少し古いものですが、多くの反響を頂いたものなので載せました。
新聞・テレビによる、不二家「攻撃」が続いている。連日、NHKまでがトップニュースとしてとり上げている。もっともニュース報道に関する限り、最近のNHKは民放と同じ軽薄路線を歩んでいるようだ。ワイドショーでは、 コメンテーターと称するおっさん達が厳しそうな顔を並べ、メモをちらちらと見ながら「とても許せません」などと口々に非難している。発言がどの程度、局の意向なのか、あるいは本人の意向なのかは知らない。
「罪なきものは石もてこの女を打て」を思い出した。私は信者ではないが、聖書にある有名な一節である。このイエスの言葉の後,女を打つものはいなかった,という記述が続く。しかしワイドショーのおっさん達は正々堂々と石を投げる。きっと罪のないご立派な人たちばかりなのだろう。
街頭で収録された市民の声も、心配だというものばかり流している。ひとりくらい「私は平気だ」という人の声を入れるべきなのに、「心配だ」、「許せない」ばかりにするのは不二家断罪という方針が既に決まっているからなのだろう。 コメンテータの発言にも、ひとつとして不二家に同情的なものはない。見事な編集である。 さらにすべてのメディアが同じ調子なのも不気味である。付和雷同型のメディアが数多くあっても存在の意味がない。
不二家はそれほど許せないことをしたのだろうか。ひとりだって中毒者を出したわけではない。家庭では期限を過ぎた食品をすぐ捨てる人ばかりではないはずだ。 私は保管条件が良ければ1日以上の期限切れの食品を食べている。
では不二家の製品はどれくらい危険なのだろうか。殺人事件には犯罪や心理の専門家などが次々とテレビに登場して解説する。自然災害には気象学者が登場する。だが不思議なことにこの事件では食品の専門家が出てこない。なぜだろうか。それはもし食品の専門家に登場願って、期限が1日過ぎた原料を使った製品の安全性はどうかと問えば、彼は心配ないでしょうと答えて、番組が白けてしまうからだ ろう。事情を知っている専門家なら、危険ですとはとても言えまい。
原料の賞味期限が1日過ぎていたものを承知で使っていた例がいくつか発覚したというのが指弾を受けた主な理由だ。シューロールの細菌検査で、食品衛生法基準の約10倍を検出したが手違いにより、113本が出荷されたこともあるらしいが、これは事故であろう。
食品の賞味期限は十分な余裕をもって設定されている。さもないと出荷後の保管条件の違いにより、期限内でも変質するものがあるからだ。裏を返すと、保管条件が良ければ期限を超えても安全だといえる。食品会社はこのあたりの事情に詳しいので、1日ならば大丈夫と、許容したのだろう(1日以上の期限切れはないそうなので管理はちゃんとできてい たようだ)。
12年前の、9人の食中毒事故の発表がなかったことまで槍玉に挙げられている(この徹底ぶり、執拗さには感動するが)。逆に、それ以後、大量の食品を供給しながら12年間一度も食中毒事故を起こさなかったことは評価されてもよい。廃棄という「モッタイナイ」ことを最小限にしながらである。この事実は規則が必要以上に厳しく決められているのではないかという疑問につながる。必要以上に厳しい規則は「モッタイナイ」という無駄を生む。
報道の姿勢が不愉快なのは、不二家が一旦否定した疑惑の事実を後日認める場合である。当初、事実を隠蔽したとばかり、まるで極悪人扱いである。不二家に非があるのは認めるが、過大な報道は、消費者の不安を煽る。販売店は消費者の不安を気にして同社製品の販売停止をする。不二家本体はもちろん、フランチャイズ店も苦境に立たされる。不二家従業員は失業するかも知れないし、フランチャイズ店は廃業を強いられるかもしれない。メディアはそれを承知の上で報道しているのだろうか。彼らの大部分には何の罪もない。
繰り返すが、今回は食中毒を起こしたわけではないのに、なぜ経営危機を招くほど叩かれなければならないのか。食中毒は生命には直接結びつかない。下痢と嘔吐であり、後遺症もまずない。食中毒がそれほど深刻な、生命にかかわるものなら、家庭の食物管理はとても大変なものになる。
この種の事件でのいま行われているような過大な報道の意味を見つけることは難しい。不二家製品を買っては危険だと知らせる理由があるとは思えない。かつて雪印乳業は過大な報道により巨額の損失と五工場の閉鎖、千三百人の雇用削減に追い込まれた。同社の管理体制を見直し、製品を安全なものとするためにそれほどまでの犠牲を払う必要があったのだろうか。もっとも大きな犠牲を払ったのは職を失った人々である。そのほとんどは中毒事件の原因者ではない。理不尽な結果である。
雪印乳業の社長の当初の態度が気に入らなかったため、メディアは敵意を含んだ報道をやったとも言われている。俺達に逆らえば会社でも潰せるんだとばかり、自らの影響力を誇示したかったという動機もあるだろう。そうしておけば、メディアの立場はより強いものになるからだ。泣く子と ブンヤ(記者)には勝てぬと。
メディアは報道の結果を予測し、その結果に責任を持つべきだ。「事実」を報道しただけだ、ではすまされない。「事実」を大きく見せるのも小さく見せるのも、事実の中の一部を抜くのも、恣意的な行為であるからだ。不二家事件も三面の3段程度の記事であればスーパーが販売停止することもなかった だろう。その程度が適正な報道だろう。
新聞・テレビによる、不二家「攻撃」が続いている。連日、NHKまでがトップニュースとしてとり上げている。もっともニュース報道に関する限り、最近のNHKは民放と同じ軽薄路線を歩んでいるようだ。ワイドショーでは、 コメンテーターと称するおっさん達が厳しそうな顔を並べ、メモをちらちらと見ながら「とても許せません」などと口々に非難している。発言がどの程度、局の意向なのか、あるいは本人の意向なのかは知らない。
「罪なきものは石もてこの女を打て」を思い出した。私は信者ではないが、聖書にある有名な一節である。このイエスの言葉の後,女を打つものはいなかった,という記述が続く。しかしワイドショーのおっさん達は正々堂々と石を投げる。きっと罪のないご立派な人たちばかりなのだろう。
街頭で収録された市民の声も、心配だというものばかり流している。ひとりくらい「私は平気だ」という人の声を入れるべきなのに、「心配だ」、「許せない」ばかりにするのは不二家断罪という方針が既に決まっているからなのだろう。 コメンテータの発言にも、ひとつとして不二家に同情的なものはない。見事な編集である。 さらにすべてのメディアが同じ調子なのも不気味である。付和雷同型のメディアが数多くあっても存在の意味がない。
不二家はそれほど許せないことをしたのだろうか。ひとりだって中毒者を出したわけではない。家庭では期限を過ぎた食品をすぐ捨てる人ばかりではないはずだ。 私は保管条件が良ければ1日以上の期限切れの食品を食べている。
では不二家の製品はどれくらい危険なのだろうか。殺人事件には犯罪や心理の専門家などが次々とテレビに登場して解説する。自然災害には気象学者が登場する。だが不思議なことにこの事件では食品の専門家が出てこない。なぜだろうか。それはもし食品の専門家に登場願って、期限が1日過ぎた原料を使った製品の安全性はどうかと問えば、彼は心配ないでしょうと答えて、番組が白けてしまうからだ ろう。事情を知っている専門家なら、危険ですとはとても言えまい。
原料の賞味期限が1日過ぎていたものを承知で使っていた例がいくつか発覚したというのが指弾を受けた主な理由だ。シューロールの細菌検査で、食品衛生法基準の約10倍を検出したが手違いにより、113本が出荷されたこともあるらしいが、これは事故であろう。
食品の賞味期限は十分な余裕をもって設定されている。さもないと出荷後の保管条件の違いにより、期限内でも変質するものがあるからだ。裏を返すと、保管条件が良ければ期限を超えても安全だといえる。食品会社はこのあたりの事情に詳しいので、1日ならば大丈夫と、許容したのだろう(1日以上の期限切れはないそうなので管理はちゃんとできてい たようだ)。
12年前の、9人の食中毒事故の発表がなかったことまで槍玉に挙げられている(この徹底ぶり、執拗さには感動するが)。逆に、それ以後、大量の食品を供給しながら12年間一度も食中毒事故を起こさなかったことは評価されてもよい。廃棄という「モッタイナイ」ことを最小限にしながらである。この事実は規則が必要以上に厳しく決められているのではないかという疑問につながる。必要以上に厳しい規則は「モッタイナイ」という無駄を生む。
報道の姿勢が不愉快なのは、不二家が一旦否定した疑惑の事実を後日認める場合である。当初、事実を隠蔽したとばかり、まるで極悪人扱いである。不二家に非があるのは認めるが、過大な報道は、消費者の不安を煽る。販売店は消費者の不安を気にして同社製品の販売停止をする。不二家本体はもちろん、フランチャイズ店も苦境に立たされる。不二家従業員は失業するかも知れないし、フランチャイズ店は廃業を強いられるかもしれない。メディアはそれを承知の上で報道しているのだろうか。彼らの大部分には何の罪もない。
繰り返すが、今回は食中毒を起こしたわけではないのに、なぜ経営危機を招くほど叩かれなければならないのか。食中毒は生命には直接結びつかない。下痢と嘔吐であり、後遺症もまずない。食中毒がそれほど深刻な、生命にかかわるものなら、家庭の食物管理はとても大変なものになる。
この種の事件でのいま行われているような過大な報道の意味を見つけることは難しい。不二家製品を買っては危険だと知らせる理由があるとは思えない。かつて雪印乳業は過大な報道により巨額の損失と五工場の閉鎖、千三百人の雇用削減に追い込まれた。同社の管理体制を見直し、製品を安全なものとするためにそれほどまでの犠牲を払う必要があったのだろうか。もっとも大きな犠牲を払ったのは職を失った人々である。そのほとんどは中毒事件の原因者ではない。理不尽な結果である。
雪印乳業の社長の当初の態度が気に入らなかったため、メディアは敵意を含んだ報道をやったとも言われている。俺達に逆らえば会社でも潰せるんだとばかり、自らの影響力を誇示したかったという動機もあるだろう。そうしておけば、メディアの立場はより強いものになるからだ。泣く子と ブンヤ(記者)には勝てぬと。
メディアは報道の結果を予測し、その結果に責任を持つべきだ。「事実」を報道しただけだ、ではすまされない。「事実」を大きく見せるのも小さく見せるのも、事実の中の一部を抜くのも、恣意的な行為であるからだ。不二家事件も三面の3段程度の記事であればスーパーが販売停止することもなかった だろう。その程度が適正な報道だろう。