マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

驚きの植物達(滝藤さんの南米珍奇植物紀行より)P2

2025-01-29 | カルチャー 見聞

前回の驚き「南米珍奇植物」の続きです。

   年間降水量が10㎜もない過酷な砂漠状態のところなんですね。

  クッション植物とも言われてるようですが、独特ですね~~

   過酷な気候の中で水分を保つ等のために適応進化しながら生きているのですね。

   なんと1年に1ミリしか成長しないとは2000年~3000年もかかっての大きさがこれだとは・・・

   この植物も独自で過酷な気候から自らを守りながら(隙間を樹脂がふさぐので熱が逃げないのです)生きているのです。

   今度は此方の「燭台」とも言われてるサボテンです。

   

   

   

  長生きしているのもので樹齢700年だとか・・・

   アンデス山脈の映像では今まで見たことがなかった姿を観ましたが、山脈内の砂漠ですよね。

  40年間一滴も雨が降っていないところもあるようです。

   このサボテンの根っこは背の高いサボテンを支えるために幹からの周囲に長さ8メートルまで広がってるそうです。

   此方のチリでは2番目に古い教会では門柱も「サボテン」が使われています。

  キリストの復活までの14の場面が壁に飾られているのですが、額装にサボテンが使われています。

 天井もサボテン材、で、何度も何度も復元されてるそうです。

   太平洋の「霧」がわずかの恵みとなっていますが・・滝藤さんが見たいという「コピアポア」は・・

    ほとんどが枯れてしまっていて・・

   3枚の写真が本来の光り輝く「コピアポア」・・太陽のように金色に輝くので「ソラリス」と言われているのですが・・・

   何千という数が干からびてしまってるのです。

   ここ20年間は以前のように雨が降っていないようです

  滝藤さんは元気な姿を残念ながら見れなくて・・

 滝藤さんが帰国した後に枯れていた「ソラリス」が蕾を付けたそうです。

   これもまた独特なサボテンです。

   

   白い部分はワックスのようなもので、水分の蒸発を防いでいるそうです。このサボテンも水分を失う広い葉はトゲに変えるという生体だとか。

   「光合成は「茎」で行ってるとか・・

   南アフリカ紀行でもそうでしたが、珍奇植物は こちらでも「盗掘」が頻繁になってきているようです。

    

   

   

   砂漠化が進んでいるという現実に・・

 今回来れてよかったけど・・先ではどんなことになるか・・ともっと植物を育ててるものとして、知るということをやって行かないと‥とおっしゃってました。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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驚きの植物達(滝藤さんの南米珍奇植物紀行より)

2025-01-26 | カルチャー 見聞

録ってあった「滝藤賢一さんの珍奇植物紀行」過去ログは「南アフリカ」でしたが、今回は「南米」で、またまた初めての珍奇植物達です。ご存じの方もお付き合いくださいませ。

   「サボテン」(南米で見たいのはコピアポアだとか)をみてみたいという「滝藤さん」ですが、驚嘆ばかりされてましたね。

   「コピアポア」も後ほど出てくるようですが・・この2種も含め見たことがないサボテンばかり紹介されるのでしょう。では映像順にピックアップで・・

   当然園芸店とは違う色合いのものです

  園芸店では「緑色」ですよね。過酷な気象条件でこんな色になっちゃうんですよね(降水量も少ないし気温の高低差が半端ないようですし・・)

  砂漠って言ってもいいような処ですね。

   ほんとに梅干しみたいですね。(過酷なところで適応するためにこれは濃い赤い色素を持つようです)

   色素で太陽光からDNAを守っていて、その太陽光をさえぎるために「トゲ」を伸ばしているそうです。

   降水量の少ない地で進化しながら生きるために必要な水分も「トゲ」で集めてるそうです。何百年何千年かけて環境と気候に適応したようです。

   世界最小のサボテンだそうです。↑の「リリプターナ」は12ミリしかないのです。小さいから耐えれる

   1.2年雨が降らなくても小さいから耐えれてる・・っていうことでした。

   種が亀裂に沿って下に流れてまたグループができるのです。大きな個体は100歳以上だとか・・過酷な環境で凄い生命力ですよね。

そしてこちらはサボテンにつく「虫」を利用して・・こちらのお店では・・

   「サボテン」についた「カイガラムシ」がなんと・・・染料に利用されてるそうです。

   「カイガラ虫」を集めてお湯で溶いて「クエン酸(レモン汁)」を混ぜると紫色からオレンジ色になるのです。いろいろな色に変調させて、マフラー等を制作されてました。

次回も珍奇植物後半をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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「宮沢賢治さん」に感嘆P2(歴史探偵より)

2025-01-17 | カルチャー 見聞

前回の続きで宮沢賢治さんの地元農業への貢献と挫折を・・

   

   ベートーベンに傾倒していて、チェロやオルガンを弾いたりしていたようです。ベートーベンが考えながら歩いている姿をまねしていたようです(この写真は謙治さんの在りし日の姿でよくメディアで出てきますよね)

    「セロ弾きのゴーシュ」も、「永訣の朝」も実体験からの物語ですね。「永訣の朝」は愛する妹さん(トシさん)との別れの朝の情景が描かれててドラマでもその場面は涙を誘いました。

    「銀河鉄道の夜」を書き始めたのもトシさんの死がきっかけになっているとか・・そして・・

   「やませ」という気象現象で稲が被害を受けてしまうのを何とかしないと‥という現実行動への決断をしながら「雨にも負けず・・」という思いを手帳にメモしていくのです(後に詩として教科書に載せられるのですね)

   農業の事を勉強しながら「冷害に強い品種」を見出して農家へ推奨したそうです。

   「肥料」も研究して「設計書」も作成されてるんですね。

    農家の皆さんに「相談所」まで設けて尽力なさったのですね。

   考えた「賢治さんの農業」はお金がかかってしまうのですよね。そこで挫折、その後は「結核」になってしまって苦しみの生活となってしまうのです。

「雨にも負けず・・」は自分の願望とか願いを自分に向けて書いた言葉だったようです。

 

 

 

 

 

 

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「宮沢賢治さん」に感嘆(歴史探偵より)

2025-01-12 | カルチャー 見聞

年末年始のSP番組を録っていたら2時間以上というのが多くて、それを見てしまわないと、定期番組の先の予約(BR,とDVDに振り分け)をしても、予約時間が何日までしか残量足りに状況になっていて・・・

ここ数日は両方の番組を観ることに齷齪している毎日となっています。

その折に長い番組を先に見るというのが続いていたので、DVDで11月に録ってあった毎週の「歴史探偵」を後に回してしまっていたのが解って・・・DVDの方は一段落したので観てみたら・・「宮沢賢治さん編」できれいな3Dの画面も見ることができたのでUPしますので、ご存じの方もお付き合いくださいませ。

「銀河鉄道の夜」の制作秘話から・・

   この物語は「未完」の作品なんだとか・・その「銀河」の事をどうやって知ったのか?を検証されてました。

    当時この観測所へ通って「銀河系」等を学んでらしたようです。

旧暦の七夕の時期、8月6日PM11時に起こる天文現象を物語(白鳥の停車場に到着する)と融合させているのですね。

   「天の川銀河」を「大きな両面の凸レンズ」と表現されてます。

   物語を書くために観測したり、事前に書物を読まれていたのですね。

   この「銀河・・」は「宮崎駿さんの千と千尋の神隠し」や、「米津玄師さんのカムパネルラ」に影響を与えています。

   3Dでの「銀河鉄道の旅」へ・・

   

   

   出発点の北十字の「はくちょう座」から終着駅の南十字の「みなみじゅうじ座」への旅ということだったのです。

  「米津師さん」カムパネラの死の原因になった「サネリ」の思いを歌った曲も創られてるようですね。「宮崎駿さん」は影のような人物を「死者」とされてるようです。妹さんの「死」が「生と死」に向き合うきっかけになったのでしょうね。

昨年「鈴木亮平さん」主演のドラマ「宮沢賢治の食卓」をみてある程度の人となりを知りましたが、この「銀河鉄道の夜」の物語が何度も書き加えられてたり、そして「天文現象」を当時から何度も何度も通って勉強なさっていた事も知って、感嘆いたしました。

次回P2も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「東海道五十七次!?」ブラタモリより

2024-12-07 | カルチャー 見聞
録ってあった番組を観るのを忘れていて・・
偶然で録ってみようと思った「ブラタモリ」それも三夜続きの番組だったのもつゆ知らず・・最初の回しか・・なんですがご存じの方は多いかと思いますがあの「東海道五十三次」に別ルートの「五十七次」というのがあったということで・・五十四次編をご紹介します。
まずは終点地「京都の三条大橋」の事から・・・
 秀吉の時代に作られた時は「石の橋」だったそうで今もその一部が残されています。三条大橋は何度も歩いたことがありましたが、この遺跡には気が付いてなかったです~~
   ここ三条大橋がゴールなのですが、「広重」が描いた三条大橋の絵は「木の橋」になっています(あの人は想像で書いているのだ・・とタモリさん・・紀行番組でも「比叡山」は見えない所でも、書き込まれてたり・・・・そんなことを言ってらした有識者もいましたね)
   「徳川」が作った「五十七次」というルートがあったのですね。
   「大阪」までのルートです
   大津側に少し戻ったあたりで、南西に進むと三叉路が見えてきました。
   こちら辺りで江戸時代は「大津絵」という手書きの絵が道中のお土産で人気があったそうです。
   手書きでも大量生産するために型を作って描いていかれてたようです。
  江戸時代の三差路、タイムスリップしてみたくなりますね~~。
  「徳川幕府」としては大名と天皇の接触をさえぎるためにこのルートを作ったのですね。
いよいよ別ルート五十四次へ・・
    
   
   伏見稲荷へは行ってますが、この「元宿場町」だった「伏見」の元東海道ルートを散策しにいきたな~~
   この「豪川」も興味津々でした。秀吉の時代の伏見城のお堀だったんですね~~
   「家康」はこれを利用して「流通」ルートも作って宿場町を発展させたようです。
   
家康は「伏見」で過ごしたのが一番多かったようです。そして・
  こちらを寄進した水戸の「徳川頼房」が「伏見」で生まれてるそうです。
  わが紀州藩主の「徳川頼宜」もこちらを寄進してて、「伏見」で誕生だそうです。
 尾張「徳川義直」も伏見で生まれた・・とか・・
そして・・わが地方にもあある「総本家駿河屋」ですが・・
  どんだけ代が続いてるんでしょう~和歌山へ着た頃はよく買ってましたね~(和歌浦せんべいなど今は色々な創作和菓子が豊富です)
   こちらも江戸時代にタイムスリップしたいですね~~
凄いカルチャーできました~五十五次は「淀」の様です。そして「枚方」「守口」だそうです。(録るの忘れたの残念です~~)
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滝藤さんのアフリカ旅(珍植物編)

2024-11-28 | カルチャー 見聞
急に寒さがやってきた11月ももうあと少し、2日となってしまいました。
月初めに録ってあった「滝藤賢一さんの紀行番組」を録ってあったのを忘れていて・・・先日見終えたのですが・・
その中からちょっと珍しい植物が紹介されていましたので撮ってみました。
   南アフリカではたくさんの珍植物があるようですね。
「ユーホルビア・・・」は、↑の園芸店のものとは違う感じで、昔育てたことがあって、草丈が長くて、黄色の花を咲かせていたように記憶しているのですが・・アフリカの自生種は独得の生態系ですね。
   変わった植物ですね~この植物も肉眼で見てみたいなって思いました。
 初めて見るものばかり・・・過酷な気象条件の中で、身を守りながら自生してるのですね。
  これもまた独特の植物ですね。
  東ケープで6か所にしかない「ゴクラクチョウカ」、植物園の温室で見ることが多いですが、自生種はやっぱり違いますね。
西ケープへ向かいます・・
   
   雨水によって「種」が落ちて、その種は20年生きることができるという不思議な生命力の植物ですね。
   「ペラルゴニューム・・」ここまでの名前は、難しそうだから、育てたことがないのですが知ってますが・・似ていませんね~ ちょっと忘れたのですが・・風が吹くと?時計回りに回ってるんですよ~~なぜだか解明はされてないようです。
   山火事が起きることでまた生きだすことができるっていうことですね~植物の生業ですね。
   ここでしか見られtない植物だそうです。
「親指姫」可愛い名前です。 
  「石英」はこの地では植物達にとってなくてはならないものです。
   
  地面近くで咲いたり閉じたり・・地について目いっぱい頑張って・・いじらしくなりますね~
  デイジーは日本でもお馴染みですが・・自生種で、一面の花盛り見事ですね~~
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「和歌の浦と源氏物語」座談会へ・・

2024-10-26 | カルチャー 見聞
今日は曇り空の中(少し雨に会いましたが)コロナ禍前に出向いたことがあった「不老橋」近くの「観海閣」以来の「和歌浦」まで乗り継ぎで「片男波健康館」で開催された「和歌の浦と源氏物語 座談会」へ出かけてきました。
観光地化されているので、何組かのご家族やカメラマンさん等が「観光案内図」を見られていたので私も撮ってきましたので、座談会会場まで向かう前に撮ったものをご紹介します。
   バス停に降り立つと観光案内図が目の前に・・昔の写真を見て南側に渡りながら西側の景色(昔はこのあたりまで船が入ってきて右手にある「玉津島神社」に「参詣」されていたようです。(聖武天皇行幸1300年記念祭がこの辺りで明日開催されます)
渡り切って振り返った「不老橋」です。
 「片男波」まで車が通れるように作られた「あしべ橋」です。はるか東側には「紀三井寺」がみえますが・・(うまく撮れてなくて、遠すぎて見えないですねすいません)
では「健康館」へ・・
大河ドラマ「光る君へ」のお陰で「源氏物語」と「和歌の浦」との関係を紐解きながら、有識者による「和歌の聖地誕生の歴史」と、現在につながる「短歌」の文化に触れることができました。
明日27日に「藤原公任役の町田啓太さん」が「和歌の浦誕生千三百年祭」のゲストに来られるというのもあって、パネルディスカッションで「町田氏の公任さんは・・・あまりしっかり見ていないけど、上品すぎるかな?」っておっしゃってました。(あのイケメンですものね~~~きっとそう思われますよね)
その公任さんの和歌の浦訪問を皮切りに和歌の浦が都とつながったのですね。
 公任さん秀でてらっしゃったのですね。「古今和歌集」の序文の注や、自ら編纂した「歌集」にあの有名な「わかの浦に・・」の「山辺赤人」の歌を取り上げてるんだそうです
  「源氏物語」関連でのお話では「紫の上」と、「衣通姫(そとおりひめ)」の「美(絶世の美女)」だということを学びました。
 帰路について「不老橋」を北へ渡る前に撮ったものと、バスを待ってる間にとった「不老橋」です。
そして公共交通機関が充実していないせいでいったんお城前まで行って、乗り換えバスを待つ間に撮ったらいとあっぷがはじまった「和歌山城」を・・
  午後から出かけて、帰宅は6時過ぎちょっとした小旅行並みでしたが久々に和歌山に浸ってきました。
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人類と生命の進化・・・(TV 世界遺産より)

2024-10-20 | カルチャー 見聞
録ってあった「世界遺産」の編集をしながらちょっとカルチャーできたことを・・
ご覧になった方や、ご存じだった方もたくさんいらっしゃるだろうと思いますが、博物館等はもう何十年も出向くことがなくなってしまって「へ~~つ」といってしまったことにお付き合いくださいませ。
   懐かしい「フェイフェイと、トントンちゃん」ですね。トントンちゃんって「人工授精」で生まれたんですってね。
世界遺産になった四川の「保護区」は東京都4つ分の広さなんだそうです。そして・・
   つい先日」「脳トレクイズ」で知った「パンダの左手の指?が7本」というのをこの番組の博物館の取材で再認したという次第です。ちょっと変わった進化の仕方だったのですね。
   骨盤の発達で、周りに筋肉をつけて重い体でも横揺れに強くなったということでした。「水牛」は500㎏くらいで、アジアゾウは「5トン」だそうです。これにもおどろきですが・・
世界陸上の動物最大だと言われている「パラケラテリウム」ほんとにゾウの3倍陸上最大の哺乳類っていうの納得ですね。このとき「原人や旧人」と共に生きていたのですね~。
その原人も・・
   1万5千年前の少年の「ミイラ」が発掘されたのですね。これにも驚きです サル~~「原人」~「旧人」が頭脳の進化もあいまって、世界中に散らばったようです。そして我々のような「新人」と進化していったわけですね。
 この「アルマジロ」は体長3メートルもあったようです。
あの「ナマケモノ」が・・・
   体長60cm~70cmの「ナマケモノ」が6メートル超もあったって信じられない・・頭蓋骨の標本もです。
「世界遺産」は自然の絶景などが多いですが、登録されてる場所に住む動物(今回は哺乳類)の先祖や進化の仕方などを「できました。
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英雄たちの晩年は・・{歴史を歩く 神沢杜口編}

2024-10-12 | カルチャー 見聞
全く知らない方「英雄 神沢杜口さん」なんですが・・UPしますね。
   「与力」っていう当時の職業は、今でいう「高額所得者」ということですね。
  「本」が好きでどこまでも探しに行かれてたのですね~
   色んな事に好奇心を持って学ばれたのでしょうね、まあ200巻ものエッセイ集など書かれているのですから、できる人だったのでしょう。
   
 京都から吉野まで歩き続けられてるんですね。健脚も羨ましいです。
江戸時代って時代劇でもよく出てきますが」「お伊勢参り」と皆さん歩かれていますよね。現在の健康志向も「歩く」ことが一番いいと言われてますが・・
お言葉通り「毎日を平穏無事に過ごすこと」が心身ともに健康でいられるっていうことでしょう。
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英雄たちの晩年は?{鴨長明編}

2024-10-02 | カルチャー 見聞
前回に続いて「鴨長明」さんの老後を・・
   教科書で習ったのは大昔ですが、「方丈記」を書いた人というのは今でも覚えていますね。
下賀茂神社の神官の子というのは初めて知りました。
  裕福で何不自由なく育ったから、逆にそうなっちゃうのでしょうか・・
    
  「糺の森」にある「庵」を写真に撮ってきたこともありますが、「詫び」を感じたのを思い出します。解体してどこででも暮らせるようにしていたとは・・・
  「神官」になりたかったのかも・・ですが、結果「方丈記」を残せたのですから・・とも思いますが・
   この人の性に合っていたともいえるのでは・・
   「方丈記」は晩年(今の65歳くらいでしょうか・・)に書かれているということですね。
   
  見た目は聖人でも、心のうちは人間らしいということですよね。
人生100年時代、和泉秀樹さんの言われる↑この言葉は共感ですね。
 自身で選んだ道・・・貧しくても穏やかに過ごされたようで何よりですね。
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「英雄達の晩年は?」(歴史を歩くより)伊達政宗編

2024-09-30 | カルチャー 見聞
大河でお馴染みの戦国武将たちの「晩年」は歴史の番組などで知ることも多いのですが、先日観た「伊達政宗」の事はあまり知らなかったので、ちょっとカルチャーでした
まずは「伊達政宗編」で・・
   
   「織田信長」も何度か見聞きしたことがあったのですが、この方もそうだったんですね。それに中年(昔は老年でしょう)ですものねちょっと驚いてしまいました。
   60歳の時に隠居したそうですが・・
   仕事をしていた?とか・・隠居ではないですね。現役だったようです
   「伊達物」をやはり身に着けていたんですね。
   食にはうるさかったようですね。
    悠々自適の様ですが・・一人淋しかったようですね
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「島左近」という軍師を知って・・(泉秀樹の歴史を歩くより)

2024-09-18 | カルチャー 見聞
歴史時代劇で・・(この間見た「天地人」では若林豪さんでしたが)何度か登場した「石田三成に仕えた人 島左近さん」の事を録ってあった番組で知ることができまして、わが故郷の「奈良県」だったというのも解って、あまり描かれることがなかった歴史ドラマでの「大和の国」の事も知ることができました。
   同じ奈良県でも「生駒郡平群町」という地域は行ったことがないところでして・・
   生まれて育ったという「西宮城」は公園になってるようですが、奈良に「西宮城」なんてあったのですね。(大阪の「西宮」にはよく行きましたが・関係ないですね すいません)
  「筒井順慶さん」は「麒麟が来る」で「鶴瓶さんの息子さん 駿河太郎さん」が演じられてましたね。この「筒井」は「奈良」に電車で行くときに乗り換えの「大和西大寺駅」までの「郡山市にある筒井駅」を知ってるというだけですが、この辺りにあったお城「筒井城」に「左近さん」がお若い頃に出士されてたということでちょっと感慨深かったです。
   
この頃のことは大河などでよく出てきましたが・・
 左近さんの肖像画などはなくて、結婚されてた話も何が本当なのかわからないようです。
   順慶さんは「本能寺の変」では「光秀」に加担されなかったようですが・・
   約束してたのに「山崎の合戦」には出陣しなかったのですね。
 でも人徳なのでしょうか「大和」を失わずに済んでますね。
   「順慶さん」は若くして亡くなるんですね。跡継ぎに見切りをつけた「左近さん」はお城を去ります。その後・・
   ここで「三成」に乞われて家臣となるんですね。
   「義」を重んじる考え方に共感しあうって感じですね。
  佐和山城下の「左近さん」が住んでらした家が再現されてるようです。
   左近さんが愛でられてたという・「たぶの木」凄いですよね~~
いよいよ東軍が「恐れをなした」という「関ヶ原」での左近さん・・
   
   
   
   
   
  「佐近さん」の姿を凝視できないという相手方の言葉が勇猛な戦い方をした方だったというのが目に浮かびますね。その佐近さんにたびたび「家康」に対戦する戦法を進言されても「首を縦に振らなかった」三成はとは・・
   
  最終的には生きざまは同じであったということでしょうね。
佐近さんはさらに・・
   先を見据えた「軍師」であったということですね。できました。
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「清盛さん」の逸話・・(歴史探偵より)

2024-09-13 | カルチャー 見聞
「大人の人形劇 平家物語」を録りながら観ているのですが・・今でも平家物語として話は進んで、今週の放送では「鎌倉殿」に嫌われていく原因の上皇の院宣・・で悩む義経のために、「弁慶たち」の機転で「静御前」が傍に侍るんですが、同時にあまり描かれていなかった「頼朝」の命令で「婚姻」を強いられた相手の「郷御前」という方が、嫁いで来られて…良い方で、父君の言われる「自分の事だけ考えて・・嫁いだ相手に最後まで寄り添う」ということを肝に銘じて、「静御前」にも優しく接しられます。
{木曽義仲の周りの女たち(巴御前は別ですが・・)の描かれ方の酷さにはへきへきしましたが・・}
お互いを思いやられながら・・という場面が見れまして、ちょっとほのぼのした回でした。
すいません「清盛さん」のお話に戻りますね。
「清盛さん」の偉業(厳島神社、交易等)はドラマなどでお馴染みですが、ちょっと知らなかったことなどピックアップしますね。
「平治の乱」では最初「源氏」に敗退しますが、その後起死回生で、「海賊」退治をなした時に使った「作」を講じて・・
   「遠矢」という海の上でつかった「作」を「近くに迫ってくる源氏勢」の騎馬戦にどうにか勝てないものかと陸の戦いに応用したのだそうです。
   「清盛」が「六波羅蜜寺」に誘い込み用意周到で勝利します。
 これにより「平氏全盛期」を迎えるのですね。
そんな「清盛さん」は・・
  「にらめっこ(目眸)」で「どくろの妖怪」を退治したとのこと・・
 大河では「松山ケンイチさん」「松平健さん」が清盛を演じられましたね。
   「桓武天皇」の子孫の一族なんですね~~
「声を荒げることはなかった」とありますが「大人の人形劇」でもそんな感じでしたが・・
「理想の上司」的な方だったようですね。TVドラマでは出家された姿の「入道」のイメージが強かったのですが・・
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「藤原道長」のルーツを探る(あなたの知らない{奈良}旅?)より

2024-09-07 | カルチャー 見聞
ここ数日、録画番組で故郷奈良(まほろば)に接することが続いてまして・・(アナザースカイでは堂本剛の故郷案内、プロジェクトXでは,薬師寺東塔の修復の挑戦者の方々)と、そして「あなたの知らない京都・・」での今回の「藤原道長のルーツを探る」から懐かしの寺社や風景(光景)を見ることができました。
今回はカルチャーできたことを中心にご紹介します。
まずは教科書から必ず習った「大化の改新」から・・
  「645年」と覚えた「大化の改新」は一連の事件の後の改革の事で、きっかけとなった「事件(乙巳の変 いっしのへん)」があったのですね。このきっかけになった事件のことは全く知らなくて・・(習ったのかな~~?記憶にないです)
まずは「藤原」と名乗る経緯も含め「始祖 藤原鎌足」の誕生から・・(そういえば 鎌足さんの何代?に当たるのかは覚えていませんが、私の友人のお父さん保存の古びた今にも破れそうな家系図を持っていたのを見せてもらってその名があったのを見て驚いたのを思い出しました)
  「中臣鎌足」が祀られている多武峰の「談山神社」の絵巻(唯一解る絵巻でした)でできました。(談山神社は奈良にいた昔に一度しか行ってなくて、和歌山からのバスツアーで紅葉を見に行きたいと思いながら時がたってしまい叶っていません)
   「鎌足さん」が生まれた時から描かれてまして、「鎌をくわえた狐」が描かれています、その「狐が奉納したといわれる鎌」から幼名が「鎌子」だったようですが・・
「横暴」を重ねる「蘇我氏」関連では・・
  <「蹴鞠の会」で「皇子」が沓を飛ばしてしまった時に「蘇我入鹿」があざ笑うのですね。その時に予てから皇子との接見を希望していた「鎌足」が「沓」を拾って渡したことから親密になっていったようです。
   「かたらい山」で「暗殺」の密談をされたようです。
   この時の「藤の花」から「藤原」を授かったのですね。
   凄いリアルな暗殺場面が描かれてますね(首が飛んでます)
   長子が建立した「談山神社」の「十三重塔」は現存する木造の唯一のものだそうです。
二代目「不比等さん」~4人の子を経て隆盛を極めていくのですね~(道長さんは12代?・・・)
   
 当時は今の奈良県全体が「興福寺領」だったようです。
   「政略結婚」もこのころから始めっているんですね。
 「不比等さん」の邸宅だった処に「光明皇后」が建てた「尼寺 法華寺」のご本尊は「皇后」をモデルにしているとか・・
   「興福寺」は氏寺「春日大社」は氏神と、藤原氏の隆盛は凄いです。
   春日大社の「若宮」の「おん祭り」一度見に行きましたが・・
 この大きな「太鼓」は昭和51年までしか使われなかったので、残念ながら見ていません。
   やっとここで「道長さん」関連の「鏡」が登場しました。
春日大社の宮司さんは現在も「光る君」の前半に登場された「花山院」の末裔の方がなられているようですね。
故郷の隣の市「御所市」の地酒が登場しました懐かしの「金剛山」の麓の「くじらの滝」から名づけられているようです。
カルチャーの回でした~~。
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7月の満月「バックムーン」と・・・

2024-07-22 | カルチャー 見聞
ck;">5・6年前までは何回かバイクで見えるところまで行って撮っていた「港まつり花火大会」、21日に開催されてまして・・・引っ越してから高台から観れるといっても写真に撮るには遠すぎて・21日20時半ごろ見えそうなところまで行って見たのですが、やはり高く上がる花火は見えましたがカメラに収めるには遠すぎて・・断念しました。
帰宅前に道行く人の「今日は満月?綺麗ね~~」っていう声が聞こえたので、帰宅してベランダに出てみて撮ってみたのですが・・
デジカメなので上手く撮れてませんが、7月の満月は「バックムーン」(アメリカの農事暦が由来の呼び名で「バック」は雄ジカの意味。 ツノが生え変わる時期であることから、この名前がつけられた)ということを知ってちょっとカルチャーだったのでUPしてみました(全国的に見れてるそうですのでニュースで見られた方もいらっしゃるでしょうし、ちゃんとした映像を見たい方はネットで綺麗に撮れてるものを見てくださいね)
  
上手く撮れてませんが20時57分か~59分の「21日のバックムーン」です。(肉眼で見る方が綺麗ですね)
  20日の夕方買い物に出かける時に見えた久々の夕焼け空をスマホで撮ってみました。
刻一刻変わっていく空の様子は昔よく撮ったものでしたが、空を見上げることも最近はなくなっていたので、やっぱり生活しながらもこんな時間を持てるようにならないと・・・と思いました。
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