Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

倫理委員会初会合の召集

2011-04-05 | 文化一般
メルケル首相の呼びかけでエネルギー倫理委員会の初会合が開かれた。政財界文化宗教などの代表者が議論する。福島の事故を受けての今後を考察するためである。それまではドイツ連邦共和国の全電力の22%を原子力が担っていたが、事故を受けてその中の8%が老朽化した施設として停止冷却されている。その不足分を埋め合わせるためにフランスやチェコの原子力を輸入することなども当然のことながら倫理の問題である。

これを日本に措きかえれば、なぜ東京電力が東北で原子力発電所を運営しているかの問いかけとかわらない。今後、首都圏内や房総半島や湘南海岸などへの原発の移転が行なわれない限り、原子力発電を即時停止すべきだろう。少なくとも連邦共和国では至る所に原子力発電所が点在して、フランスでもブルゴーニュを除くセーヌ川沿いを含む共和国内の何処にでも原子力発電所が存在する。先ずはこうした倫理が確認されなければいけない。

昨晩は独公共放送局のニュース番組では、福島で被曝作業を無理強いされた消防署員などが大きく取り上げられたようである。現代の神風特攻隊、玉砕の姿が暴かれていたようである。まさに一皮向けば日本社会は中共のそれとあまりかわらない。倫理が問われている。

菅政権が出す自由退避勧告とは、如何にも自由主義的な判断を尊重しているかのように見せ掛けていながら実は「駄目な者は早く失せろ」と言うことではないだろうか?それとも、日本人は皆十分に裕福で自由な合衆国に避難した一流ユダヤ人に匹敵すると言うのだろうか?

首都圏にパニックが起こったとしての関東大震災のときのように朝鮮人の虐殺などの野蛮な行為はないと信じている。しかし、被災地における庶民の助け合いの気持ちはあくまでも小市民的なそれでしかない。日本最大の世界有数の寡占大電気会社の使い捨て労働者のそれは第三帝国時代のダイムラー社のユダヤ人強制労働とどれほど違うのだろう?そして日本国の官僚主義は玉砕を公務員にそして市民に強いる。こうした社会に何が期待できるのか?

太平洋への放射性物質の垂れ流しも倫理が問われる。それ以上に、ヨードのみならずセシウム汚染された小魚が見つかった件に関して、今朝の車中のラジオは「日本人の重要な蛋白源である魚の供給がなくなるのではないか?」と人の好いドイツ人アナウンサーが質問していた。それに対してSWRの特派員は東京から、「日本の魚場は各地にあるので西日本などから漁獲できる」と答えていた。しかし、その件をFAZ新聞のインタヴューに答えてグリンピースの化学の専門家は些か異なる返答をしている。実は怖いのはプルトニウムであって、既に周知のことであるが、アルファー線を出すそれは魚に蓄積していても外部からは全く判らないというのである。日本の皆さんは、あのNHKの問われてもいないのに放射線の透過を説明する解説員が見せるフリップを思い起こせばよい。要するに外へは飛び出さないが、内部被爆すれば確実に癌が発生するのである。大気中の飛散に関してはその形状や質量が大きく関わるが、同じ水中でそれも移動する生物などが遠くに運ぶそれは事情が大きく異なるのは常識的に分かるだろう。

さらに植物連鎖は、小さなものから大きなものへと連鎖していくので少なくとも一月ほど経ないとその影響は知れないといわれる。福島沖は暖流と寒流が交わる絶好の漁場だったようだ。其処から一方はハワイ方面へと、もう一方はアラスカ、ベーリング海へと流れていく。放射能は大海に薄れていくのは間違いないのだが、そこを漁場とするロシアや中国で加工されるそれらの将来にも影を投げかけるかもしれないと指摘される。当然の事ながら関東以北の太平洋岸の沿岸漁業はこれで壊滅だろう。日本の食材などは日本国外では日本食店以外では使われなく、奇しくも人も舟も全て流されてしまったのだからそれ程経済的な影響はないのかもしれない。

補償を恐れるばかりに良い加減な姿勢をとり続ける霞ヶ関。倫理のない社会、その官僚主義を石棺に葬ってしまうにはどうすればよいのか?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

備えあれば憂いなしとは

2011-04-05 | 歴史・時事
またまた日本は世界の笑い種を提供する。地盤の緩んだ裂け目に樹脂を流すのは良いとしても古新聞紙を刻んで混ぜるとは近所の水道屋でもやらない。まるで原発の敷地の中を出来の悪い庭師が蹲の水漏りの修繕に右往左往しているようであり、ミスター・ビーンの仕事振りにも勝るとも劣らない。

しかしそれだけでは済むまい、環境汚染の犯人として、人道に反する行政として、いづれ「戦犯」として裁かれることは間違いない。国民裁判になるか、国際裁判になるかは日本民族次第であろう。

改めて警告しておこう。そこまでの大気汚染とはなっておらず、小康状態で時間稼ぎをしている今だからこそ、少なくとも百キロ圏の住民の緊急時の避難の指導、二百キロ圏での心掛けを徹底しておくべきである。日曜日に飯屋で見た嘗ての左右対決時の残り香を燻らす扇動的なジャーナリズムの独シュピーゲル誌では、単純に260KMの円を描いていたが、実際に半減期が三十年と長いセシウム137の集積が強い地域が、丁度現在ドイツの気象台のそれでこげ茶に相当する地域であり、炉心から二百キロを超えているのに相当しているのである。それはチェルノブイリから二百キロほど離れた所で、十年後の価として炉心近辺と全く同じ平方キロ当たり40キューリーつまり平方メートルあたり1.48メガベクレルの汚染が広がっていることにも遠隔地の飛び地での汚染が広がることを証明している。丁度今回放出された低濃度の汚水の十倍ほどの放射能度である。そんなものが体内に入り骨に蓄積するとなるととても危険な数字である。実際、八百キロほど離れたポーランドなどでも当時子供たちはヨードを服用させられたのであった。

しかしこうした数値の健康被害に対する認識は大いに異なっていて、基準値を遥かに超える食料を口にしてもなんとも気にならない人も世界には居るらしい。そうした味噌糞同じ人間が、食物をして健康に良いとか悪いとか言うのがさらさらおかしい。

さて、こうした酷い状況が訪れるのは、現在大量の水で飛散が抑えられているだけでなく、緩衝材として放射線量を抑えているようだが、その底が抜けたときに訪れるだろう。またマグニチュード八に迫るような余震が千葉沖などで起きたときには、さらに手もつけられなくなる。そうした備えをしておくのが肝心なのである。

気象台の予想などが話題となっているようだが、それらはあくまでも目安であり、大量の水蒸気から強い放射線物質が一気に立ち上るようなときに、その風向きなどの予想が避難の重要な指針となる。よって、住民にオンタイムでこうした情報を自らのものとさせておくことが冷静な判断を促すことになるのだ。

やはり、日本の官僚主義は前近代の遺物でしかない。隠蔽とタブーの社会、そうした国が先端技術やメディアなどを先導していける訳がないのである。前栽の水漏りを直す庭師が世界の注目を集める所以である。



参照:
読売新聞の4月4日の記事:放射性物質の拡散記事を載せています。 (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)
日本人よ、恥じを知れ! 2011-03-25 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする