車に乗って、コンソールのレヴァーを上げた。トランクが開いた。日曜日にコーヒーを零して不通になっていた。窓も開かなくなっていたが、これも開いた。最後にサイドミラーである。これも動いた。てっきりヒューズが飛んで取り換える必要があると思っていたので手間が省けた。同時に車は水に少しでも浸かると制御不能になることも実感した。コヒー半分でこうである。水難事故はやはり脱出が難しい。
(承前)コンサートの後、敢えて席を予約しなかった祝祭劇場のレストランで席を待ちながらカウンターで一杯ひっかけていた。そして二杯ほど飲んだところで、相席しますかときた。爺さん婆さんのお通夜みたいな二人だった。湿気てるなと思いながらも、様子を見ていて、声を掛けた。私が話したかったのはペトレンコの地元の定期会員の人であるが、そもそもあの時間に食事をしようという谷の人は少ないだろう。車でも距離が結構あり、雷雨も予想されているような天気だったからである。
しかし返ってきた答えは「シュトッツガルトから」だった。それならば話が早かった。爺さんの方は婆さんに振り回されて走りまわされているようだったが、婆さんは、「よく知っているねと言う」と、「そりゃ何十年もやっているから」と完全な団塊の世代のクラオタだった。話しを総合すると、ペトレンコのこのシリーズには何回か来ていて、ヨーナス・カウフマンにも出かけ、地元ではカラヤン二世の会に通い、夏はザルツブルクという人だった。ペトレンコに関しては、アニヤ・カムペ狙いで、ボッフムの「トリスタン」で無名のペトレンコを聴いて、「ディ・ゾルダーテン」、「ルル」を聴いて、2015年にバイロイトに出かけたらしい。目下の楽しみは夏の「イドメネオ」と次回のマーラー第九と、来年のバーデンバーデンのマーラー作曲六番となる。
因みにユロウスキー指揮の「ヴォツェック」も良かったというので、こちらはミュンヘンの宣伝を兼ねて、ユロフスキーとドルニーのペアの話しもしておいた。そして、シュトッツガルトの新聞にはティーレマンとのスワッピングの話しが載っていたというので完全否定しておいた。同時に今後のバーデンバーデンへの話しでは、新プログラムにはコンセプトが感じられたというので新支配人スタムパの話しになった。どうも私が通ってた頃のザルツブルクはあまり知らないような感じであったが、現在は再びの状況であるという意識を話していた。
いつものようにバイロイトの初代音楽監督の話しになって、私の書き込みの話しや、彼の駐車スペースにはポルシェでなくてVWフォエトンが停まっている話し、その才能の無さに話が進み、少なくともカラヤン二世は才能があるということになった。そこから演出のセラーズ、更に南アフリカ出身のゴルダ・シュルツが攻撃されたこと、そのことをラッセル・ト-マスが語っていたことを、知らなかったようなので、説明しておいた。ティーレマンがAfDかPEGIDAかどうかなどは話さなかったが充分だったろう。
しかし肝心な話は、やはり当夜の感想だった。私が強調したのはその音響のあまりにもの鮮烈さであり、それはいつも同じで劇場でもそうなるから、「キリル・ペトレンコはオペラ指揮者ではない」といういつもの力説を述べると、やはり驚かれた。それゆえに後任者のユロスキーの口八丁へと話が振れた訳である。すると婆さんは当夜の第二部の緩やかな部分の歌を反論として挙げた。
今回の八番の演奏を一言で評すとなるとそのコントラストとなる。強弱、光闇、緩急がとても大きく、緩やかな場面もペトレンコの指揮ならば更に間を持たせることも可能だった。それでも後年のギーレンの様には粘らない。ギーレンと比較すれば、その激しさと厳しさは到底比較できない指揮だった。レパートリーは異なってもムラヴィンスキーを想起させる指揮にペトレンコのそれは近づいていて、その厳しさはあまり類を見ない。楽譜を見ると確かに今回のペトレンコ指揮が正しいとしか思えない。
その分、合唱や歌手陣には求められるものも多かったが合唱団も少年少女も天晴れだった。合唱の入った大管弦楽では初めての音響体験であり、振り返ると日に日にその演奏の意味が更に大きくなってきた。当日の中継録音放送が流れるのにはまだ時間がある。(続く)
参照:
静かな熱狂の意味 2019-05-19 | 雑感
ああ無常、賢いゲジゲジ 2019-05-18 | 生活
(承前)コンサートの後、敢えて席を予約しなかった祝祭劇場のレストランで席を待ちながらカウンターで一杯ひっかけていた。そして二杯ほど飲んだところで、相席しますかときた。爺さん婆さんのお通夜みたいな二人だった。湿気てるなと思いながらも、様子を見ていて、声を掛けた。私が話したかったのはペトレンコの地元の定期会員の人であるが、そもそもあの時間に食事をしようという谷の人は少ないだろう。車でも距離が結構あり、雷雨も予想されているような天気だったからである。
しかし返ってきた答えは「シュトッツガルトから」だった。それならば話が早かった。爺さんの方は婆さんに振り回されて走りまわされているようだったが、婆さんは、「よく知っているねと言う」と、「そりゃ何十年もやっているから」と完全な団塊の世代のクラオタだった。話しを総合すると、ペトレンコのこのシリーズには何回か来ていて、ヨーナス・カウフマンにも出かけ、地元ではカラヤン二世の会に通い、夏はザルツブルクという人だった。ペトレンコに関しては、アニヤ・カムペ狙いで、ボッフムの「トリスタン」で無名のペトレンコを聴いて、「ディ・ゾルダーテン」、「ルル」を聴いて、2015年にバイロイトに出かけたらしい。目下の楽しみは夏の「イドメネオ」と次回のマーラー第九と、来年のバーデンバーデンのマーラー作曲六番となる。
因みにユロウスキー指揮の「ヴォツェック」も良かったというので、こちらはミュンヘンの宣伝を兼ねて、ユロフスキーとドルニーのペアの話しもしておいた。そして、シュトッツガルトの新聞にはティーレマンとのスワッピングの話しが載っていたというので完全否定しておいた。同時に今後のバーデンバーデンへの話しでは、新プログラムにはコンセプトが感じられたというので新支配人スタムパの話しになった。どうも私が通ってた頃のザルツブルクはあまり知らないような感じであったが、現在は再びの状況であるという意識を話していた。
いつものようにバイロイトの初代音楽監督の話しになって、私の書き込みの話しや、彼の駐車スペースにはポルシェでなくてVWフォエトンが停まっている話し、その才能の無さに話が進み、少なくともカラヤン二世は才能があるということになった。そこから演出のセラーズ、更に南アフリカ出身のゴルダ・シュルツが攻撃されたこと、そのことをラッセル・ト-マスが語っていたことを、知らなかったようなので、説明しておいた。ティーレマンがAfDかPEGIDAかどうかなどは話さなかったが充分だったろう。
しかし肝心な話は、やはり当夜の感想だった。私が強調したのはその音響のあまりにもの鮮烈さであり、それはいつも同じで劇場でもそうなるから、「キリル・ペトレンコはオペラ指揮者ではない」といういつもの力説を述べると、やはり驚かれた。それゆえに後任者のユロスキーの口八丁へと話が振れた訳である。すると婆さんは当夜の第二部の緩やかな部分の歌を反論として挙げた。
今回の八番の演奏を一言で評すとなるとそのコントラストとなる。強弱、光闇、緩急がとても大きく、緩やかな場面もペトレンコの指揮ならば更に間を持たせることも可能だった。それでも後年のギーレンの様には粘らない。ギーレンと比較すれば、その激しさと厳しさは到底比較できない指揮だった。レパートリーは異なってもムラヴィンスキーを想起させる指揮にペトレンコのそれは近づいていて、その厳しさはあまり類を見ない。楽譜を見ると確かに今回のペトレンコ指揮が正しいとしか思えない。
その分、合唱や歌手陣には求められるものも多かったが合唱団も少年少女も天晴れだった。合唱の入った大管弦楽では初めての音響体験であり、振り返ると日に日にその演奏の意味が更に大きくなってきた。当日の中継録音放送が流れるのにはまだ時間がある。(続く)
参照:
静かな熱狂の意味 2019-05-19 | 雑感
ああ無常、賢いゲジゲジ 2019-05-18 | 生活