2200円也。STEEZの竿,2ピースなら検討しますが。
一応,STEEZユーザーなので気になって購入した。
個人的に知りたいのは「メカニズムの歴史」解説だったが非常に少ない。それでも,この機種は時代を変えていた。
TD-1Hi。学生時代憧れていたが買えないし,買わなかった。
とにかくカッコヨクて,先進的だった。学生時代は後輩が「下宿代を切り詰めて」買ったなんていうのも居たが,当時の下宿代というか仕送り額(二人で20万円だったか)にビックリしたものである。そういう学生もいたのがバブルだったのだろう。
このムックでは竿やらリールの話題について「プロがどう使うか」の解説で技術解説がほとんどなく,自分にはほとんど役立たない。唯一,川村光大郎君の記事だけは「さすが」と唸るものがあった。
32Φへの懸念がさりげなく書かれている。糸グセがつきやすいと。
ファイヤーウルフなる竿に興味があるが,1月の釣りフェスでは触っていない。ゆえに購入できない。価格は余裕で5万超えるし,なにより1ピースであった。
さて,自分的には「こうした歴史」を紙面で採り上げて欲しかったので,もう自分で記すしかない
1991年にもチームダイワ米国メンバーが来日。
ムックでは「1988~1990年まで」米国チームダイワメンバーが招聘されたと書いているが誤りだ。具体的に記しておこう。
1989年にラリー・ニクソンとギド・ヒブドン(来日時期は異なる),1990年にリック・クラン,1991年にデニーブラウワーとジョージ・コクラン,1992年は共に女性でリンダ・イングランドとフレッダ・リー,1993年にケン・クック(≠ケン・スズキの兄弟ではない)とジェイ・イエラス,1994年にギド・ヒブドンとディオン・ヒブドンだ。
このように,1989~1990年代初頭はまるで「チームダイワの時代」であったし,ルアーもそうだった。ダイワはこの頃もとてもカッコイイデザインだったので,「TDソルティスラッガーが釣れる」という嬉しさと同じく,「ワームバッグに入れておくとカッコイイ」のだった。TEAM-DAIWAのロゴは秀逸である。
だが,この米国バスプロによる広報戦略に陰りが見え始めるのは,JBTAら国内トーナメントの隆盛による一般アングラーへのフィードバックと,シマノ・スコーピオン🦂プロジェクトの影響は無視できないだろう。
この広告を見て,これだと閃いた。そしてTVで放映するから欲しくなる。
当時のシマノはまだSVS未発表。なんと初代メタニウムXT発売前に「竿」だけ発表していた。だが,もうこれで十分だった。
1990年代初頭の3大人気は,チームダイワ,スコーピオン,そしてコンバットスティックだったろう。自分の周囲では実際そうした雰囲気だった。だが,チームダイワは「日本」という特殊性になかなか「バイアス・ブレイク」できず,ブレイクを成し遂げたシマノは,初代メタニウムXTの発売で市場占有率を変えたと記憶している。
いまもダイワとシマノの競争は楽しいし,刺激的である。この2大メーカーが頑張らないと「釣り」そのものが発展しない。シマノにとってもダイワにとっても「釣具市場」の特殊性は商売として厳しいだろうが,頑張ってほしいところである。
そんな理由もあって『Pride of Scorpion』刊行を熱望するが,必要となれば,もう自分で書くしかないネ。
それにしても,つり人社の校閲はゆるい...。昔はかなり厳密だったと,古い雑誌を見ては思うのである。