たぶん中学1年のときに父からプレゼント。毎日毎日見ていた。
自分の釣行記はここから始まった
釣り好きな父(祖父がさらにかなり入れ込んでいたと聴く;お金代わりに竿を売ったりしたというのだから)の影響もあったが,粗野な遊びもした中学生の頃の自分。そんな姿を見て,きっと「子供なのだから釣りで更生しないと
」なんて親思いがあった,...りはしないだろう
。
父のことである。自分が将来楽をしたい(釣りのときに運転してもらいたいと常に言っていた)から,これを買って僕の心を焚き付けたのだろう。
価格は2000円。当時の小遣いでは買えない。中学1年生で月1000円だったからこんなものは買えない。だが,買ってくれた。
学校から帰っては読む。学校で釣友に話す。学校から帰っては釣友と読む。それで行った場所のなんと多いことか。
1980年代初頭,ようやく下水道整備が進み,多摩川などで「魚が釣れる」ようになっていた。ただ,まだ神奈川県側が「水質汚濁がある」とまで書いてある。
自宅から電車を使っていては小遣いが足りない。自転車
で行ける範囲は多摩川がまともな釣り場だった。片道たしか60分であるが,「神奈川まで来たぞ
」なんてサイクリング的にも楽しかった。
当時の記録が「これでもか」と書き込まれている。それを見るだけで「誰と・いつ・どんな」釣りをしたかがわかる。
北浦・霞ヶ浦も収載されているので,1990年からの北浦釣行では「爆釣」とばかりに書いている。毎回30匹はアタリマエ。最高で一人100匹なんて大学の釣り研究会でもザラだったが,自分は80匹ぐらいだったか
さて,そんな釣行記ばかりが書いてあるが,この本を買った時点ですでに消えていたのが「葛西水郷」である。
東西線の建設記録映画で知った葛西地域の歴史。
一人で釣りに行くようになったのは小学4年ぐらいから。いや,厳密には友人とだったが。小学6年で雄蛇ヶ池まで行ったっけ。駅から遠かったけど,往路は軽トラの荷台に乗せてもらった記憶が鮮明。ご飯は弁当を作ってもらったはずだが,始発で出て帰りの電車でずっと寝ていた記憶がある。ブルーギルしか釣れなかったけどね。
いろいろ見ていると,父に「葛西とか,江戸川とかに行ってみたいのだけど」と言うと「遠すぎるから止めておけ」と言われた。たしかに自転車で行ける距離でもなく,交通費が捻出できない。僕の身長だと中学生で子供料金なんてことは絶対にできず,背の低い友人が半分恨めしかった。
いやいや,たしか東西線だと行徳まで行って,従兄弟と一緒に,その父親に連れられて何度か釣りに行った記憶がある。行徳駅からひたすら歩いて30分ぐらいで海だった。
その海でサヨリが釣れるとのことだったが,子供に釣れるのはハゼかボラ。そのハゼやボラを活かして持ち帰って,人工海水で飼育しようとしたら,まあ,当然失敗する
。
ただ,父には感謝している。母にも
。そう,こうして「終生釣りキチ」になってしまったが,人としての道を踏み外していない(はず)。粗野な中学生が高校生になって「体育以外オール5」なんて成績だ。「鶏口となるも牛後となるなかれ」の典型だっただけだが。
そして思う。いまはネット社会だが,やはり紙媒体は強い。実に40年以上こうして残っている。紙媒体は不滅である。