「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

喪中なので粛々と・・・

2017-12-28 04:25:58 | お題

先週、義理の父が亡くなったので、
粛々と過ごします。


福岡県杷木町 ・ 2017 今年のニュース  「 九州北部豪雨 2 」

2017-12-27 16:51:01 | ニュース
























この集落は、先日紹介した  「 武田豆腐店 」  と道を隔てた場所であるが、
現在も豪雨によって被害を受けた河川の工事が行われている。

被災した我が家を目の当たりにすると、
やれ、クリスマス。
やれ、正月といった気分にはなれないだろう。



山口県下関市  「 台場鼻灯台 」

2017-12-27 11:46:09 | 山口の灯台



潮流信号所の前に立つ灯台









船上から見た台場鼻灯台の全景








台場鼻灯台は明治33年と極めて古い ( 解体前日に盗難に遭った銘板 )








キューポラ付きの灯台頂部








単閃白光で毎4秒に1閃光の灯器








円座受けの梁や窓枠はシンプルだがデザインに惹かれる








家の出入り口のように見える扉








対岸にある北九州市若松区の灯浮標と若松洞海湾口防波堤灯台






灯台表番号 / 5430
ふりがな / だいばはなとうだい
標識名称 / 台場鼻灯台
所在地 / 山口県下関市 ( 竹ノ子島台場鼻 )
北緯 / 33-56-58
東経 / 130-52-25
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 2200カンデラ 
光達距離 / 10.5海里
地上~頂部の高さ / 10.95m
平均水面上~灯火の高さ / 23.45m 
地上~灯火の高さ / 9.0m
業務開始年月日 / 昭和54年5月1日
現用灯器 / LC管制器 ( Ⅰ型 )



現在は灯台業務を廃止され、解体された灯台である。

台場鼻灯台は、彦島の先にある
「 竹ノ子島 」 の台場鼻の丘の上に立っていた灯台である。
そんな灯台は初点が明治33年とかなり古く、
昭和54年に改築されているが
随所に昔の面影を残している味のある灯台だった。


台場鼻灯台へのアクセス
台場鼻灯台へは、途中まで下関荒田防波堤灯台を参考にして頂きたい。
その荒田防波堤灯台からさらに県道250号線を
彦島西山町方面にに向かって進むと
南風泊の水産加工市場に出て、
そこからさらに真っ直ぐ進むと竹ノ子島へ渡る小さな橋がある。
そこから150mほど行くと
右側に郵便局と消防機庫があるので、
その消防機庫の前を左に入った突き当たりに見える
潮流信号機の横が灯台になる。
駐車は、消防機庫から左に入った道が私道であるため進入禁止なので
郵便局付近の広くなった路肩に駐車して歩いて灯台まで行った。


第6位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 定規 」

2017-12-27 07:00:33 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝の気温は1度くらいだった。
西の地平線あたりにオリオン座があり、
東寄りのほぼ真上に北斗七星があった。
そんな今日の順位は6位で、
ラッキーポイントは、
「 定規 」 である。

知的好奇心でワクワク
関心を持ったら追求しよう!


    今日のコトバ

 言わぬは言うに勝る

 ( いわぬはいうにまさる )

言わぬは言うに勝るとは、
口に出して言うより黙っていたほうが、
深い意味を相手に伝えることがあるということ。


福岡県杷木町 ・ 2017 今年のニュース  「 九州北部豪雨 1 」

2017-12-26 19:01:43 | ニュース
























個人的に今年1年で最も印象に残ったことを
大晦日まで紹介して行きたいと思っています。
その中で一番印象に残ったのが、九州北部豪雨である。
このことは数回に分けて紹介して行きたいと思っている。

いつも通る道の風景が一瞬にして変わった。
こうなる前の写真を撮っていたと思って探したが、
見つからなかった。

今まで当たり前だった風景が当たり前でなくなる。
その愕然とした気持ち、
これから先、どうしたらいいか分からんようになって、
今にも心が折れそうになる寸前で、みんな頑張っていると思う。



北九州市八幡西区 ・ 近代土木遺産 「 旧折尾駅舎 」

2017-12-26 10:29:55 | 近代化産業遺産・土木遺産



門司港同様にレトロな雰囲気を醸し出す駅舎









1916年7月に竣工した東口駅舎
























梁と柱をつなぐ支持金具まで装飾が施されている








1階待合室の柱の台座まで凝った造りになっている








鉄骨がむき出しになったホームの屋根裏







高架のホームから1階改札口へ向かう階段








やや勾配のついたホーム








高架の鹿児島本線から筑豊本線への乗り換えや出口へ向かう階段








ベンチや梁に昭和が残る







長いホームが石炭や製鉄の隆盛を物語る








黒ずんだ壁面が当時の面影を偲ばせる








坂を上るように入ってくる鹿児島本線の列車







同じ大きさの煉瓦を積み重ねた連絡通路








鹿児島本線の下を通る連絡通路







小さな煉瓦が幾重にも重なり合って強固なアーチを造る






JR折尾駅は1891年 ( 明治24年 ) の開業で、
日本で最初の立体交差になった駅である。
上に鹿児島本線が、下には筑豊線が通っている関係から、
開業間もないころは九州鉄道と筑豊興業鉄道の
二人の駅長がいた珍しい駅だった。


折尾駅は1916年 ( 大正5年 ) に改築された
ルネッサンス洋式の木造2階建て駅舎には風格が漂うが、
連続立体交差化などの事業にともない現在取り壊されている。

近代化、合理化、構造上の耐震強度などの観点から
こうした近代遺産が姿を消して行くのは忍びがたい思いである。
現代建築の水準は高く、
一度造ったら半永久的に維持が出来るほどの技術を誇っているが、
そんな建築物が経営原理などの理由から
クラッシュ・アンド・ビルドを繰り返す。

1番ホームに立って上を通る鹿児島本線の高架の黒ずんだ壁面を見ると、
かつて石炭産業で一世を風靡した筑豊の重みを感じさせる。




第5位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 足マッサージ 」

2017-12-26 06:00:08 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

24日のイヴと、
25日のクリスマスの本番に向けて
イルミネーションやツリーを準備して来たが、
あっという間に過ぎた2日間だった。
そして早くも2018という新しい年に向けて
掃除という準備が始まっている。
そんな今日の順位は5位で、
ラッキーポイントは、
「 足マッサージ 」 である。

役立つ情報が手に入りそう?
詳しい人に直接話をを聞いてみよう!


    今日のコトバ

 目で目は見えぬ

 ( めでめはみえぬ )

目で目は見えぬとは、
自分の欠点には気づきにくいということ例えで、
自分で自分の目を直接見る事はできないという意から。


「 Leaf のクリスマスケーキ 」

2017-12-25 23:50:37 | パン ・ ケーキ ・ お菓子





























































正月に向けてこんな物も・・・






今年のクリスマスケーキはLeafの 「 生チョコサンド 」 。
生クリームよりもチョコが好きなので、チョコにした。
子供の頃からチョコが好きだったが、
大人になってもやっぱりチョコがいい。

カタチが丸じゃなくて17センチ真四角が、
2017年の美味しいケーキの締めくくり。


近所のスーパーで買った 「 安物のお菓子の詰め合わせ 」

2017-12-25 21:00:57 | お題







近所のスーパーで買った安物のお菓子の詰め合わせだけど、
ハート・オン・プレゼントだと思う。



長崎県五島市  「 楠原牢屋跡 と 楠原教会 」

2017-12-25 11:35:32 | 教会



キリシタンが投獄された楠原牢屋敷跡






















1868(明治元)年末、久賀島から始まった五島崩れは
クリスマスの日に水ノ浦におよび、
まもなく楠原のキリシタンも取り調べをうけて、
仮牢となった帳方・狩浦喜代助宅に投獄された後、水ノ浦の牢に移された。
牢屋となった屋敷の材木は、1954(昭和29)年、
水ノ浦修道院楠原分院の1階に使用され、
1995(平成7)年に解体され、翌年、牢屋跡横に、
残された材木で牢屋が縮小復元された。
敷地内には、1971(昭和46)年、
「信仰の自由100周年記念祭」の時に立てられた「祈りの像」がある。


元治2(1865)年長崎の地で世界中を驚かせる信徒発見の日を迎え、
五島のキリシタンたちも、次々と長崎のプチジャン司教の元を訪れ、
五島の津々浦々に待ちに待った神父到来の報が伝えられました。
しかし喜びもつかの間、五島では明治に入る頃から
信徒への弾圧が始まり楠原も例外ではなく、
捕えられ帳方の家が牢にあてられました。

北風の吹きすさぶ寒い季節でしたが、
着物一枚しか身に着けることを許されず、
夜具もなく、着のみ着のままで過ごさねばなりませんでした。
信徒達は寒さに震えながらも互いにロザリオを祈り、
励ましあって殉教も覚悟していたといいます。
やがて水ノ浦の牢に移され、棄教を迫る役人の残酷な拷問が待っていました。
あまりの苦痛に泡を吹いて気を失う者もいました。

明治6(1873)年、禁教の高札が撤去され、
ようやく捕縛や入牢はなくなりました。

牢屋敷当時の柱材の一部は、
お告げのマリア修道会楠原分院の建物の一部として
約40年間使用されましたが、修道院の解体に伴い、
平成8年に復元された現在の牢屋敷跡に使われ当時の名残をとどめている。



























ファチマの聖母と牧童











殉教地を見守る ” 男性的教会 ”


大村藩(現在の長崎市外海方面)から移住してきた潜伏キリシタン第一陣108名のうち、
一部の者は楠原に住み着きました。
彼らは五島と大村の藩主の了解のもと家老の指図で送られたもので、
移住当時は御用百姓として優遇されました。

明治10(1877)年になると、
パリ外国宣教会の宣教師が来島し五島への布教が始まりました。
楠原の信徒たちもまだ貧しい生活でしたが、
外国人神父の指導もあり教会建築の費用として
長年にわたる積み立てを始めました。

明治45(1912)年、教会建築の名工鉄川与助により、
3年の歳月をかけて完成したのが現在の楠原教会です。
内部はリブ・ヴォールト天井、外観はレンガ造りのゴシック様式で、
下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会です。
信徒たちも教会建設のためにお金を捧げるのはもちろんですが、
整地作業や建築資材を寺脇の山奥から伐採し
運び出すなど危険を伴う作業もいといませんでした。

また外壁に使用する赤レンガは、
購入後船で運ばれ奈切の浜に積み上げられていたのを、
小学校に通う子ども達が学校帰りに持てる数だけ運び手伝いました。
女性達は浜で集めた蜷殻を焼き漆喰用の石灰を手作りし、
男性達は基礎工事用の石材やコンクリート工事用の資材の運搬を受け持つなど、
骨の折れる仕事も喜んで行いました。

こうして完成を見た楠原教会は大正2年、
コンパス司教により祝別、献堂式が行われました。
楠原の信徒ばかりでなく、水ノ浦小教区全体にとっても大きな喜びであり、
盛大な落成式であったと伝えられています。

その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、
その都度部分的な補修が行われていましたが、
昭和43年には祭壇部分を含め大がかりな増築、
補修工事が行われ現在に至っています。
境内にはファチマの聖母と牧童達のかわいい像を配した一角があり、
こちらも祈りの場になっています。


所在地  /  長崎県五島市岐宿町東楠原

教会の保護者  /  聖家族


第11位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 グラデーションの柄物 」

2017-12-25 06:00:01 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝は風が強くて、
散歩の途中の畑に挿された
モグラ除けのペットボトルの風車が
ガラガラと音を立てて高速で回っていた。
そんな今日の順位は11位で、
ラッキーポイントは、
「 グラデーションの柄物 」 である。

口うるさい人から文句が・・・
気にすること無く自分のことに集中しよう!


   今日のコトバ

 笑って損した者なし

 ( わらってそんしたものなし )

笑って損した者なしとは、
いつも明るくにこにこしている人は、
他人に好かれ幸福を招くということ。



北九州市八幡西区 ・ 折尾風景  「 折尾警察署 」

2017-12-25 01:31:08 | 写真






















折尾警察署に行ったのは、
落とし物を取りに行ったからで、
警察署から電話があるまでは、
紛失していることすら知らなかった。

名前も何も告げずに拾って届けてくれた方に感謝したい。
まだ世の中には神様みたいな人がいるんだと思った。



福岡県芦屋町 ・ あしや砂像展2017 「 青森ねぶた祭り 」

2017-12-24 19:12:18 | 日記 ・ イベント




























この 「 青森ねぶた祭り 」 を造ったのは、
イタリアのレオナルド・ウゴリニさんで、
砂とは言え、繊細なのに凄く迫力を感じる作品である。

毎年8月2日から7日まで開催される
誰もが知っている青森を代表する 「 ねぶた祭り 」 。
型枠に紙を貼り付けたねぶたは、最大で幅9m、高さ5mにもおよぶ。
ハネトと呼ばれる踊り手の 「 ラッセ、ラッセ、ラッセーラ 」 の掛け声が
祭りをさらに盛り上げる。



第36回 有馬記念の勝ち馬  「 ダイユウサク 」

2017-12-24 11:04:50 | 競馬・ボート



第36回 有馬記念優勝馬 ダイユウサク






父 ノノアルコ
母 クニノキヨコ

生年月日  / 1985年6月12日
調教師  / 内藤繁春  ( 栗東 )
馬主  / 橋元幸平
生産者  / 優駿牧場
産地  / 門別町
通算成績  / 38戦11勝  [ 11-5-2-20 ]
主な勝鞍  / 91'有馬記念(G1)
近親馬  / ホウライアカデミー、グットホウライ


今まで見てきた有馬記念で、
これだけ人気薄の馬が1着に来たのは記憶にない。
クセ馬で走るのか走らないのか分からなかったカブトシローのように
人気になれば来ないが、人気薄だと俄然ハッスルする馬もいたが、
ダイユウサクの場合はそれとは異なった。
それくらいインパクトのある勝利だった。

戦歴は11勝とかなりの勝鞍があるが、
重賞勝ちはこの有馬記念と金杯だけである。
有馬記念で15頭立ての14番人気だったダイユウサク。
メジロマックイーンやナイスネイチャなど、
そうそうたるメンバーを相手にした7歳馬の勝利は
誰もが驚かされた。

その後、ダイユウサクの夢をもう一度で、
ダンシングサーパスに乗かったが、
柳の下にそうドジョウはいなかった。


長崎県新上五島町七目郷 ・ 五島うどん 「 竹酔亭 」

2017-12-24 05:40:13 | ラーメン・うどん・そば




































下五島に行っても、上五島に行っても 「 うどん 」 を食べる。
五島のうどんは、ひやむぎのように麺が細いが、
シコシコとして喉越しが良く、スルスルと入る美味しさである。
上五島では 「 うどんの里 」 で食べることが多かったが、
今回は 「 竹酔亭 」 でいただいた。

鯛之浦から高速船で帰る予定だったが、
急きょ、有川からジェットホイールで長崎行きに替えたので、
通り道の 「 竹酔亭 」 に立ち寄ったわけである。