日本でも活躍したオーストリアの指揮者の死亡が写真付きの比較的小さな記事で載っていた。そのオトマール・ズイットナーは、東ドイツの最上級の同志であり日本放送協会の交響楽団に頻繁に招かれていた事から東ドイツや日本での報道の方がもしかすると大きいかも知れない。
それでも死亡記事を読むとルートヴィヒスハーフェンでのポストを最後に東側へと渡っており、それがこの音楽家の登竜門となっていたようだ。河を渡った三キロも離れていないマンハイムのナチョナルテアターの方はフルトヴェングラーや昨年亡くなったこれまたN饗を指揮したホルスト・シュタインの劇場として有名であるが、ズイットナーもその後招聘されていたのだろうか?それとも壁が開いてから本当は招聘されるべきだったのだろうか?
個人的にはモーツァルトの代表作をトモワ・シントウ、ペーター・シュライヤー、テオ・アダムなどと東ドイツを代表する人民芸術家の日本公演として馴染んだ。新聞に書かれるようにこの指揮者の少しヴィーン風のベルリンの歌劇場引越し公演であった。こうして旧民主共和国の外貨稼ぎに協力させて貰い、今現在も東ドイツ復興のために税金を払い続けている。
この中立性を堅持した祖国オーストリアのインスブルック出身の才能溢れる外国人がドレスデンからのオファーに飛び付いて、その美しい響きで芸術的自由を謳歌したのは理解出来るとされ、その後ベルリンでのその復興には並々ならぬ情熱を注いだと評価されている。
同じオーストリア出身のカール・ベームと分け合ってのバイロイトでの「指輪」上演はその揉み上げの切り口のように記念すべき公演であるのはいうまでも無いが、恐らく歴史的には東ベルリンでの同志演出家ルート・ベルクハウス女史のご主人のパウル・デッサウのオペラ作品の初演の成果などが再認識されるかも知れない。
それともあの解放感溢れるこの指揮者の音楽こそが、壁に閉じ込められた世界での一種の清涼剤となり、反対にそうした世界であるからこそああした芸術が可能だった「社会主義リアリズム」芸術の一例となるのだろうか。そう言えば、日本放送協会がああした芸術家を招聘したというのも、沖縄返還も終わり高度成長期の終焉へと向っていた日本で、外貨を適当に使いその放蕩に酔いしれていた時代を象徴するのかも知れない。それは、所謂「田中金権政治」とかの手法と平行関係にある社会の「文化受容」のひとつであった。そして芸術のその質と需要について音痴であるということは、自らを取り囲むその社会が見えていないということになるのである。
壁の中で外の世界を恐れながら ― 現在で言うところの新自由主義の搾取である ― 自己の社会で充足させていた国民と、見えぬ壁の中で金権体質から生じる利権社会を満喫 ― 現在で言う農産品などを含む保護貿易の閉鎖性である ― している国民と、いったいどちらが幸せなのだろうか?
オトマール・ズイットナー、壁が取り去られたそのベルリンで87歳での逝去であった。
参照:
Ein Anwalt des Schönklangs in Ost und West, Gerhard Rohde, FAZ vom 12.1.2010
Gestorben Dirigent Otmar Suitner (BR4 Klassik)
100 Years At Bayreuth--Otmar Suitner (YouTube)
Nach der Musik - Trailer (YouTube)
Otmar Suitner (YouTube)
それでも死亡記事を読むとルートヴィヒスハーフェンでのポストを最後に東側へと渡っており、それがこの音楽家の登竜門となっていたようだ。河を渡った三キロも離れていないマンハイムのナチョナルテアターの方はフルトヴェングラーや昨年亡くなったこれまたN饗を指揮したホルスト・シュタインの劇場として有名であるが、ズイットナーもその後招聘されていたのだろうか?それとも壁が開いてから本当は招聘されるべきだったのだろうか?
個人的にはモーツァルトの代表作をトモワ・シントウ、ペーター・シュライヤー、テオ・アダムなどと東ドイツを代表する人民芸術家の日本公演として馴染んだ。新聞に書かれるようにこの指揮者の少しヴィーン風のベルリンの歌劇場引越し公演であった。こうして旧民主共和国の外貨稼ぎに協力させて貰い、今現在も東ドイツ復興のために税金を払い続けている。
この中立性を堅持した祖国オーストリアのインスブルック出身の才能溢れる外国人がドレスデンからのオファーに飛び付いて、その美しい響きで芸術的自由を謳歌したのは理解出来るとされ、その後ベルリンでのその復興には並々ならぬ情熱を注いだと評価されている。
同じオーストリア出身のカール・ベームと分け合ってのバイロイトでの「指輪」上演はその揉み上げの切り口のように記念すべき公演であるのはいうまでも無いが、恐らく歴史的には東ベルリンでの同志演出家ルート・ベルクハウス女史のご主人のパウル・デッサウのオペラ作品の初演の成果などが再認識されるかも知れない。
それともあの解放感溢れるこの指揮者の音楽こそが、壁に閉じ込められた世界での一種の清涼剤となり、反対にそうした世界であるからこそああした芸術が可能だった「社会主義リアリズム」芸術の一例となるのだろうか。そう言えば、日本放送協会がああした芸術家を招聘したというのも、沖縄返還も終わり高度成長期の終焉へと向っていた日本で、外貨を適当に使いその放蕩に酔いしれていた時代を象徴するのかも知れない。それは、所謂「田中金権政治」とかの手法と平行関係にある社会の「文化受容」のひとつであった。そして芸術のその質と需要について音痴であるということは、自らを取り囲むその社会が見えていないということになるのである。
壁の中で外の世界を恐れながら ― 現在で言うところの新自由主義の搾取である ― 自己の社会で充足させていた国民と、見えぬ壁の中で金権体質から生じる利権社会を満喫 ― 現在で言う農産品などを含む保護貿易の閉鎖性である ― している国民と、いったいどちらが幸せなのだろうか?
オトマール・ズイットナー、壁が取り去られたそのベルリンで87歳での逝去であった。
参照:
Ein Anwalt des Schönklangs in Ost und West, Gerhard Rohde, FAZ vom 12.1.2010
Gestorben Dirigent Otmar Suitner (BR4 Klassik)
100 Years At Bayreuth--Otmar Suitner (YouTube)
Nach der Musik - Trailer (YouTube)
Otmar Suitner (YouTube)