Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

おめでとう、なでしこ!

2011-07-18 | ワールドカップ06・10・14
まさに逆境の中での優勝であったのだろう。米国チームの方が強かったに違いないが、一部の日本の報道にあったように気持ちで完全に日本が勝っていたようだ。

誕生日のメルケル首相だけでなく、コール首相やギュンター・ニッツァーに混ざって、緑の党のロート女史が陣取っていたのは何かを象徴していたのだろうか?

世界の援助への謝礼の横幕も良かったが、何よりも逆境を乗り越える希望を日本人に与えたに違いない。福島の悲惨の中でも日本人は生きていかなければならないのだから。

PK合戦の米国選手の弱さを見せた表情と、最後の日本選手の表情がとても印象的であった。気を強くして、決して諦めてはいけないのである。メルケル首相が評するように「強い神経が勝つ」のである。
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帰宅してシャワーを浴びる前に

2011-07-16 | アウトドーア・環境
フランス滞在中に日本の女子サッカーがドイツに勝ったというので祝福を受けた。帰って来るとご近所さんがその話をしだした。

ドイツと日本の女子では大分力の差があったようで、さらにスェーデンとでは話にならなかったらしい。とにかく、頑張りが素晴らしいようで、殆ど神風だそうだ。当然のことながらドイツが負けた日本への応援の気持ちが高まるのだ。

さらに魅力的な選手が多いようで、フランクフルトの合衆国との決勝試合を「手伝いに行って、試合後に彼女らと一緒にシャワーを浴びろ」とまで言われた。

それほどに性的魅力のある娘たちが多いならば是非TVに噛り付かなければいけない。フランス女性に囲まれていたので、比較などもしてみたいなと思う。

しかし合衆国チームの評判も高いようだ。福島の今の日本の悲惨な状況を考えれば、まさに通常の勝ち負けではないように感じる。

その意味では世界中が注目している一戦であり、その社会の感応をスポーツ競技によって観察できるに違いない。
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グラマラスなリュックサックの腰

2011-07-15 | 雑感
リュックサックを購入する。トランスポート用のものも考えてもいたのだが、山スキーにも使えて、尚且つ所謂岩と雪のコムビネーションのクラシックルートにも使えるミレー社製のものが四割引だったので、最後の在庫放出品を取得した。40リッター入りで60ユーロもしないのだから、笑いが止まらない。

前回購入したものが45リッターで山小屋から山小屋へとバックパッカーのように荷物を運べるものだったのだが、あまりそうした重い目はしたくない。それに自重が二キロ弱もありそれだけでげんなりする。

最近購入したものは20リッターの小さなものは、ロッククライミングやハイキングには重宝であるが、流石にお泊りセット携帯などは論外である。

ミレーの商品は嘗て1970年代に最新のものを試したことがあったが、背面がとても短く、下に張っていた。同じフランスのラフマ社のそれはそれに反して縦長にカッティングされていて、その分背面も42CM を遥かに超えていて、体に合わないことに気がついたのは五年ほど前のことである。それでも大分使ったような気もする。

さて今回のものは腰が横に張っているだけでなく丸く、重心が低くもあり、岩場の上での安定が良さそうである。こうした荷物を担いで活動する場合は、どうしても山靴とシュタイクアイゼンの出番であることが普通なので、またザイルを含む登攀用具類を出してしまうので、手ごろな重さとなる。しかし、こうしたリュックサックを担いでクレッターシューで登ろうと思うとどうしても邪魔になる。

とは言いながら、無積雪期でも滝谷やその他の日本アルプスの岩場はこうした装備で登られていたことを考えれば、必ずしも荷物が邪魔になって登れないなどとは言えないのである。冬になればそれに手袋が加わった訳で、かなり厳しい登攀が繰り広げられていたことの認識を新たにするのである。
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即席外国語会話練習

2011-07-13 | 生活
フランス語会話のいつものように即席勉強だ。なぜ一年も放っておいたか自分でも気が知れない。先ずはテクストを詳しく見ていく。試験勉強と同じで教科書に書いてあることを把握していないでは、何が分かっているのか分かっていないのかも判らないではないか。

先ずは序文に、初学者であろうが、フレッシュアップであろうが、これを使って三十日でA2のレヴェルに達するというのであるが、その程度が実は身についていない。恐らくドイツ語における基礎ドイツ語習得程度だろう。

どのように勉強をするか、三十章で四つのテーマに分かれていて、ニーナと称するケルンの二十八歳の娘がグルノーブルの従兄弟のピエールとその妻パウリーンを訪ねる。そしてそこで居候をしながら町の広告会社で働き、友人を作り、一緒にマロッコに旅行する。

そして目次があり、最初の章にはフランス語を習うヒントが挙げられている。そしてグルーブル駅での出迎えの情景。第三章は家について自己紹介や仕事などの話となる。ドイツ語との表現の違いが意識されるような構成になっている。
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Not body conscious. Not baggy

2011-07-11 | アウトドーア・環境
フリースというのを初めて購入した。もちろんポリエステルの袖なしのフリース生地の衣料は使っているのだが、初めて山岳スポーツ用のものを入手した。

ハードシェル型のヤッケが欲しかったのだが、綻びを直すともう一度ぐらいは使えそうであり、フリースの着用感との機能性などを比較してみたくなったのである。永く、リュックサックには保温素材の下着などをいつも潜ましていたのだが、いつも使うことのない非常用のものはその重量を考えて積極的に使えるものに移行したいと考えた。

特に小屋泊まりの場合の保温を考えてアクリルの薄いものをスキーのときから使い始めていたのだが、これもその使い方が限られていてもはや無用の長物となってきている。そこで思い浮かんだのは、長さなどの関係からハードシェルでは使いにくい安全ベルト着用時に使うフリースの可能性である。

日が強く、気温が高いとなかなか暑くて使えないだろうが、Tシャツでは寒い場所でクライミングするには、ハードシェルと異なり運動性が高い筈である。実際にストレッチが十分に使われていて、業界ではこうしたものをスリムフィットとかアクティヴフィットなどと呼んでいるようだ。先日も岩登り用のキョロットが破れたので新調したのだが、やはりそのような作り方になっている。

Not body conscious. Not baggy. ということで、なるほど重量は軽減して尚且つ機能性が高まっている。そのキュロット自体は残念ながらナイロン製のものであったが、最近は運動にポリエステルを多用していて、静電気は起きているようだが体に大分馴染むようになった。嘗てのヴィスコースなどに比べても求められる撥水性、通気性などの機能性を付加することでかなりに違和感のない長繊維素材となってきている。

日本の大繊維会社などは直ぐに吸収合併で無くなるだろうと思われていたのだが、こうしたハイテク素材がスポーツ衣料で欠かせなくなっていて、世界的な需要は拡大しているに違いない。

パタゴニア社の1970年代の綿のトレーナーを出してきて使っていても、機能的にはこうしたエステル商品の前では、着心地を含めて殆ど利点が無くなってしまっている。天然素材愛好家であるだけに、その進展を感慨深く思う。


写真:インドネシア産の英ベルクハウス社製のフリース
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溶融落下の政治手腕の必要

2011-07-09 | マスメディア批評
細野大臣の就任に際して、FAZが人の紹介をしていたのを見過ごしていた。その内容はこのBLOGの内容を反映しているので繰り返す必要はないだろう。しかし、名をゴウシと呼ぶことも知らなかったが、京都の法科出身とも思わなかった。さらに小沢何某に近いと聞いていたが、今や首相の腹心ということになっている。

菅首相の迷走ぶりは甚だしく、本当に日本のゴルバチョフに近づいていて、発送電分離や脱原発へと道筋をつけるようなことになれば、憲政史上最高の宰相となりそうである。その政治手法も専権事項の解散権を振りかざすことで突き進んでいるようで、分厚い官僚政治の壁を打ち破るためには支離滅裂型のメルトスルー式政治手腕を振るわなければいけないのだろう。

FAZはストレステストの導入に関して、許認可事業者と通産官僚やその原子村政治家を含む規制当局などとの癒着関係に、政府としての不信感を表明したものとして伝えている。こうした報道姿勢とはかなり違った日本のそれ自体が、既に戦々恐々とした「他の村社会」の実情を浮き彫りにしているようだ。

発送電分離の本当の自由化は、あらゆる許認可事業への突破口となり、日本の政治社会経済の強力な推進力となるのだろう。3.11で裸の日本の姿が浮かび上がったようで、もはやそうした巨大な村構造の投影をヴェールに包む込もうとすればするほど、その巨大な圧力主体がより明らかになってくることに国民が気がついた筈だ。

ストレステストと今後の原発の操業停止と再開の手順は一向に不明であるが、新聞は、部下との不倫で左遷された西山審議官が娘の勤めるテプコばかりでなく業界からも距離を置くようになったのが本当の人事の事情だったと伝え、「失言」のメルトダウンを口走った前任者の人事とともに、組織再編成について説明する。

IEAEの指摘を受けたように、その原子力安全委員会の独立性の確立が検討されていて、原子村外からの委員の起用が予定されているといわれる。新たな組織編制で、事故調査や原発の操業により客観的な視点から村社会の膿を取り出すことが期待されるようである。要するに、現在日本の中枢で起こっていることは、議会の中での勢力争いではなく、政財界学会など全ての日本社会の権力構造内での覇権争いであり、これほどまでにその圧力構造があからさまになったことは今だ嘗てなかったのではないだろうか。

それにしても、既に二機もの原子炉がテスト操業として既に四ヶ月も秘密裏に動き続けていたことが水曜日に明るみになったとは日本語の情報では全くわからなかった。急激な原発停止に日本社会が対応できるのかどうかは一向に不明であるが、ストレステストによって「有効期限」が定められるのは重要であろう。ここでの急激な組織変換はその後の社会の変革を一挙に推し進めるに違いない。



参照:
Eine Hand wäscht die andere, Petra Kolonko, FAZ vom 7.7.2011
日本のゴルバチョフへの条件 2011-06-28 | 文学・思想
前近代に生きる日本の自己欺瞞 2011-04-03 | 文化一般
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獅子のように強い心で

2011-07-08 | アウトドーア・環境
昨晩はアンヴァイラーで過ごした。獅子心王ことリチャード英国王が幽閉されていたトリフェルツの岩場を攀じた。温度は高く、風は強くとも、お湿り程度で乾いた岩場を登れた。何よりも観光地の終了時刻後で静かに登れたのが良かった。

最初に「弓の道」と呼ばれる弓状のクラックを初見で登るようにオファーがあったが、日陰で手掛かりや支点の可能性などが確認できなく、辞退した。お陰で酷い目にあわずに済んだ。難易度は五級プラスほどのようだったが、体のポジション取りが難しく、六級に感じた。

その左隣のルートは更に傾斜が強く七級だった。手がかりが無くて、結局ボルトを使うのだが、その横に立って上の次の手がかりに手がかかるまでに、カラビナを手離さなければ届かない。そこに手が届いてからも、そこに立つまでに、また手がかりが無いのであるのだ。兎に角、上に立てたのだった。腕力を使いながら立ち上がるには脚力が必要なのである。かなり基本的なことなのだが改めて思い知らされるルートであった。

最後に、摩擦を使いながらの緩傾斜の斜面なのだが、さらに脚力で立ち上がる技術が要求された。最近は六級から七級つまり5.10ばかりに挑戦している。立ち上がり感覚などを徐々に習ってきているので、体勢の作り方が出来れば克服できるようになる希望も生まれてきた。走り込みで脚力を鍛える一方、冬のオフシーズンに体の緊張が使えるようにしなければいけない。

帰りには町でアイスを頬張りながらクヴェイの水車小屋を見た。中にはタービンからヒートポムプまでが接続されていて、十年ほど前の最新の再生可能エネルギー技術の見本展示となっていた。私たちが求めるのはまさにこうした生活に根ざした最新技術と科学なのである。



参照:
三つの要塞に人質を捕る 2007-04-18 | 生活
奇岩の上を散策する 2011-05-19 | アウトドーア・環境
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ベルリン、原子力の創世と終焉

2011-07-07 | 歴史・時事
先週木曜日にようやくドイツ連邦共和国議会で一連の脱原発法案が成立した。600票中513票の賛成、79票の反対、その他棄権等となった。左派党の反対は操業停止を求めるためとするが、そもそもは共産党の中央集権独裁主義も西側社会主義も原発推進をしてきた歴史にも触れている。

1938年秋にオットー・ハーンとアシスタントのフリッツ・シュトラースマンがベルリンのカイザーヴィルヘルム化学研究所の木机の上でウランに中性子を当てたところ、バリウムと半分のウランが出来てしまったことから始まり、ユダヤ人の同僚であり既にスェーデンへ亡命していたマイトナー女史によって理論的解析がなされ、その後マンハッタン計画へと受け継がれて以降は周知の事実である。

広島長崎から八年後にはアイゼンハウワ-大統領の「原子力の平和利用は恩恵」国連演説を受けて、豊かさの証明でもあり、日陰に暮らす人達への恩恵として社会主義建設の根幹ともなるのである。1957年には連邦共和国でも試験機が電球を灯す事になった。1961年からの実用化が始まった。

そして、オイル危機を以って、原子力エネルギー政策のその意味合いが強調される一方、原子力への危機感が膨らみ1975年には「カイザースシュテュールのワイン地所が駄目になる」と大規模な建設反対運動が起きたごろから原発への反対運動がお茶の間でも認知され、スリーマイル島の事故を経て1983年の緑の党の国政進出へと繋がれた。

まさに、1968年の世界的な学生紛争の動きから、自由化へと紆余曲折を歩みながらもヴァルシャワパックに対峙する西側諸国として、服装の自由化をはじめとする開放へと議論を進めた国と ― ハーバーマスに代表される知識人が活躍する社会と ― 、福島を見てもいまだに事実さえもを認めずに、いい加減でみっともない薄着で節電する加害者であり被害者となった日本とは比較しようがないのである。しかし、その記事では「原発の終焉」が告知されていても、「核秩序」については敢えて触れていないかのようだ。まさにここがみそではないか?ドイツ連邦共和国社会の手腕であろう。

この法案には、具体的にモラトリウムで停止中の危険な原子炉はそのまま廃炉となり、フィリップスブルク二号機が2019年に停止されるなどと2001年の緑と赤の政府が確定できなかった各々の不可逆の運転停止日時が記載されている。これこそが恩恵である。次に近いのはネッカーヴェストハイムの最後までつまり2012年まで操業する炉となる。百数十キロ圏であろうか。その次に近いのはアルザスのフェッセンハイムとなるだろう。風向きや地形などによって影響は異なるので一概に地元への影響度は断定できないが、少なくとも目の前から水蒸気が消えてくれるのは有り難い。冷却期間はその後の集積場所の受け入れ態勢から後ろへと延長されていて、2013年以降にしか核廃棄物を他所へと持ち出せないことになっている。

その他、二酸化炭素排出権の資金が環境やエネルギー変換への資金として流用されて、電気自動車、エネルギー削減、エネルギー貯蓄、エネルギー効率の高い建造物、製造業での電気使用削減へと年間五億ユーロまでの奨励金が決められた。

また再生可能エネルギーの割合は、今後の10%の需要削減を加味して、倍増の35%へと引き上げられる。太陽エネルギーの捕獲の推奨と同時に北海での風力発電は、長い送電線を用いて南ドイツへと運ばれる。各地方自治体に高圧電線の敷設にキロメートルあたり四万ユーロが援助される。

また、建造物のリフォームにおいて、15%以上の削減が出来るリフォームに対して年間十五億ユーロ規模の減税処置が連邦と州からなされる。年間6000KW以上の大型の需要者は、スマートグリットなどのインターアクティヴな電源コントロールメーターが義務化される。



参照:
Alle erneuerbar: Die Beschlüsse des Bundestags,
Anstieg aus der Kernenergie,
Das Ende des Fortschritts, Robert Gast,
Kurzer Gruß zum langen Abschied, Günther Bannas, FAZ vom 1.7.2011
現実的エネルギー政策 2006-10-18 | アウトドーア・環境
核反応炉、操業停止 2005-05-27 | アウトドーア・環境
裏町のパブリックな対応 2008-02-18 | 試飲百景
ルフトハンザ成田発着最終便 2011-03-15 | アウトドーア・環境
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境
待ち焦がれた破局の興奮 2007-12-10 | アウトドーア・環境
共同体に警報が鳴り響くとき 2011-03-27 | アウトドーア・環境
原発の水蒸気塔の見える町 2011-04-09 | アウトドーア・環境
下卑た振る舞いの日本人 2011-05-05 | 雑感
経営不安の独占企業 2011-06-13 | 歴史・時事
あとの祭りにならないように 2011-07-03 | アウトドーア・環境
デジャブからカタストロフへ 2005-02-19 | アウトドーア・環境
待ち焦がれた破局の興奮 2007-12-10 | アウトドーア・環境
不可逆な一度限りの決断 2006-01-25 | 女
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アルザスの原子力発電所

2011-07-06 | アウトドーア・環境
アルザスの原子力発電所はあと十年間は稼動する。フランスの安全院の要請である。老朽化しているので三十キロ圏に入るようなバーゼル市民が停止を求めた回答である。

欧州のそれはストレステストをして安全性を確認することになっているのだが、安全院はこの三十年以上の老朽施設フェッセンハイムの圧力型の二基に更なる安全対策を命じた。

格納炉の下のコンクリート層の補強を求めたのである。要するに、福島の事故を受けて、メルトダウンからメルトスルーはもはや避けられない事故として認知されて、むしろその後の事後処理の問題を考えるようになってしまった。もはや一億年に一度の事故ではなくて通常ありえる事故の形態となってしまったことをこの安全対策が示しているのではなかろうか。

しかし事故が起こればフライブルク市などは二十五キロ圏であり、ミュルホーズ、ストラスブールなども軒並み居住不可能となるのだ。そのような事故の想定をしなければいけない状況自体がどうしても避けなければいけない事態なのである。このまま、市民が不安の中で暮らすことなどは考えにくい。
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たとえ昨年の茶葉であろうとも

2011-07-05 | 生活
日本茶を注文した。昨年の茶を確保しておくためである。静岡でも狭山でもよいのだが、前者は放射線汚染度に関しての隠匿が方針となり、狭山はそもそも汚染量がセシウムの濃度は468~258ベクレルと桁が違う。

当然のことながら新茶に関しては、宇治でも薩摩でも汚染されていない茶などはない。中国産や朝鮮半島のものがそれ以上に安心である保証もない。そもそも敷居値などが無いとすれば、いい加減にご都合で制定してある基準値などは安全神話の風評以外の何ものでもないのだろう。そのような規制当局も生産地も信用など出来るわけが無いのである。

さらに言えば食料の安全などはそもそもあってないようなもので、近所で犠牲者が出たり、風評を聞いて摂取を控えるぐらいの方法しかないのである。絶対安全な食料品など安全な原発と同じでそもそも存在しない。

放射能汚染の場合は一般的に直ちに影響が現る代物ではないからこそ悩ましく、余計に徒ならば納得がいっても金を出すものに対してそのような汚染のあるものを避けるのは当然なのである。

だから、一部で囁かれているように今年の日本産の新米の放射線汚染の濃度次第では改めて日本の国民はその汚染の熾烈さを納得させられてパニックに至ることもあるのだろう。そうなれば、これまでに正確な情報を流すこともなく、規制値の線引きで全てを闇に葬ってしまうとしている共産党のような政府や生産地にその責任があるに違いない。

小出助教が繰り返すように、六十禁とかで安全な食料品は子供に与え年寄りには食べさせないようには現実にはいかないが、少なくとも基準値以下でも正しく公表することを義務づければ、市場が上手に捌いていくことは出来るに違いない。しかし、それを隠して流通させることは、トレースが出来ない限り最終的にはそのまま経済弱者への内部汚染を強要するようなことになることも認知しておくべきだろう。

昨年の茶といっても袋詰めまでの経過で十分に汚染されていることもあるので、日本に注文したお茶が幾ら個人の消費品といっても水際でガイガーカウンターで値が出ないとも限らない。不誠実な静岡産のものなどはEUには入らないとしても、その他のものも今後続々と水際でとめられる可能性があるのは明らかなのだ。

2010年産以降の日本茶をどのように確保できるかは分からないだろうが、少なくともないお金を投資して入手しようというのだから、わざわざ汚染されたものを喜んで購入しようとする者はいないだろう。それが自由市場なのである。



参照:
☆ 【インタビュー】日本の放射能問題は深刻=元内閣官房参与・小佐古氏 by wsj記者: YUKA HAYASHI  (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)
地元茨城でとれた大豆を100%使用した納豆です。、 
「やさと温泉 ゆりの郷」で親子丼を頂きます。(茨城県石岡市) (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
何がために不愉快な存在 2011-06-22 | 歴史・時事
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タービンが力強く回るところ

2011-07-04 | テクニック
ルフトハンザのA340-600を撮影した。もっとも馴染みのある機種であり、その飛行挙動や室内音には満足している。映っているのはマインツと名づけられた機体で、二度も乗ったニュルンベルクやシュトッツガルトではない。関空へは、ケープタウンからフランクフルト経由で運行していたようだが、今はどうなのだろう。

さて写真はベランダで撮ったものだが、二百分の一の模型とは言いながら、材質も細部もルフトハンザの資料を使って作成しているので、あまりにも正確で、上から見て主翼の横に非常口出口の通行線が入っているのは知らなかった。客席からは見えないに違いない。空いている飛行のときに一通り見学したのだが、流石にこれには気がつかなかった。

スカイライナーなどが漸く就航の準備にかかっているようだが、新聞に面白い技術解説が載っていた。先ずは、いまやお馴染みとなった主翼の先の曲がりであるが、ウイングレッツ呼ばれるそれは既に先の大戦のドイツ軍の飛行体にも使用されているとある。

空力特性から利があって、737などに施されるようになってからジャンボやその他の大型飛行機にもこれが使われて、燃費の節減などに寄与したといわれているが、今回のル・ブールゲの展示会からの報告では、もはや大型機には採用されないと書いてある。

もちろん、主翼の先で巻き起こる上と下との気流の差の渦を解決することは変わらないのだが違う方法が採用されるのである。先のウイングレッツにしてもカーボン素材の発達で、羽の先の形状の工作が始めて可能となったというように、理論的には分かっていても、本格的な実現化へは紆余曲折の長い道程を歩まなければいけないのはいつもの事である。

スカイライナーは、羽の形状自体が波打つ形状になっていて、さらにフラップも変わってくるようである。それを採用したジャムボでの飛行特性は変わらないようだが、燃費特性が向上しているらしい。またエンジンもGEやプラット・ホイットニー社などが、渦を減らし、騒音の低下やCO2輩出の十五パーセント削減にしのぎを削っている。ギザギザ状の排出側の細工やタービンよりもゆっくり回るフィンなどで成果を挙げていて、近々量産化への結論が出るのだろう。

タービンといえば、ガスタービンの発電が重要性を増しているが、こうした高速のタービンとガス発電の効率も共通する技術はあるのだろうか。少なくとも閉じた空間でのタービンと直接大空から大気を取り入れるそれとの違いは大きいのだろう。
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あとの祭りにならないように

2011-07-03 | アウトドーア・環境
昨晩は半リットル以上2010年物を試飲して、帰宅してラインガウのエルトヴィラーを開ける。流石にそれほど飲めなかったが、お陰で早めにベットについて腰の痛さで目が覚めるまでぐっすりと寝込んだ。腰の痛さは金曜日にザイルにぶら下がっていた時間の長さを思い出させて、やはり蝶番が外れそうになるような運動は出来るだけ避けねばいけないと感じている。ちょうどヘルニアと反対の症状なのだろう。二週間前の墜落での左手中指の捻挫もまだ違和感がある。これだけ傷だらけになったのは十代の半ば頃以来だろうか。

久しぶりで開店前からパン屋に押しかける早起きで、先日初めて完走出来たいつものコースを今日も駆け足で完走した。思えば、下りだけでも完走する前に休んでいたルートなので、登りに続けて休みなしに駆け下りることなどは遠い目標だったが、今それを遣っている。しかし、行程時間は歩いていたときと変わらないどころか、いまだに最短記録を出していない。

胸突き上り7分、そして水平道からの上り13分で、20分を少しだけ加速して、19分で登り終えた。なるほど、最初の胸突きの所要時間は変わらなかったが、息がとても楽で、前回の喘ぎはなかったのだ。しかし、下りに15分掛かってしまっていて、駐車場まで34分と、標準的なタイムしか出なかった。

下りを早くすることは出来そうだが、どこでスピードを加速出来るかが問題であろう。心肺系よりも足に堪えていたので、いづれは強化されるのだろうが、30分を割る日はいつ来るのであろうか。なるほど先日教えて貰ったようにつま先走りが定着すればスピードは上がることは分かるのだが、それだけの脹脛の力がないのである。

昨夜のアルコールがどこか体に残っているの厭きながら走るのだったが、今日も昼からベルクケーゼやローストステーキにシュペートブルグンダーを楽しめる快適な気候に感謝するのである。遠景は、白い水蒸気を上げるフィリップスブルクの第二水蒸気塔である。MOX燃料のあれが壊れてからではどうしようもないのである。あとの祭りなのだ。

ゼーガー醸造所やハイデルベルクセメント工場のあるヴィースロッホは、恐らく二十五キロ圏内、ハイデルベルク市内も三十五キロ圏内になるのである。
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レヴィ・ストロースの福島感

2011-07-02 | 文学・思想
二年前に逝去したストロースの新しい本が出た。ストロースでもカーンではなくレヴィである。既に故人となったスター学者の新刊は、今までに出版されていなかったインタヴューなどを集めている。フランス語の原語本であるからどこまで的確にすばやく読めるか分からないが購入したい。

書評を読むとその一冊「L' Autre Face de la lune」は百歳まで生きた故人の八十歳の時での日本関連の内容が集められていて、まさに今その文化悲観に新たな視座が加わり、日本人の視点までもが俯瞰される、福島の事故に際しての出版であるというのだ。

1977年にこの社会人類学者が遅ればせながらとうとう日本を訪れてから、五回目の訪日に際して京都での講演内容が紹介されている。その内容をここで改めて取り上げる必要はないであろう。

唯一つ、「西洋ではミトスと歴史の間に大きな溝が深く刻まれているのに対して、日本ではそれが身近に寄り添っているという」視点だけを繰り返しておけばよいだろうか。

芸術家の子息として生まれ、広重の版画と西洋音楽に魅せられて育った二十世紀後半を代表する学者にとっての日本論は、日本講演で見せたような外交的なお世辞には終わらないものなのであることを書評は説明する。

日本語が読めず、日本で生を受けたわけでなく、ただの部外者として、しかも翻訳文の資料にしか触れていない者が、「世界の中の日本」についての見解を示せるものではないとする発言はごもっともなものであって、それ以上のものでもないだろう。だがそれだけではないのである。

日本の特徴をその学術的・技術的発展とその伝統の継承において世界に稀な国であると、それを2001年に対象化して日本語版「不安の滴」の前書きとして執筆している。そこでは、二つの人類への危機として、根源の喪失と人口増大が挙げられている。

そしてNHKでのインタヴューでは「時代の終焉」として、人類と自然の関係に、人類と新たな諸族との関係に、つまり創造の主と担い手でもなく徒のその一部でしかない人類に、それが訪れることを予言している。まさに福島なのである。こうした言動は日本でなされていて、それどころか植民地化した日本をあてこすりながらその一部であった朝鮮を尊重して賞賛したのであった。

そのうちに日本にもそれが訪れると、日本市民の島国根性と同一性のタブーに触れて、離散の発芽を見て取って確信したのであった。それは、日本での印象をイスラエルへの旅行以上に強く感じた学者の卓見した観察であり、知見であったのだろう。もちろんこうして、それらの原稿が纏められてしばらくして、離散してしまっている人間もいるのである。

日本民族が世界中に離散しなければいけないような事故が現実に起こり、それでも原発に何かを希望しようとするような日本人がそこにいる。通常の感覚では考えられないようなことが日本では現在進行形で起こっているのである。



参照:
Vom Zauber Japans für den Blick aus der Ferne, Jürg Altwegg, FAZ vom 30.6.2011
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事
なにが嬉しくて被爆したいのか 2011-03-29 | 雑感
倫理委員会初会合の召集 2011-04-05 | 文化一般
歴史に残る宰相 菅直人 2011-05-20 | 雑感
用心深い行為に隠されたもの 2009-11-08 | 文化一般
旨味へと関心が移る展開 2009-11-07 | 文学・思想
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情報の隠蔽も未必の故意

2011-07-01 | マスメディア批評
承前)政府・東電の統合記者会見では今も変わらず毎日嘘が繰り返されている。それをマスメディアは批判的には伝えていないのだろう。明白な嘘は、水素爆発の可能性の予測に関するものだけでなく、特に住民の被曝に関しての政府の見解に明白である。

安定ヨウ素剤への判断に関しての質問に対して、あのような持続的な汚染や当初の強い放射線物質の拡散に関しては予想がつかなかったと回答している。それが被曝して内部被曝の疾病を避けられなくなっている子供たちへの責任逃れの政府の見解なのである。

駐日ドイツ連邦共和国大使シュタンツェル博士が語ったように、当初からドイツ国内での専門家の言説と同じように東京の外交筋では二ヵ月後にテプコが発表したような事故情勢分析がなされていた。つまり、日本政府内での分析も全く同じであったのは自明である。

在京の各国大使館はそれぞれ核の専門となる技官を備えており、ドイツ連邦共和国ですら複数名がそれに従事しており、合衆国などは日本に千名もの核の専門家を配置していると語った。それ以外にもウェスティングハウス社などの専門家が首相官邸につめたことは広く知られている通りである。

要するに事件当時蜂の巣を散らすように逃げ去った外交官などの動きとその根拠となる放射線被曝への分析は正しい日本政府の分析と共通していて、SPIEDIEの分析や気象庁の通常の気象データーを合わせれば詳細な核被曝濃度が情報として政府内で共有されていたのは間違いない。

それにもかかわらず、子供たちへの被曝を避けるための処置は一切なされなかったのが事実である。なるほどチェルノブイリ事故では、ヨウ素剤が多く使われた東欧の諸外国では放射能のチリが届くまでに幾らかの時間があったが、日本政府はその結果を知りえていた訳で、ヨウ素剤の副作用に関しても十分な知見があったことに違いない。未必の故意の加害への審判への証拠は揃っているだろう。政府の事故対応や東電の原発運営は、起こりうる被曝や事故への確からしさや見地から決して想定外ではなかったのである。

ドイツ大使は、改めて福一内でのその被曝量の激しさとしてロボットの故障を挙げて、それが決してカメラの故障やレンズの曇りではなくて、放射能の強さから故障したという恐らく専門家の見解を紹介した。それは恥ずかしながら見落としていていた見解で、技術的に興味を持った。

ライプチッヒの四重奏団への大使館援助などについても話があった。音楽家のアイデアが膨らんで、いつも指導している芸大の生徒たちを伴って、福島などでも演奏会を開こうと名案が出たとき、芸大の教授は生徒たちをそんな危険な場所へは行かせられないと許可をしなかったと裏話を披露した。

芸大教授の判断は至極当然だろう。寧ろ興味深いのはその情報源と見地なのだが、同時にそれを支援した大使には会場から批判的な質問が飛んだ。「どうしてそんな危険な地域にドイツ国民を送り込んだのか?」。

「ミュンヘンよりも大気中の放射能は弱い地域も多く、十分に認識しているので問題ない」と大使は答える。そして、東京への観光を招致するのだ。なるほど、東京のそれと日光などのそれと、仙台のそれとを比較する意味も少なくなってきている。しかし、食物などによる内部被曝はそこでは完全に切り去られている。日本旅行に行って、一体何を食せというのだろう?

多くの日本人は疑心暗鬼から、海外に移住しようとしているとも披露された。要するに情報を持ってそれを分析するだけの知見のある人達と情報をマスメディアに頼るしかないもしくはそれを判断できない人達との情報格差が開いている。食料に関してもチェルノブイリのとき以上に自由市場へと流れた放射能に汚染されたそれは経済力のない国や地域へと自然と流れていく。情報も経済も国境の無い南北問題なのである。外交官とそのパートナーはそこでは必ず持つ者の代表である。

緑の党のトリティン元環境大臣の訪日の話題が上った。質問に答えて、「元大臣は日本に緑の党が無いことを知らなかったようだ」と、その言明の引用をしようとしたが忘れたとした。そのレセプションに招かれた環境運動家についても通常の招待の枠組みで行ったということだった。その説明内容にやはり大使の立場が逆に良く出ていたように感じた。

こうした世界を取り巻く環境を認識すれば誰でも理解できるに違いない。こうした世界のシステムを透視できるようにするためにも緑の党のような市民運動政党が国政で激しい野党として定着しない限り、情報を共有することなど出来ないのである。官僚組織は世界共通でそれに何かを期待するのはそもそも間違っているのである。日本のそれはドイツのそれが手本になっているのだから間違いない。



参照:
イスラム社会の民主化を読む 2011-02-12 | マスメディア批評
死んだ方が良い法秩序 2007-11-21 | 歴史・時事
日本のゴルバチョフへの条件 2011-06-28 | 文学・思想
東電との如何わしいスクラム 2011-06-26 | 歴史・時事
細野補佐官のついた嘘 2011-06-08 | テクニック
彼らの勇気と行動を讃えよう 2011-06-27 | BLOG研究
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