熊本県山鹿市のオブサン古墳の入り口に
薩軍兵士 「 村田三介戦死之地 」 の碑が建っている。
同じ九州とは言え、薩摩から離れた肥後での戦死は、
覚悟の上だとしても、無念だったろう。
同じ薩軍の隊長永山盛弘の自害の地が御船町にあるが、
追われゆく者の最期の地である。
村田三介は、( 1845-1877 )明治時代の軍人で、
弘化2年生まれである。
明治6年陸軍少佐を辞し,西南戦争では小隊長として西郷軍にくわわる。
熊本県北部の植木で政府軍を敗り、
乃木希典ひきいる第十四連隊の軍旗を奪った。
山鹿市鍋田 ( なべた ) で明治10年3月11日戦死。
時に33歳であった。
本姓は枝次。