「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県香春町  ・  近代土木遺産 「 呉川眼鏡橋 」

2012-04-25 15:10:39 | 近代化産業遺産・土木遺産






































所在地 /  福岡県田川郡香春町鏡山1113、1497
架橋   /  明治19年 ( 1886年 )
石工   / 広島の石工 ( 詳細は不明 )
長さ   / 8.6m  幅  / 4.2m
径間   / 6.3m  拱矢 / 3.4m




呉川眼鑑橋の呉とは、この地をさす言葉で古くは 「 呉媛 」 の伝説からその名がついたとされている。
ここを流れる呉川は金辺川へ注ぎ、さらには英彦山川と合流し遠賀川へと流れて行く。
呉川眼鏡橋は仲哀 ( ちゅうあい ) 隧道の開通計画にともない、
掘削部材の運搬等のために架けられた橋である。
石工は広島の石工と伝えられているが、詳細は不明である。
石材には甘木市の秋月眼鏡橋と同じく花崗岩 ( 御影石 ) が使われた珍しい道路橋である。

アーチリブを構成する輪石は、がっちりと噛み合った切り石が丹念に組まれ美しい弧を描いている。
壁石や橋台も均整がとれ、整然とした端正な姿の中にも力強さと気品を備えている。
明治期に造られた当時のままの石橋は、遠賀川水系では唯一 ( ※ 筑穂町延壽橋移築 ) であり、
美しい眼鏡橋の姿を損なうことなく今日に至っている。


福岡県香春町 「 呉媛 ( くれひめ ) の墓 」

2012-04-25 14:55:36 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



















呉媛の墓は、福岡県京都郡みやこ町勝山と田川郡香春町とを結ぶ
仲哀 ( ちゅうあい ) トンネルを出た香春側の丘の上にある。

以下、説明板より。
4~6世紀の日本(大和朝廷)は、中国や朝鮮半島から優れた文化・技術の導入に力を注いでいた。
この墓は、日本に招聘(しょうへい)され、この地に身を埋めた
一人の織り縫い女性のものだと言われている。
「 呉媛 」 のことは 『 日本書紀 』 によると、
工女であった兄媛・弟媛・呉織・穴織の四婦女が
呉(中国)から筑紫に渡って来て、「そのうちの一人は宗像大神に奉り、
あとの三人は津国に至った」とある。
また、地元で語り継がれた話では、この地には三人の工女が住み服織をしていたが、
やがて一人はこの地にとどまり、あとの二人は畿内に行ったという。

この地は鏡山字呉だが、呉媛の住むところを「呉」と呼んでいたことが地名の由来である。



鹿児島県喜界島  ・  離島めぐり 「 喜界島 ① 」

2012-04-25 14:43:47 | 離島めぐり

小野津にある海辺の公園







坂嶺小学校から左に入った伊実久から小野津に向う道路







空港前にある喜界島の観光案内版







小さな喜界空港





今回から離島めぐりを掲載することにした。
その最初は、鹿児島県にある喜界島である。
ここから南下して島々を紹介して行きたいと思っている。





喜界島の黒糖焼酎 「 喜界島 」

2012-04-25 14:17:27 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







喜界島はいつも一升瓶で購入するが、今回は900mmを買ってみた。

喜界島は胡麻や黒糖焼酎 ( くろちゅう ) が有名である。
とくに黒糖焼酎は、日本の中でも鹿児島県の奄美大島群島と呼ばれる島々の蔵元でしか
製造認可されていない珍しい焼酎である。
黒糖の甘い香りと爽やかな喉越しがうれしい。

製造元は、喜界島空港の近くの赤連にある喜界島酒造株式会社である。











今日はピースの6歳の誕生日

2012-04-24 21:55:47 | 日記 ・ イベント















今日は去年の夏5歳で亡くなった愛犬ピースの誕生日である。
家族といつも一緒に居るピースの前に、
生前好きだったドッグフードとケーキをお供えして、
みんなでお祝いをした。

片時も忘れたことがないピース。
天国で元気に走り回っているだろうか?
ピースにあいたい・・・










大分県中津市耶馬溪町  「 柿瀬橋 」 と耶馬渓ダム

2012-04-24 21:37:04 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道

耶馬渓と豊後森を結ぶ県道28号 ( 森耶馬溪線 ) に架かる柿瀬橋








柿瀬橋の全景








耶馬渓ダムを望む








耶馬渓ダムの噴水








菊池 寛の “ 恩讐の彼方 ” で有名な 「 青の洞門 」









※ 動画を再生すると柿瀬橋が渡れます。





今日から今回の探訪を行程に沿って随時掲載して行きたいと思っているので、
ネット上で一緒に旅を楽しんで下さい。

家を6時過ぎに出て、まず写真を撮ったのが耶馬渓。
ここには石橋の探訪や温泉めぐりでよく来るが、
意外と知られていない名所が多く存在する。




「 ただいま~ 」 

2012-04-23 23:49:52 | 日記 ・ イベント
南島原市 ( 瀬詰崎灯台 )





阿蘇、熊本、天草、島原5日間の探訪の旅も無事終り、
1000キロにおよぶ旅は、充実したものとなった。
まだ探訪まで行きつかない石橋や灯台もあったが、
今回は行きたい場所に行き、見たいものを見る旅だったので、
時間に追われる今までの旅と違って納得できるものであった。

崇元寺門の記事と 「 ただいま~ 」 の記事の掲載が前後したが、
夕べ帰りが遅くなったし、
今日は溜まっていた雑用を片付けてから
写真を取り込んだから更新が今になってしまったが、
この記事は今日 ( 23日 ) の内に投稿を終えたい。







沖縄県那覇市   「 崇元寺の石門 」

2012-04-23 22:33:07 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所


























































崇元寺の石門は、那覇市安里の県道29号線 ( 通称・又吉道路崇元寺通り ) 沿いにある。
アーチ門は、中央にある総門 ( 大型門 ) 3基と、左右の脇門2基の5基で形成されている。
石門は15世紀後期から16世紀中期のものとされ、
楕円曲線の石門アーチは規模大ならず、手法も簡単であるが、
その中央と左右の脇門の取り合わせが自然で、
相互の幅と長さ、幅員の権衡を得ている。
さらに、その輪郭の簡明にして要を得ている。
その線の少なくして無駄がなく、随所に美点が現れている。
一見、素朴のように見えるが、よく観れば豊富で高雅な門である。


崇元寺御嶽は、別名・遺鞭御嶽(イベンウタキ)と呼ばれており、
その由来は、泊村に住む安里大親清信 ( 子孫は毛氏永村家、名乗り頭は清 ) が、
安里橋の東を通るとき夕方になっていた。
そこへ白髪の老人が現れ、安里の林の中に導いた。
そこには美麗な建物があり、まるで神仏が住むように見えた。
不思議に思った安里は、ひそかに馬の鞭をその場に隠し、翌日行ってみた。
するとあの建物は跡形も無く、鞭だけが残っていた。

ある名月の夜、この地を歩いているとその老人に出会った。
老人は黄金を一個与え、 「 ここに家を建てるがよい 」 と言ってかき消えた。
安里は早速家を建て、竹を植えて垣根とした。

後に金丸 ( 尚 円 ) が即位し、この地に王廟(霊所)を立て、
そばに崇元寺ノ嶽 ( 神名 「 コバノミヤウレ御イベ 」 ) とした。
崇元寺は、舜天王以下諸王の位牌を祭ってある霊廟であったが沖縄戦で焼失した。
石門は戦災でも大半が残り、戦後若干修復された。
安里大親 ( あさとうふや ) の墓は若狭海岸から雪の崎 ( 斧形の崎 ) から、
戦後繁多川に移された。



明日から熊本へ探訪の旅に・・・

2012-04-17 22:33:57 | 日記 ・ イベント






今日、天気が良かったので辺りを巡っていたら、
遠くに 「 メタセの杜 」 が見えた。
草刈りの時は、いつも見ていた景色なのに、
こんな感じで見たのは初めてであった。

まぁ、初めてというよりも自分が気がつかなかっただけで、
むしろ “ 再確認させられた ” と云った方が正しいのかもしれない。

明日から、熊本を中心に石橋や灯台などを探しに行く。
予定している行程を大雑把に書くと、
小国ー産山ー阿蘇ー高森ー長陽ー大津ー菊陽ー熊本
御船ー甲佐ー豊野ー松橋ー小川ー八代ー日奈久
宇土ー三角ー大矢野ー本渡ー牛深ー富岡ー口之津
小浜ー島原ー諫早ー白石ー佐賀の予定である。

計画では日曜日までの予定だが、
どうも雨が降りそうなのでそれだけが心配である。
予定は未定だが、巡れなかったところは、
いつものように “ 次回のお楽しみ ” として取っておこう。

昼間は山や海辺を歩き、夜は居酒屋で飲んだくれ、
新しい発見に心を躍らせるとするかな。







熊本県上天草市 「 永目港南防波堤灯台 」

2012-04-17 22:21:17 | 熊本の灯台




































永目港南防波堤灯台は、昭和63年3月23日が初点の比較的新しい灯台である。
塔形白色のプラスチック造で、実効光度は62。
頂部までの高さは5.7mで平均水面から灯火までの高さが9.16mとなっている。
灯質は単閃緑光で毎4秒に1閃光である。
現用灯器は放電灯で、電球は高圧ナトリウムを使用している。


※ 永目港南防波堤灯台へのアクセスは、
  国道266号線を松島から左に入って阿村方面に進むと、
  姫戸町の中心部に入る前に姫戸第三トンネルがあり、
  その手前の左側に永目港がある。
  灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。

( 熊本県上天草市姫戸町永目 )


沖縄県浦添市  ・  第一尚氏 第五代 「 尚 金福王遥拝所 」

2012-04-16 17:57:34 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所






これは内地でよく見かける墓のようであるが、
墓ではなくて、首里の尚金福王を拝む遥拝所である。
現在は、拝所としての機能をはたしていないのか?
人が中に入った気配も無く、ウコール(線香)の跡もなかった。

尚 金福は尚巴志の子、尚 忠王の弟にあたる王で、
在位は1449~1453年と、わずか4年の短い期間であった。
尚 金福王の拝所の近くには、皇(コウ)グスクがあるが、
皇グスクは、その形をまったく留めておらず、造成によって破壊されてしまっていた。
このグスクには、王の側女(妾)が住んでいたとされる。
そしてその側女は、ここで王の子を産んだと言われている。

この皇グスクを教えてもらったのは、70歳くらいのとても美しいおばあちゃんであった。
そのおばあちゃんから親富祖グスクへも連れて行ってもらった。


尚 金福遥拝所へのアクセス
尚 金福遥拝所へは、国道58号線を
浦添市の牧港補給地区の反対側の屋富祖信号より右折し、
左へ入る二つ目の道を500mほど行った所にある。
城間地区の同仁病院の裏辺りになる。
駐車は、アパートの入り口の空いた場所に駐車した。

( 沖縄県浦添市 城間 )

熊本県上天草市  ・  ガザミの産地 「 姫戸町 」

2012-04-16 16:30:48 | グルメ























「 わたりがに 」 と書かれているが、
漁協などに行くと “ ガザミ ” として流通しているようである。
ガザミは大型で美味なカニなので、古来より食用として多く漁獲されてきた。
現在では有名な産地が各地にあり、これらの地域では種苗放流も盛んである。


甲幅は15cmを超える大型のカニで、オスがメスより大きい。
甲羅の背面は黄褐色だが、甲羅の後半部分や鋏脚、脚などは青みがかっており、白い水玉模様がある。
これらは敵や獲物の目をあざむく保護色となっている。
腹側はほとんど白色で、毛や模様はない。

甲羅は横長の六角形をしていて、前縁にギザギザのとげが並び、
左右に大きなとげが突き出している。
鋏脚は頑丈で、たくさんのとげがあり、はさむ力も強いので、生体の扱いには注意を要する。
第2脚から第4脚までは普通のカニと同じ脚をしているが、
第5脚は脚の先が平たく変形した「遊泳脚」となっており、
これを使って海中をすばやく泳ぐことができる。

なお、ガザミの鋏脚長節(ハサミのつけ根から真ん中の関節までの部分)には、トゲが4本あるので、
よく似たタイワンガザミ(3本)と見分けられる。
同じワタリガニ科のイシガニ類やベニツケガニ類は、甲羅の左右に大きなとげが突き出しておらず、
ガザミよりも小型で丸っこい体格をしている。

北海道から台湾まで分布し、波が穏やかな内湾の、水深30mほどまでの砂泥底に生息する。
大きな敵が来ると泳ぎ去るが、普段は砂にもぐって目だけを砂の上に出してじっとしていることが多い。
海藻なども食べるが、食性は肉食性が強く、
小魚、ゴカイ、貝類など、いろいろな小動物を捕食する。
いっぽう敵は沿岸性のサメやエイ、タコなどである。



熊本県上天草市 「 牟田港二号防波堤北灯台 」

2012-04-16 16:15:50 | 熊本の灯台






























牟田港二号防波堤北灯台は、天草上島の東海岸にあり、
陸から離れた防波堤の外端に立っている。
塔形白色のコンクリート造の灯台は、頂部までの高さは9.42mで、
平均水面から灯火までの高さが14mとなっている。
灯質は、単閃緑光で毎3秒に1閃光の割合で照らしている。
実効光度26で、現用灯器にLED灯器 ( Ⅱ型緑 ) を使用している。
初点は、昭和45年11月19日である。

牟田港二号防波堤北灯台へのアクセスは、
国道266号線を松島から左に入って阿村方面に進み、
東海岸沿いを10分ばかり走ると左側に牟田港がある。
灯台は写真のように一文字になっているため、渡船で上堤しない限り遠望になる。

( 熊本県上天草市姫戸町牟田 )


サントリーウイスキー 「ハイボールセット」

2012-04-16 15:51:46 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒






温かくなって行くこれからがハイボールの季節である。

CMでお馴染みの菅野美穂の店にほっしゃんが新入社員を連れて
歓迎会?ならぬ乾杯会のシーンだが、
あれを思い出して、思わず買ってしまった 「 ハイボールセット 」 。
ほっしゃんは、NHKの朝ドラの “ カーネーション ” では、
北村という、ちょっと頼りないチンピラの役が似合っていた。
なにより糸子とのやりとりが絶妙だった。
そんなやりとりを思い出して、今夜はハイボールで乾杯したい。






まうごつ太か天草ん 「 デコポン 」

2012-04-15 21:47:34 | 日記 ・ イベント

本渡市のループ橋を渡る手前の瀬戸町に 「 天草とれたて市場 」 がある。
その前にある“ まうごつ太か ” ( すごく大きい ) 「 デコポン 」 である。










デコポンは、1972年、長崎県南高来郡口之津町(現・南島原市)にある
農林水産省果樹試験場口之津支場
(現・独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 果樹研究所カンキツ研究口之津拠点)で、
清見(きよみ)タンゴールと中野3号ポンカンを交配して誕生した。

果形は果梗部にデコが現われやすく不揃いになりやすい、
果皮は見た目が粗く成熟するとややくすんでしなびるなど、
外見上の弱点が目立ち育成試験場では選抜対象とはならず品種登録はされなかった。

その後、熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市不知火町)に伝わり、
品種名を「不知火」として栽培の取り組みが始まった。
古くから甘夏の産地として知られていた不知火町および周辺地域では、
1975年頃から甘夏に代わる柑橘を模索していたという事情も重なって、
不知火海(八代海)沿岸の宇土半島、天草諸島、葦北地方などを中心に広がった。
日本国内で食用果実として生産、販売されている品種名は「不知火(しらぬひ)」。
流通果実としての「デコポン」は登録商標であり、
不知火のうち一定の基準をクリアしたものだけがその名を使用することができる。
生産量の半分近くを熊本県産が占めており、全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物である。

1991年より不知火の中で糖度13度以上のものを選択して「デコポン」の名称で商品化・出荷が開始された。
歪な外見上の特徴を逆にセールスポイントにしようとして命名されている。
1993年7月には熊本県果実農業協同組合連合会(熊本果実連)が出願していた
「デコポン」「DEKOPON」の登録商標が認可された(種苗登録はされていない)。
熊本果実連は初出荷日の3月1日を「デコポンの日」として制定し、日本記念日協会に登録されている。

そんなデコポンは、どこの国にも負けない美味しさを誇っている。
がんばれデコポン!TPPに負けるな天草!