Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

なんじゃらほい交響楽

2024-05-19 | 
ざっとシネマプログラムをみた。ヴォーンウイリアムスの曲は全く分からない。あれだけグリーンスリーヴスとか書いている作曲家なのに、なにか可笑しな節回しで、五度、四度が強調されつまり五音階となって、まるで中国雑技団である。交響曲として使われると笑うしかなくその展開も当然のことながら違ったものになる。

お勉強にプレヴィン指揮のものを聴いたのだが全然曲を掴んでおらず、このような曲なら演奏するに及ばない。タルモがどのように指揮するのかは分からないが、作曲家がラヴェルとのところに学んだとする偽印象派風にも響かない。とても中途半端な印象だ。この曲をプログラミングした真相は体験してみないと分からない。

作曲的にも最初の映画音楽組曲「眩暈」の方が優れているぐらいで、これはまた問題だ。明らかに名演を期待したいのは「ツァラストラはかく語りき」の演奏で、映画に使われた云々を別にして立派な演奏を期待した。

手元にあった音源はEMI録音で大成功したルドルフ・ケムペ指揮シュターツカペレドレスデンの演奏で、それに針を下ろしてみた。第二部からB面になるもので、音響的には古い東独の楽団録音として成功している。選集のように売っていたのだが、その中から2枚だけ購入していた。なによりもがっかりしたのは拍子感が危うくなる指揮で、地元生まれのオーボイストでゲヴァントハウスでも1929年から吹いていたようだが、その音響は身についてはいても真面な指揮の下で演奏していなかっただろうと思わせる。要するに和声の流れの中で適当にメロディーラインを移していくだけの指揮で一流指揮者のものではない。

あまりにも酷い演奏なので耳直しにメータ指揮の堂座付き楽団のライヴ演奏を聴くと超一流の指揮だった。この座付き楽団では管弦楽的には名演を聴けることはないのだが、これは素晴らしい。嘗て1930年代にベームが世界トップクラスのブルックナーの録音を残しているのだが、流石にその老指揮者からニキシュ指輪を継承されたように、そうした歴史的な演奏を指揮している。

声部の扱い方が自由自在で、その楽譜からなるべき音を全て分かっている指揮で、その和声の響き以上にその音の繋がりが明白に読みだされている。成程メータは若いころからロスでもこの曲を録音していて、現在これに匹敵するだけの指揮をする人は殆どいないかもしれないが、映画音楽に使われようがどうであろうとも、なるべき音を鳴らしているのはスヴァロフスキー門下として音を各拍ごとに腑分けする習慣をつけているからで、そこから初めて必要な音がどの声部から響いて来るかを拍ごとに認識しているからに過ぎない。指揮者の基本の基本とも思える準備をして指揮台にあがっていたという事である。

たかがそれだけでもある。さて今回指揮のタルモはそれが指揮の技術を越えてすんなりとその通りに演奏させることが出来るかどうか。始めて客演する放送交響楽団でどこまで振り尽くせるかである。シベリウスを参考にして演奏するのかな?



参照:
生中継留守録音の心得 2024-05-16 | テクニック
最後にシネマ交響楽 2024-03-01 | 雑感
コメント
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