順調なときはよくまとまっているが、うまくいかなくなると気持ちがバラバラになり責任のなすりあいが始まる、というのはよくある話で、組織の宿命みたいなものでしょう。突如として求心力が遠心力に変わるわけです。その後は仲間割れとなるコースが一般的です。
民主党の惨敗を受け、解散時期を決めた野田氏に対する恨みつらみが聞かれます。自分達が代表に選んだ人物に責任をなすりつける姿は実に見苦しいものです。田中真紀子氏などは大学の認可問題で政権の足を力強く引っ張っていらしたのでなおのことです。まあ解散時期を先延ばしにしても、で嘘つき呼ばわりされるだけで結果はさほど変わらなかったと思われます、神風でも吹かない限りは。
現役閣僚が大量落選しましたが、彼らの多くはマスメディアにしばしば登場して高い知名度がありました。それにもかかわらず落選したのはメディアへの露出が逆宣伝となっていたからでしょう。失礼ながら、なんでこんな人物が大臣になるのだろうと思っていたのは私だけではなかったと納得できました。テレビは民主党の逆宣伝の場となっていた観があります。
それでも彼らは大臣を務めてきたわけですから、素人であることを公言した防衛相など、すぐに辞任に追い込まれた数多くの大臣に比べればまだマシな方たちなのでしょう。人材不足は「未踏の域」にまで達していたものと考えられます。
党内で最も優れた人物として選ばれた筈の首相があの鳩山氏や菅氏であったことからも人材難の深刻さは裏付けられます。したがって人間の大量入替えでもしない限り民主党に明るい未来はないでしょう。
民主党に多くの人材を供給してきた松下政経塾の人気が急落し、ピーク時は900人以上いた志願者がこの春には100人に減り、そのうち4人だけが選抜されたそうです。維新政治塾などへ流れたこともあるでしょうが、民主党という舞台でスポットライトを浴びた先輩達の活躍ぶりが大きく影響した可能性もある思われます。
こんな人材難の民主党政権を延命させては国のためにならないと、野田氏は考えられたのかもしれません。放置すれば最悪の場合9ヶ月間も民主党政権が日本を支配することになり、さらに深刻な事態となった可能性もあります。「民主党には政権担当能力がない」という、当時身内であった小沢氏の発言が図らずも実証された形です。小沢氏のお言葉にも信用すべきものがあったわけというです。
後世の歴史家は、野田佳彦元首相は党利より国益を優先し、日本を危機から救った憂国の士であったと高く評価するかもしれません。彼の内心を知る由もありませんが、少なくとも結果的には国を救った悲劇の英雄であったと見ることができましょう。
民主党の惨敗を受け、解散時期を決めた野田氏に対する恨みつらみが聞かれます。自分達が代表に選んだ人物に責任をなすりつける姿は実に見苦しいものです。田中真紀子氏などは大学の認可問題で政権の足を力強く引っ張っていらしたのでなおのことです。まあ解散時期を先延ばしにしても、で嘘つき呼ばわりされるだけで結果はさほど変わらなかったと思われます、神風でも吹かない限りは。
現役閣僚が大量落選しましたが、彼らの多くはマスメディアにしばしば登場して高い知名度がありました。それにもかかわらず落選したのはメディアへの露出が逆宣伝となっていたからでしょう。失礼ながら、なんでこんな人物が大臣になるのだろうと思っていたのは私だけではなかったと納得できました。テレビは民主党の逆宣伝の場となっていた観があります。
それでも彼らは大臣を務めてきたわけですから、素人であることを公言した防衛相など、すぐに辞任に追い込まれた数多くの大臣に比べればまだマシな方たちなのでしょう。人材不足は「未踏の域」にまで達していたものと考えられます。
党内で最も優れた人物として選ばれた筈の首相があの鳩山氏や菅氏であったことからも人材難の深刻さは裏付けられます。したがって人間の大量入替えでもしない限り民主党に明るい未来はないでしょう。
民主党に多くの人材を供給してきた松下政経塾の人気が急落し、ピーク時は900人以上いた志願者がこの春には100人に減り、そのうち4人だけが選抜されたそうです。維新政治塾などへ流れたこともあるでしょうが、民主党という舞台でスポットライトを浴びた先輩達の活躍ぶりが大きく影響した可能性もある思われます。
こんな人材難の民主党政権を延命させては国のためにならないと、野田氏は考えられたのかもしれません。放置すれば最悪の場合9ヶ月間も民主党政権が日本を支配することになり、さらに深刻な事態となった可能性もあります。「民主党には政権担当能力がない」という、当時身内であった小沢氏の発言が図らずも実証された形です。小沢氏のお言葉にも信用すべきものがあったわけというです。
後世の歴史家は、野田佳彦元首相は党利より国益を優先し、日本を危機から救った憂国の士であったと高く評価するかもしれません。彼の内心を知る由もありませんが、少なくとも結果的には国を救った悲劇の英雄であったと見ることができましょう。