噛みつき評論 ブログ版

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自殺したが落ち度はない・・・小役人の弁明

2012-12-31 10:05:29 | マスメディア
 尼崎市の連続変死事件の角田美代子容疑者が自殺したことについて、兵庫県警は会見で「落ち度や規定違反はない」と説明したそうです。堂々と胸を張っての発言かどうかは知りませんが、自殺を防ぐのが大事な仕事であり、それに失敗しながら「非はなかった」という説明は私のような凡人の理解を超越したものです(後日、上層部が非を認めることになりましたが)。

 また、12月3日の拙記事「所得額の4倍課税する不思議」で述べたように、会社員が競馬で得た実質の所得1億4千万円に対して5億7千万円を課税するというバカバカしい出来事がありました。この会社員が完済するには計算上700年ほどかかります。大阪国税局は暴力団顔負けの悪代官ぶりです。外れ馬券を経費として認めなかったためですが、横浜での同様なケースでは事実上経費として認められていたと報道(12/29朝日)されているので、そのような解釈も可能であったと考えられます。

 これらは「木を見て森を見ず」「近視眼的」「視野狭窄」「形式主義」「本末転倒」の好例というべきもので、陥りやすい愚かな思考としてもっと注意を払うべきであると考えます。福島第一原発の事故の背景には「規制に従っていればいい」という安全文化の形骸化が指摘されていますが、これも同様の例と考えてよいでしょう。

 兵庫県警は「非はない」と記者会見で堂々と発表していますから、規定やマニュアルを守っていれば結果がどうなろうと責められることはないという不思議な自信が伺えます。こんな形式的な弁解で世間が納得するだろうと考えるところが凄いです。税務当局も同様で、規則に従って課税すればそれが所得額を超えたものであっても気にしない、という思考が見られます。これははるか昔から役人根性と呼ばれていたものです。

 末端の小役人は余計なことを知らない方がよい、という考え方があったのかもしれませんが、上記のような例を見ると弊害の方が大きいように感じます。福島原発を持ち出すまでもなく、権力や影響力を持つ公務員などが最終目的を理解せず、規則を守ることだけを考えて仕事をすれば、生じる不利益も大きいものになるでしょう。

 事故や事件が発生すれば、マスメディアは原因の追究を始めます。原因となる悪者を探し出し、因果関係を示して読者・視聴者を納得させれば、めでたく一幕の終了となります。ここに違法行為や規則違反が見つかれば、わかりやすい形で悪者を仕立て上げることができるので、違法行為や規則違反は些細なものであっても重視されます。メディア自身が形式主義に陥っていると言えるでしょう。

 不二家は社内規定の期限を1日過ぎた原料を使ったために、食中毒事件を起こしていないにもかかわらず、メディアの「総攻撃」を受け経営が揺らぐほどの打撃を受けました。ここでは期限が過ぎていたという形式のみが問題とされ、期限には余裕があり1日程度の超過は影響がないという実質的な問題は無視されました。このようなメディアの姿勢が古来の役人根性をさらに磨き上げたと考えられます。

 この事件の「教訓」は食品業界に重くのしかかり、食べられるのに廃棄される食料品の増加に大きく寄与しているものと思われます。世界には餓死者を出す国が少なくないのですが。

 兵庫県警や大阪国税局の件に対して、本末転倒であるという批判がメディアにあまり見あたらないのも残念です。これは法や規則に関する教育の問題と捉えるべきかもしれません。そういえば、法や規則といえども場合によっては破るという選択も必要である、と教えられた記憶はありません。どんな場合に破るべきかを適切に判断できる人間を育てることは教育の目的のひとつではないでしょうか。

(蛇足) 表題の「小役人の弁明」は「ソクラテスの弁明」のパロディのつもりです。役人の得意な、形式的かつ近視眼的な下らない言い訳の意味で、私の造語(造句?)であります。