Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

凡庸なグルリットの音楽

2013-11-26 | 文化一般
「ヴォツェック」の二本立てを体験した。往復160KMを超えるドライヴの価値は十分にあった。ダルムシュタットの少なくとも音楽劇場は、この界隈ではフランクフルト、シュトッツガルトと比較しても、特別興味深いことをやってきた。その最後のシーズンである。大劇場に七割を切るほどの観客しか埋まらないのは、この町の規模からすれば仕方ないのであるが、この作品を得意にして1925年の初演者のエーリッヒ・クライバー以上に成功に導いたカール・ベームは1931年の最後のシーズンにこの原作者の生誕地の音楽監督としてここで上演している。

さて、もう一つの「ヴォツェック」は、当日の上演前のオリエンティーリングでも話題となったが、先日来の絵画騒動のコルネリウス・グルリットとの親戚関係で日本に亡命後に東京で活躍したマンフレット・グルリットのアルバン・ベルクに数年遅れて初演された殆ど上演されないオペラである。因みに当日のプログラムには、上野をナチの外交部の圧力で追われて、戦後の連邦共和国への復帰を試みたが果たせず ― プログラムにはナチ党員としての弊害には触れられていない、ユダヤ系のそれに触れるのは面倒であるからだが ―、もはや創作意欲が注がれて筆を置き、 昭和音大で後進の指導に当った後、耳と眼を悪くしたマンフレットは、仕事をすることもできず社会保障もなかったことから生活に困窮して連邦政府に賠償金を求めたが果たせなかったとある。

先ずは、グルリットのそれが上演されて、休憩を挟んだ後にベルクの十八番が上演された。結果からすると、良い露払いの演目で取り分けもはや耳にたこの出来る感のあるベルクの大成功作を新鮮に体験できたのである。個人的には、シュトッツガルトやザルツブルクでこれを体験していて、映画やVIDEOなど含めてなんども体験している訳だが、今回初めて本当に体験できた思いがする。ジョン・デゥーの演出の素晴らしさにも増して、露払いを含めたデュー監督の企画の大勝利である。

この稀なグルリットの「ヴォツェック」体験を掻い摘んで紹介すると、新聞評にあったような「今寧ろモダーンであるオペラらしくない劇場的な作品」というのは全く当たらない。このローデ氏が言いたかったのは、なるほどビュヒナーの断片化された原作を、たとえピアノを含む比較的大編成の奈落の陣容をしても、それが大きな音響と響くことは無いと言うように、そのままを小さな情景ごとにコムパクトに描きつくすこのオペラを指すのである。

それは音楽語法としても寧ろプッチーニなどを想起させるように、場面を十分に音楽が色付けをするのであるが、それはイタリアのそれとは異なり正しくノイエ・ザッハリッヒカイトの的確さと客観さで魅せるのである。それによりWIR ARME LEUTEなどのフレーズがほとんどハインリッヒ・マンの作品ぐらいには主張するのである ― その意味では室内劇的なのだ。

プログラムにもあるように、方や20世紀のオペラ表現の究極点に至る世紀の作曲家アルバン・ベルクと比較しようがないのは当然として、決して悪くはない作曲をしているのである。但し、同時代のブゾーニやヒンデミット、もしくは前回のカール・オルフなどと比較すればやはりこじんまりとして、創造的なそれを感じさせないのは仕方ないのである。それでも、宝塚や映画音楽のようになる一歩手前で音楽に踏みとどまる点は明らかに劇場経験豊かな楽長タイプの音楽家であることも確かであり、その作品の多さからもそれが知れるのである。

因みに1890年生まれのマンフレットの音楽的基礎は、フンパーディングやカール・ムックでありそのバイロイトなどでのアシスタントの経験が、十分に1920年ごろの音楽状況を反映している。その中庸さと言うものが、なぜ戦後日本において出来たであろう創作活動がなせなかったという凡庸さでもあるのだ。反面、そうした劇場での凡庸さは本当は日本に適合していたと言えるかもしれない。その凡庸さとは。(続く



参照:
現実認識のための破壊力 2013-11-25 | 音
印象の批判と表現の欠如 2006-03-11 | 文学・思想
マイン河を徒然と溯る 2006-02-24 | 生活
意志に支配される形態 2006-01-05 | 音
ある靴職人の殺人事件 2006-01-04 | 文学・思想
美しい国は何処に? 2006-10-01 | 雑感
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
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