今日も平年より5度ほど高い春の陽気でしたが、夜になってが降り出しました。火曜日まで暫く雨模様のようです。
さて今回は、前回の「大阪歴史博物館」編の続きで、大阪市内各地で発掘された展示資料の中から、ピックアップしてご紹介します。
左は「大阪城跡」から出土した中国製の「ポルトガル向け青花大皿」僅かに残った外面の茨の冠の中にイエズス会を象徴する(IHS)の意匠が描かれています。ポルトガルからの注文生産品によくみられる意匠だそうです。ポルトガルからもたらされたもののようです。右の2点は「大阪城下町跡」からの出土品、左「タイ製四耳壺」右「ベトナム製長胴瓶」これらは何かを輸入運搬するための容器として持ち込まれたもののようです。
何処かのラーメン店の名前のようですが、これも「大阪城下町跡」から出土の「天下一 銘呉須赤絵大皿」織豊時代~江戸時代初期に日本国内で流行した用語が「天下一」だそうで、中国の福建省、広東省で生産されたようです。
左の陶器類は「堂島蔵屋敷跡」から出土の「堂島の窯で焼かれた陶器」達です。「関西系」と総称される陶器の碗、皿、土鍋、擂鉢や、土人形等多様なものがこの場所で焼かれたようです。そして右の写真は「小型の陶器窯跡(堂島2号窯)」。
左の写真の左は「瓦屋町遺跡」よりの出土の「ベンガラ生産に使われた焙烙」と、右には「金属加工関係の資料」(ふいごの羽口や、龍頭、獣脚、半鐘撞座の鋳型等)、右の写真は「大阪城跡上層部」出土の「磁器製人形」、モダンガールをモチーフにした人形4種はいずれも上半身だけ。帽子を着た緑色の人形の背面には「JAPAN]と印刷されています。
左は「大阪大学病院の陶磁器(堂島蔵屋敷跡出土)」病院内の飲食に使われた食器。明治~大正初期に使われていたもののようです。ちゃんと「大学病院 医科大学」のロゴもみえます。右の写真は「薬瓶、薬匙(阿倍野筋北遺跡出土)」右下は「ロート目薬の容器」、昭和戦前期のものです。
左の写真は「住道寺(すむじでら)跡」出土の「五輪の塔のスタンプ文を持つ瓦」です。奈良時代に「藤原不比等」により創建されたと言われているそうです。右の2枚の写真は「喜連(きれ)東遺跡」の「廟堂から出土した鬼瓦、丸瓦、平瓦」です。
カルチャーをおえて、エントランスロビーでつながってるお隣のNHK大阪放送局のプラザで、社会見学の小学生達と一緒に懐かしいキャラクターを見たりしてひと時過ごしました。
「ドンガバチョ」「ごんたくん(?)」「ぴっころ、じゃじゃまる、ぽろり」ですよね。「ひょっこりひょうたん島」はよく見ていて大好きでした~「できるかな~~」と「お母さんと一緒」は我が家の子供たちの時代です。今も続いてるのかな?
「NHK大阪放送会館(左)」と「大阪歴史博物館」、そして屋外展示の「高床式倉庫」をカメラに収めて、帰路に着きました。
博物館の「常設展示室」傍の最高のアングルの「大阪城」を生憎撮ることができなかったので、仕方なく博物館エントランス前から、ビルに囲まれて窮屈そうな「大阪城」をズームして、撮ってきました。(やっぱりイマイチです)