Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

現実認識のための破壊力

2013-11-25 | 
ダルムシュタットに二日続けて通う。土曜日は、ベルント・アロイス・ツィムマーマンを扱ったビエンナーレの一環で、劇場での夜であった。日曜日に再び出かけるので20時半までの催し物に出かけた。フランクフルトとダルムシュタットの間で開催されているのでそこからシャトルバスが出ているようで、この種の催し物にすれば十分な人出があった。たとえダルムシュタットに現代音楽の夏季アカデミーで慣れている客層があったとしても小さなこの町の定期会員だけでは難しいだろう。

最初に大劇場でフランクフルトの放送交響楽団による交響曲とトラムペット協奏曲が演奏されて、休憩無しでメシアンの「ラサンション」が演奏された。交響曲は1953年に改正版が書かれているので折衷な印象は強い。要するに最晩年の完全な多極化した美学的な書法からすると、若干どうしても交響曲であり伝統的なストラヴィンスキーのような本人が戦後放棄した筈のそれを印象させるのはどうしたことだろうか?それでもポストモダーンでありえるのは、逆にヴェーベルンやらのその時代のモダーンを想起させることにあるからなのだろう。この点は、二つ目のこれまた良く上演される劇場作品である1961年作の「プレゼンス」における多層的な時感覚を含有させる方法の手法の一つでもあるのだろう。

どうしても我々は、こうした戦中戦後をまたいで生きた世代の代表として三島由紀夫のことを考えてしまうのであるが、ここにもその一筋ならない時代の変遷が時感覚として美学的に表現されているのは間違いないのである。1970年に悲惨な自殺へと終わりを告げるこのケルンの作曲家の創作を顧みるのである。

この交響曲はハムブルクの放送交響楽団でツェンダーの指揮の実況録音が手元にある。それに比較すると明らかに今回の元ベルリンのフィルハーモニカ―でクラリネットを吹いていたカール・ハインツ・シュテフェンスの指揮は、その歯切れの良いリズム運びなどで十分に折衷なそれを分からせた。その反面、従来の一楽章の交響曲に求められるような統一的な美的な空間はポストモダーンに歪むことになり、その1951年版と1953年版の差として以上に、その美的な破壊は充分であったろう。ある意味、最後のメシアンのフーガの面白い世界などとは全く違って、商業的なコンサートホールでレパートリーとなるような曲ではないとなる。クラウディオ・アバドやサイモン・ラトル、ピエール・ブレーズなどがこの曲を取り上げているのを知らないので、その理由はここにあるのかもしれない。

それを上手く解決しているのが、1954年作の「ノーボディー・ノウズ・デュトラブル・アイ・シー」で、ジャズのイディオムを活かすだけでなく楽器編成としてそのまま持ち込んでいるだけに、その破壊は寧ろ容易に行われている。特に今回のようにラインホルト・フリードリッヒがトラムペットを受け持つと、効果的にいとも簡単に破壊活動が行われる。本人に「20世紀で最も重要な協奏曲の一つ」言わせるだけの吹込みが出来ていて、その皮ジャムパーとビール・トラムペット腹の出で立ちと共に20世紀後半の前衛を十分に具象化していた。心臓に負担を掛けるだけのこれだけ熱演をしてくれれば、管弦楽団も乗りやすいのでその効果は十分である。評判の良かったレフェレンス版となっているミヒャエル・ギーレン指揮のSWF放送管の録音では到底伝わらないのはその破壊力であり、ジャズの楽器やイディオムの使用がもはや破壊力を持たない現在ではよほどの演奏を繰り広げないことには本質を描き出すのは難しいと言うことだ。要するに額縁には収まり易くなるような綺麗ごとでは駄目なのだ。

それを少し考えるだけで、いつの時代にどうした時代背景つまり環境で、そして今の環境の中から覗き込むことで見える風景を認知する作業に気が付くだろう。先日来、映画などのダウンロードで改めて見たジャック・タチ監督主演の「トラフィック1971」、「プレータイム1967」の映画なども「そこ」が綺麗にデジタルリマスター化されているのである。なにも先日逝去したパトリス・シェローの演出を挙げるまでもないが、そうした環境の認識こそ、特に劇場空間の本質がある訳で、そうしたもの一切を政治的な美学への干渉と切り捨ててしまうのは、マルキズム思考しか科学とならなかった日本のような国の思考文化でしかない。

その日のラディオは、ネオナチの行進を許さないとするプファルツの初めての所謂市民のカウンターデモが行われたと伝えていて、参加者の声が流されていた。芸術も何もかもは最終的には、今日をその環境を認識するための行為の一つでしかないのである。



参照:
世界のさくらが一斉に散るとき 2010-02-08 | 音
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
二十世紀末を映した鏡 2013-11-05 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする