今日は朝からが降ったりやんだり、少し寒い一日でした。
さて今回は、「THEハプスブルク」鑑賞を終えたあと、当初の予定だった「三十三間堂」へ行くには時間がなく諦めて、国立博物館すぐ北側の、「豊国神社(とよくにじんじゃ)」と、「方広寺(ほうこうじ)」に足早で立ち寄ってきましたので、ご紹介します。
では、秀吉が大名として統治した地、大阪市の「大阪城公園」や、長浜市、金沢市等、そして出身地の中村区にも同名の神社があるという「豊国神社」(京都人には「ほうこくさん」の名で親しまれているようです)から・・
正面の絢爛豪華な唐門(国宝)は、伏見城の遺構と伝えられてます。写真でもわかると思いますが、門の両側におびただしい数の「千成瓢箪」の絵馬が掛けられています。「豊臣秀吉公」(人)を(神)として祀られているという数少ない神社ですね。
秀吉が「恋愛結婚」だったということで「豊国神社」ならでわの挙式をされる方が多いようです。奥の拝殿のそのまた奥が本殿(挙式が執り行われます)のようです。
秀吉の遺命で「阿弥陀ヶ峰」の山頂に遺体が埋葬され、その麓にあった「方広寺」の「鎮守社」として廟所が建立されたのが始まりのようです。
そして、その秀吉が建立したというすぐ北隣の「方広寺」へ・・・
写真の左奥に見えるのが「本堂」ですが、今回は「国家安泰の銘鐘」を撮ってきました。日本三大名鐘とされる梵鐘は「高さ4.2m、外形2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7トン」だそうです。
↑の写真の梵鐘に刻まれている銘文の白い部分の位置に、アップで撮った右の写真の「君臣豊楽」「国家安泰」の銘文が「徳川家」を冒涜するものとされ「大阪の役」により「豊臣家」滅亡を招いたとされているんですよね。
銘鐘の天井画です。
銘鐘の足元の周りには、「東大寺」に倣った大仏殿が造営された後、地震倒壊、再建後の焼失の経緯を得ての「遺物」が置かれてました。(大仏殿の柱の金輪、屋根の軒先に吊るされていた風鐸、大仏の台座の一部は見ましたが・・・)九点もあったんですね~~足早見学だったので見てません~
因みに大仏の全高は18mとかで東大寺大仏殿をもしのぐ大きさだったそうです。(驚き)大仏殿があったとされる跡地は今、公園になってました。
京都観光では見残されがちな二寺社を見学出来てちょっとカルチャーでした。