オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【名機4AGの歴史】このAE86から始まったんだ。

2013年12月01日 00時01分34秒 | オズマのクルマよもやま話

 近隣にある駐車場でAE86トレノ,おそらく前期GT-APEXを発見(液晶メーターだった)。ナンバーは二桁5ナンバーなので,おそらく相当長く乗られているであろう個体だ。

 それにしても,AE86に限って言えば,30年前のクルマがこうしてほぼ普通に見られることの理由の一つとして,FR&4AGの組合せであることは周知の事実。

 このクルマの程度はけしてよくなかった。塗装にツヤはなくサビが浮いている。モールは浮き上がっている。「普通の」カローラ・スプリンターならば捨てられていて当然の個体だ。それでもこの個体にはナビもついていたので,まだまだ走るのだろう。

 この時代の「テンロク」として有名なワンダー&グランドシビックは圧倒的に見かけない。それに比べると,AE86の圧倒的残存率はやはり「トヨタ」だからだろうか。

 僕の記憶で最初に乗ったAE86は,学生時代の先輩のレビン2ドアGTである。先輩たちが「レビン,速いぜー!」とやたらと熱狂的に語っていたが,まだ免許をもっていなかった自分には遠い話だった。しかし,大学2年になって免許をとると,周囲に自力やら親の資金力で「マイカー」をもった友人がポツポツと現れ,休み時間には「カーセンサー」「オプション」などでいつもクルマ談義をしていたような記憶がする。

 そうして「テンロク」の威力を植え付けられた自分ではあったが,学生時代はバイト代で日々を過ごすのがやっとだった。ルアーの購入さえ中古もなかったので非常に厳しかった。釣りに行くにしてもお金がないので一般道で水郷往復である。時間だけはあったから。

 社会人になり,「維持」にそれなりの道筋を見出したとき,当然AE86は購入対象になった。しかし,当時すでに旧車レベルに達しており,また,「テンロクNA最強」であったVTECに乗りたい気持ちもあってグランドSiRの所持に至った。

 だがしかし,4AGの存在はいつも気になっていた。ホンダオーナーだったのに4AGの話題にはいつもお金を払っていた。いまだに当時の雑誌ももっている。

 そしてシビックの崩壊,運命のAT-210カリーナ1600GTとの出会い,これにより,「ブラックヘッド4AGこそ理想のエンジンでは」と考えるに至った。実際,カリーナの故障はないに等しかった。最期の最期,いよいよMTが運命全うかと思われるまで9年半,実にトータル14万キロ以上を共にできた。

 そしていま,最終型の最終型,ブラックヘッドの最終型である6速MTバージョンに乗っている。これが,写真のAE86時代から考えると,4AGの改良は実に5回(AE92,AE92後期,AE101,AE111前期,AE111後期;排ガス対策ネ)も行われ,1983年から2000年まで,実に17年にも渡って生産されたエンジンであることは,僕にとって,どんな高級車に乗ることよりも価値がある。

 さて,いよいよ寒くなってきたからそろそろ奥多摩の時期かな。カリーナより50キロ軽い車重とクロスミッションでどこまで行けるのか楽しみだ。


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