのでなく「働いていた」

 魚紳さんが「ケツの青い連中が,自分勝手なことをしていると腹が立つ」と「磯の王者・イシダイ」で語っていた。

 魚紳さんや谷地坊主のような生き方を,やっぱりどこかでしたくなる,少年の夢がある。

 矢口少年の「働き具合」が非常によくわかります


そしてやっぱり母親への愛情がある。

 『釣りキチ三平』でも,しばしば「鮎の匂い=母の汗の匂い」と例えられているが,僕のような東京育ちにはわからない

 でも。

 こうした描写が,間違いなく矢口少年の母への愛情であり,最大の感謝なのだとわかる。

 他にも矢口先生の作品はたくさんある。

 予算の許す限り,古本で集めてみるベ!