★ここからの話はシマノ開発陣も知らない裏話・作り話なので本気にしないでください! 大嘘です。
それは,1980年代後半だった。バス釣りの市場がトーナメントで盛んになってきていた。
北米市場ですでに基盤を固めていたダイワ精工は「TEAMDAIWA」として,アメリカンタックルを日本でも売るという戦略に出た。
21世紀のいまなら「そんなバカな」というところだが,市場が熟しきっていなかったので,とくにTD-Hiを頂点とするタックル群が圧倒的支持を得ていた。
以下,シマノ会議室から会話形式でお届けする。
「クソー,シマノが釣具事業では後発とはいえ,バス釣り関係ではまったくダイワに敵わないなあ」
「仕方ねえよ。だって,ラリーニクソンやらを連続招聘しているんだぜ。あんな資金ねえよ」
「いや,自転車部品の余力を少し回せば釣具だってもっと伸びるだろ」
「逆だよ。自転車で,たとえばDURAACEやDEOREの看板外せないだろ。自転車なら吉貝金属やらサンツアーなんて敵じゃないし。打倒,カンパニョーロに決まってるだろ」
「まあ,それはそうだな」
「釣りも,バス以外は大丈夫なんだよなあ」
「そういえば,バスといえば村田さんが居たっけ。相談してみるか」
「まあ,やってみよう」
場所は変わって潮来釣具センターである。村田基がいつになく険しい顔をしている。
「うちのお店ではバンバン売れてるよ」
「いやいやそうじゃなくて,日本国内で売りたいんですよ」
「じゃあさ,ダイワがアメリカ意識するなら,こちらは路線変更で日本スタイルにしたらどうかね」
「たしかにそうですよね。でも,何をどうするのかサッパリ」
「大丈夫。TEAMDAIWAの弱点は汎用性がない竿ってところだ。ここを逆に突くのサ」
「おお。つまり汎用性をもたせると」
「それだけじゃない。それでいて専門性もあるという,そんな竿ができればね」
「とにかく企画を考えてみますよ」
場所はシマノ本社である。
「現行のスピードマスターシリーズをなんとかテコ入れしよう」
「まあ,それが妥当だよね」
「そういえば,アメリカ意識しすぎてガイドがSiCじゃないよな」
「それと,ハイパロンとかいう新しい素材があるみたいだし,これらを採用してみたらどうだろう」
「まずは1本作ってみよう」
1週間後,サンプルが出来上がっていた。
「なんか,全然代わり映えしないなあ」
「素材じゃないねえ」
「なんかこう,TEAMDAIWAに勝てる,シマノ〇〇みたいなのがあればなあ」
「ううーん」
「お,そういえば,美川憲一の蠍座の女って歌がリバイバルブームらしいぞ」
「え,そうなのか。え。サソリ...Scorpion...スコーピオンの女!」
「何言ってるんだ」
「いや,だって,思いついたから」
絵心がある社員はいきなりスコーピオンの絵を書いてきた。
「これをどうするんだ」
「竿の名前にする」
「止めよう。気色悪いぞ。消しちゃえ,このサソリマーク,なんか安っぽいぞなんてクレームつけられるぞ」
「いや,もうひと工夫して」
「よし,これでどうだ,JAPANSATYLEってフレーズもセットで行く作戦だ」
「サソリと日本に関係性はないが,まずは竿から行くか」
「リールは,スピードマスターを5BB化してしばくはしのいで,その間に開発する方向でどうだ」
「よし,まずは竿メインで行こう。この違いはダイワと明確化されていいぞ」
かくして初代スコーピオン・ファイティンロッドと名付けられた竿はかなり成功したようである。村田基を広告塔に採用したのも運がよかった。
「では,次はリールだろう」
「ウム。すでに村田さんから貴重な資料をもらってあるんだ」
「そうかあ。マグブレーキは流行のピッチングに不向きかあ。遠心を使うという発想はいいけど,ABUに勝てるか」
「ABUは精度が低いから」
「ああ,眼中にないな」
「よし。試作品のリールもスコーピオンということで,赤いカラーにしよう」
「いやいや,赤いのか」
「だって,絵を村田さんに見せたら赤くしたらってことなんだ」
「まあ,渋めのカラーにしよう」
そして初代スコーピオンのリールが発売され潮目が変わり始めた。以降の躍進はいうまでもない。
以上,シマノからの報告でした(大嘘)!