ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

池田について その3

2009-04-15 20:25:38 | その他
古墳時代になると池田にも古墳が造られるようになります。

現在も残っている古墳の中で一番古いと考えられているのが茶臼山古墳です。



竪穴式石室のある前方後円墳で古墳時代前期のものとされています。

山裾の地形を利用して造られていて当時は見晴らしが良く南側の平地が一望できたと思います。

次に古そうなのが娯三堂古墳です。



こちらは五月山の中腹に造られた円墳です。

娯三堂古墳の竪穴式石室は断層によるズレが顕著に見られることで有名なのだそうです。

その次に古いとなると古墳時代後期に造られた二子塚古墳や鉢塚古墳になります。

この頃になると石室は横穴式のものになり、古墳自体も平地に造られています。



鉢塚古墳の石室は発掘されている古墳の中では国内でも最大級のものです。



現在、鉢塚古墳は神社になっていて内部に重文指定の十三重塔や石仏が祭られています。

石棺がないのですが、ここの手水鉢↓が私には石棺の蓋に見えるのです!



どこにもそのようなことは書かれていないのですが、皆さんはどう思います?


そんな事より、池田の古墳を巡ると、ちょうどクレハ姫、アヤハ姫の伝説にあたる時代の古墳時代中期のものが無い事に気付いてしまいます。

しかも茶臼山古墳と娯三堂古墳を比べると明らかに娯三堂古墳が簡略化されており、この地域の首長の勢力の衰退が表れているとされています。

アヤハ姫、クレハ姫伝説はやっぱり後世に持ち込まれた話なのかと思ってしまうのです・・・

それでも無理やり伝説は事実だ!と主張してみましょう!ww

古墳時代中期というのは倭の五王の時代で百舌鳥に巨大な古墳が造られた時期にあたります。大和から百舌鳥周辺に都が移ったとも考えられる時代なのです。もしかすると池田周辺の地域は朝廷の直轄地になり首長がいなくなり古墳が造られなくなったのかもしれません!その直轄地にクレハ姫アヤハ姫が連れて来られたとは考えられないでしょうか?・・・呉服神社に仁徳天皇が祭られているのも理由が付きます。

かなり無理のある話ですけどねww
コメント
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