オズマ青春の1コマを発掘した。
当時は写真にきちんとコメントを書いていたので,明確に思い出せる。
ときは1990年5月27日。だいたい進路も決まっていたので釣り研究会メンバーで釣りに行こうということになった。
目指すはなぜか奥多摩湖。自分の家が一番近いので,自分の家にたしか夜21時くらいに集合。後輩の運転するシビック(スーパーシビックのスターレンジつきAT)に4名・荷物満載で青梅街道まっしぐら。
着いた奥多摩は当然真っ暗闇で釣りにくい。というか,数時間で飽きてしまい「地図を見ると大月に抜けることもできそう」なんてことで,河口湖に行くことになった。
大月にいくには松姫峠という,当時「酷道」と言われていた悪路だった(このときすでに経験していた)ので止めて,一気に八王子まで下る作戦だ。
八王子まで下って河口湖。「釣れるし,楽だあ」って感じで朝から釣りまくっていた。
疲れてきたので寝ようかと思っていたら,後輩が「こんなこともあろうかと」とテントを持ってきていた。
4名が入って眠れたので,さらに爆釣。記録を見ても「道路フィッシング」(湖周道路からキャスティング)で爆釣と書いてある。
ちなみに,顔がよく見えないが右端が自分だ。
夕方までがっつり釣ったら,河口湖ICまでたどり着けない大渋滞だった。ATだったのでマシだったが,これが辛かった。
たしか八王子辺りで21時くらいになり,当時亀戸に住んでいた友人は「電車がなくなるかも」ということで,自分と友人のみ多摩川・拝島橋(R16の橋だったはず)で降ろしてもらう。
拝島橋から徒歩で拝島駅に行く。まだ帰ることができそうということで電車に乗って,一番近い自分は余裕で帰宅したっけ。
翌日は月曜日だったが,元々授業がなかったので休みである。
学生生活最後の4年のときは,こんな無茶苦茶な釣りばかりしていた。北浦に行って,帰りの道路が大渋滞で江戸川区から8時間もかかって帰宅したり,とにかく「AT,パワステ」が必須だと思い込むのに十分なほど渋滞の辛さを実感した。
でも,自分で購入したのはMTばかり。要は経路を変えれば渋滞も少なくなるということである。でも,外環が全線渋滞になっていることなどしばしばで,よくまあヘロヘロになりながら帰宅したものだ。
まあ「釣れる」ということがそれだけパワーをくれるという一例だろう。琵琶湖も,90年と92年に行ったときは,岸釣りでも爆釣だったしね。
こんな体験があるから,いまでも「バス釣り」やっているんだろう。まあ,当時は「バッシング」という言い方の方が普通だったけどね。