この写真,いや雑誌の写真の人物を見てわかる人はオッサン確定である
1991年JBTAバスオブザイヤーを獲得した琵琶湖仙人である。その後複雑な経緯でこの記録は抹消された。
だが,当時の情報網は雑誌か釣具店のみ。釣具店で「そういえば,仙人どうしたんですかあ」なんて聞いたら,その理由を知ったものだった。正直,裏切られた思いだった。
「裏切られた」という僕の思いは,スポンサーにもあったろう。1991年度JBTA最終戦で仙人のバスボート・エンジンが故障した。それを助けたのがいまはなきチャンピオンボート取り扱い店「アングラーズマリン」でもあったから。
いまから実に33年も前のことを昨日のように覚えている自分は,こうして当時の雑誌を読み返すことが多いからかもしれない。本当に貴重な情報源だったから捨てられないのだ。
さて,話は飛んでJBトーナメントの「一般人」ウケする時代が終わっている。1995年度バスクラシックなどファミコンソフトの会社(たぶんいまは無くなっている会社)がメインスポンサーになったほどだったが,「時代の変化」に柔軟かつ強力に対応してこなかったことも一因だろう。
「柔軟に」の具体例では,僕がメインとなっている「川」スモール問題。2005年特定外来生物法制定以前に「密放流」「ゲリラ放流」も定義されていないし,メトロリバーなんて本来生息域でない鮭の稚魚放流をしていた「生態系撹乱」が常時起きている
そうした「地域差」「生態系は一括りにできないからこそ,生態系」という思考が根本にない。だから,「ラージマウスのみ」「スモールマウスのみ」などといった偏狭な大会になってしまう。ところが,一般人にとってはそんなことに興味はなく「何がどうやったら釣れるのか」を知りたいだけ。
最も,素人動画を参考にするとロクなことはない。動画投稿は「釣れたとき」だけ投稿している人も多い。僕が見ているミラクル宮さんはそうした編集をしていないのが好感だが,そういう釣り人は少ない。だが,一般は自慢したいから動画にするのであって,ボウズなんて釣行記さえも記さない,そんなものである。
「強力に」は,やはり特定外来生物指定される前,釣り業界が一体化して闘わなかったこと。2005年のフィシングショーに行ったら何かが変わっているかと期待したらそれは間違いだった。ビラを配って「パブコメを」なんて呼びかけだけだった。当時の雑誌もそんな限りだった。
「たられば」だが,国内のバス釣り団体・雑誌・釣り具店・シマノ・ダイワといった業界全体が一体化する必要があったのに,それはなかった。
これはいまでも同様で,業界が「技術革新」で競うのはよいのだが,「バス」という原則養殖できない魚をどうやったら維持できるのかが最大の課題。そして,どの釣りでも生じている「釣り禁止」解決には,入漁料なりでの管理しかないと感じているが具体策があまりにも少ない。
河川ゴミの大半は実は家庭ごみ。自転車・バイクも沈んでいる。しかし,釣り人が「普通の人がしない」時間帯に行動する。朝4時に騒いだりしたら,それは近所迷惑である。メトロリバーでは河川敷に駐車場があってもごくわずか。この点で「無法者」を遠ざけているわけでありがたいが,BBQのマナー違反は特にお花見の時期から酷くなる。釣り人でなくても「立ち入り禁止」になってしまうのだ。
こういう問題を一元的に管理することは難しい。「釣り省」でもできれば別だが,役人と議員,それも超党派でつくらなければならない。
以上いろいろ書いてきたが,このような複雑な事情が「現実の釣り人」と乖離して,バストーナメント人気がない。
シマノ・ダイワのバス離れに明確なように,あと数年で流通上出荷制限のある1ピースロッドなんて絶滅する可能性は高い。こうした問題は大きいって,村田基さんもいつも言っているよね...。