(承前)第二章「イエスの終末論的説話」にて、「神殿の終わり」、「不毛の時」、「終末論の説話における予言と黙示」が考察される。マタイの福音が伝えるものとして、23.37を端にして、「ローマ人への手紙」や、そしてマタイの24.29、24.34、24.14、第一コリントの手紙9.16、、最後にマタイの13.24-30、13.31、13.47-50、24.45-51と読み解かれる。
第三章「洗足」にて、「イエスの時」、「お前達は清い」、「秘蹟と逸話」- 「賜物と用命 新たな戒律」、「反逆者の秘事」、「ペットルスの二つの会話」、「洗足と罪の懺悔」。エルサレムへの入城から最後の晩餐へとかけて再びここで日程が福音間で明白になる。しかし、マルコの14.1と14.12そしてヨハネの13.1では日時がずれて来て、神学的な解釈となってしまう。最後の晩餐と秘蹟を考察するからであると説明される。
改めてヨハネの福音を読んで行く。13.1、19.30と丁度バッハのヨハネ受難曲オラトリオの始まる所である。そして、マルコの7.14-23、マタイの5.8などを横に見ながらヨハネ15.5-11へと至る。
再び13へと戻り、その意味するところから、14.12、13.34、もしくはマタイの5.8へと秘蹟を読む。
ヨハネの13.21、11.33、38、12.24-27を挙げて13.23、12.6、13.27、13.30へと進む。
マタイの福音16.22、ヨハネの13.8、13.36、37、21.18、そして、13.10、3.20、と懺悔を読む。(続く)
第三章「洗足」にて、「イエスの時」、「お前達は清い」、「秘蹟と逸話」- 「賜物と用命 新たな戒律」、「反逆者の秘事」、「ペットルスの二つの会話」、「洗足と罪の懺悔」。エルサレムへの入城から最後の晩餐へとかけて再びここで日程が福音間で明白になる。しかし、マルコの14.1と14.12そしてヨハネの13.1では日時がずれて来て、神学的な解釈となってしまう。最後の晩餐と秘蹟を考察するからであると説明される。
改めてヨハネの福音を読んで行く。13.1、19.30と丁度バッハのヨハネ受難曲オラトリオの始まる所である。そして、マルコの7.14-23、マタイの5.8などを横に見ながらヨハネ15.5-11へと至る。
再び13へと戻り、その意味するところから、14.12、13.34、もしくはマタイの5.8へと秘蹟を読む。
ヨハネの13.21、11.33、38、12.24-27を挙げて13.23、12.6、13.27、13.30へと進む。
マタイの福音16.22、ヨハネの13.8、13.36、37、21.18、そして、13.10、3.20、と懺悔を読む。(続く)