







何とかロングスカートになりました。







今回は番組「歴史探偵」より「そうだったの?」っていう「御三家」のことです。
全く知らなかったのですが、「家光」の叔父さん達って年齢的に同世代だったんですね~~
「家康」はこの三人の事が歳をとってからの子供だったからか可愛がっていたそうです。
「尾張」には特に「名古屋城」を与え清須の街をお城近くに移した・・ということでした。
「義直」は関ヶ原の戦いの後「家康」が59歳の時に生まれたそうです。海上に「御殿」を作ってるんですね~
此方にも御殿を作ってます~
「家光」に対しての威厳のようです。さらに・・
「家康公」の為の専用空間らしいです
そしてわが地域の「紀州徳川家」は・・
「紀州東照宮」です「関西の日光」とも言われているようですが、行ったことなくて・・108段の急な階段(侍坂)を「和歌祭り」で「神輿」を担いで下って行かれる様子がニュースになっています。
「左甚五郎」作の彫刻も流石ですね。
「頼宜さん」は「捕鯨」や「戦術」が好きだったようです。
将軍には「尾張 紀州から・・」という「家康」の遺言もあったようです。
では水戸は?二家はそこそこの「石」を与えられてたようですが、水戸は少し格下だったのですね
でも・・
「家光」と、「頼房」は年が近かったせいか、あとの二家は脅威でもあってか、仲が良くて「小石川後楽園」の「腰掛石」に座ってよく話をされていたそうです。
水戸城は「石垣造り」ではなかったようで・・
家光が石垣にしろ・・と「頼房」に勧めても「地層」がいいので今のままでいいといっていたそうです。
「石丁場」もあったようですが・・
この「那珂川」が難所だったようで頓挫したようです。
で、2代水戸藩主の「光圀さん」の時から「御三家」システムができていくのですね。
紀州藩は2人も・・でも「御三家」として始まった水戸藩から「最後の将軍」が出たということですね。
できました。
録画していた2番組で連日「徳川家」の事を知ることができました。「歴史を歩く」からは「家康のルーツ」を知ることができまして・・
「家康」の御先祖様ってイケメンだったようですね。いかにも精悍なかんじで、優秀さを見込まれるというのも分かるような気がします。
「夜道怪」と呼ばれていたようですが・・
「神格化」され、「約束は忘れてしまう」という性壁の「家康」のルーツを知りましたが、「泉秀樹さん」がいわれてる「貴種」に成りえて260年余りもの「徳川」の世が続いたのは俗に言われる「鳴くまで待とう・・・」の考え方が結果的に幸いしたのでしょうか??
次回は「徳川御三家」(歴史探偵より)…編です
前にも見たような記憶があったのですが・・「旧車探して地元めし」の3話分をまた見てもいいかな?と録ってあったので見てましたら「長野編後編」で・・まだ免許を持ってない頃に、従兄達からか耳にしたことがあった「車種」が出てきて・・どれも一度乗ってみたくなるような車ばかり・・
しますので、ご存じの方も興味のある方もご一緒に・・
これは番組ないで売り案内されてたもののようです。この「117クーペ」っていう名前を大昔に聴いたことがあって、7年ほど前に乗っていた車のナンバーにした思い出があって、UPしました。こんな車だったんですね。そしてメーカーが「いすず??」って初めて知りました。
そして「升毅さん」が入っていった・・こちらの博物館みたいなところには・・
すべてナンバープレートが付いてて動くのです。
この「シルビア」の名前は70年代後半だったと思いますが耳にしたことがあって(だからこの車種ではないのかな?)良い響きだなって思って実際に見たことがなかったのですが・・・この色合いは好みですね~~
でも驚いたのが・・
凄い作業ですよね~~
会長さん走らないと意味がないとおっしゃってました
日野ってトラックのイメージが強いですよね、クーペを作ってたんですね。「升さん」試乗されて「50年前の車でも坂道軽々だな~」って感嘆されてました。
乗ってみたかった旧車がたくさんあって・・見に行くだけでもいいんだけど・・・この体力じゃ長野まで無理だな~~
映像で見れただけよかった~~
箪笥の肥やし化していたウール地の紳士スラックスをリメイクしようと解き始め(2月9日でした)て、途中から違うもののリメイクやら、色んなUPリメイク用のものを整理がてら出してきたり、これは何かに・・と構想したりで、後回ししていたのを先日からまた初めまして・・3日ほど前になんと3か月近く要して出来上がりました。
解いたスラックスがサイズすこし足らない(裾幅がウエスト側になるわけで・・細身の方はこれだけでできると思いますが何せウエスト太いので・・)感じなので、これも殆ど着ていない肥やし化していたもので、ニットの羽織物(T型の被り物)が色合いが合いそうなので、丈をカットしてその幅をスカート丈にプラスする構想で初めてみたのです。
ここで暫く休止してしまってます。
先日ここから再開しまして、ニットを裁断し、スラックスを縫い合わせたところの端の縫い代にニット端を「裁縫上手」で貼り付けていきました(右側の写真色ちゃんと出てませんがモスグリーンです。)
スラックスのウエスト布は股上の部分で何とか取りまして、繋いで縫って、ニットの部分はそのまま折り返しで使えました。ゴムを通して巻きスカートに仕上げました。
右脇下方と左上脇に、スラックスの脇ポケットの入口布を使って紐を作り鍵ホックで留めるようにしました。
すかーとはくるぶし丈位にギリギリできました。ニットは丈が短くなっただけです。セットアップでも着れそうです。(着るのは今年の秋~冬にかけてでしょうか)
箪笥の肥やしも何とか陽の目を見れるようになったようです
「なたね梅雨」のぶり返しみたいな日が続いてますが、昨日からは陽光がさして、久しぶりの爽やかな陽気になりました。
さてさて後半の連休も、これと言った予定もなく録っていた時代劇や、ドラマ、趣味番組等をいつも通り聴きながらこまごまできることをやっているという毎日です。
相変わらずリーズナブルな食材を使っての食事を作りながら食べることを楽しんでいます。
先日懐かしい「ひね鶏(親鳥)のももも肉」を買うことができたので、ネットで調べて親鳥ならでわの「鶏チャーシュー」を作ってみました。書かれていた通り「皮」がコリコリしていて暫く保存できて、最初はおつまみ風で頂いて、冷蔵庫に保存しながら温めを繰り返し、あと2回分は少し肌寒い日の「インスタントラーメン」にトッピングで頂きました。
小分け冷凍していたリーズナブルな「むね肉」を使って「粉チーズと、乾燥パセリ」をプラスし「細かくしたパン粉」を使って「バターとオリーブオイル」でフライパン焼きを作ったら結構ボリュームいっぱい、何時もの「ロメインレタス」のマヨ炒めには「卵液の残り」(ちゃんと使い切ります)で本来の炒り卵を作って仕上げました。コンビニで買った「スモークタン」の消費が盛りだくさん、サラダにプラスの「レンチンジャガイモ」もボリュームありで・・
増殖中
超久々に「味付け砂肝」を買ってきてフライパンで炒めて半量と、大好き海老を使った「春限定の海老水餃子」の半量、キムチ消費で「炒めスンズブ」と「烏賊黄金珍味」とで、おつまみ三昧・・この日もまたお腹いっぱい。
美味しく食べれて有難いことです。
先日録ってあった1991年放送の時代劇SP「武田信玄」、「役所広司さん」主演で、今でも現役の若かりし頃の俳優さん達の時代劇(4時間ほどかかりました)を見終えました。
すこしピックアップでご紹介しますね。ナレーターは「渡辺謙さん」でした。
御父上「信虎 千葉真一さん」と、「大井夫人 岩下志麻さん」で、「晴信(信玄)役所広司さん」と、親父殿との確執が前半描かれてました。「若林豪さん」は「板垣信方役(武田四天王の一人」です。
「どんな人か見てみたい・・」と、婚礼前に会いに行くという始末・・・「三条夫人 名取裕子さん」、後に「兄」を恨むこととなる「諏訪家」の嫁ぐ「妹 禰々 吉川十和子さん」と、「諏訪頼重 野村宏伸さん」
此方は信長や家康の歴史番組でよく耳にした方「今川家の名軍師 太原雪斎 若山富三郎さん」
「織田信長 渡辺裕之さん」ちょっとレアでした。
若くして亡くなってしまう「義信」の妻「りり 石田ゆり子さん」初々しいです。
「上杉謙信 佐藤浩一さん」と、お姉さま「仙桃院 十朱幸代さん」
最後まで「晴信」を守る同母弟「武田(典厩)信繁 倉田てつをさん」
床についてても「まだまだだ・・・」と、戦いに行こうとするのです。最後の最後の信玄の姿 役所さんの演技に見入ってしみました。
人は遠慮の二字、肝要なり。遠慮さえあれば分別になる。とのことだとか・・