オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【お題・餃子の王将】「あうしゃう」は,滋賀・堅田店から始まった。

2016年11月16日 21時57分49秒 | オズマの独り言

 餃子の王将との出会い。それは,1992年のことである。

 琵琶湖遠征が本格化された年度である。しかし,新入社員同然の身では食費を圧縮しなければならない。宿泊は「ランカーハウス寺田」(だったっけ?)の変なベッドだらけの部屋。素泊まりで2600円ぐらいだったような...。

 なにしろ,昼と夜も王将。僕は,いつも「ソーハン,イーラーコーテル」の「チャーハン・餃子」の組合せ。たしか,500円ちょっとだった。

 これで,3日目までは行け....ない。2日目夜にすでに胃もたれがやってくる。でも,若さとはそういうことに耐えられるもので,結局5日間滞在中,最後まで餃子を食べていた記憶がある。

 そして,店舗はなんといっても滋賀・堅田店である。他に,当時は彦根,大津でも入ったが,なぜか味が違った。

 そうして20代終盤になると,東京・神田に餃子の王将が出来た。当然行ってみたが,雰囲気も味も違う。

 さらに30代になると,家の近所にできたが,もうめったなことでは行かなくなっている。

 餃子の王将を「あうしゃう? 行く?」と釣りバカ友達と言いながら通ったのはよき思い出だが,便秘にも苦しんだ。なにしろ,野菜食ってなかったからね。

 その後,「THE・飯や」「THE・カレー」だったか,そういうナイスなネーミングのお店が雄琴周辺にも多くあることを知り,温泉でお湯を浴びた後に入ったものである。立ち寄り湯があったんだよなあ。R161が懐かしくなってきた。

 いま考えると,20代は遊びまくっていたような記憶ばかり。やっと自由に使えるお金が出来て,ある程度タックルに余裕ができ,釣り場も釣れまくり。堅田港で友人が50UPを釣ったりしたっけなあ。

 まあ,そんな青春時代を思い出すのが王将である。

 そういえば,社長の暗殺はやはり解明されないようだ。

 「要件はそれだけか」。ゴルゴが居るからここでやめておこう。


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