Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

小屋から出でて小屋に入る

2017-02-06 | アウトドーア・環境
山スキー三日目である。前日は、シャワーに入り、静かな時をもって、ジャグジーに入り、飲み食いして、部屋で仲間とワインを飲んでじっくりと就寝した。体調万全な筈である。先ずは小屋から登るが、バスタオルと一緒に干していたスキー手袋を忘れていることに気付いた。それでもシナ製の絹の手袋とマンムートの通常の手袋を重ねれば大丈夫だろうと考えた。稜線まで登ると日蔭は寒かったが、直に陽射しが差し込んできた。

冬季初登攀が盛んな頃に日本の冬山の雪量や天候に比べればアルプスのそれは容易いというような印象を持っていた。最近スキーツアーで標高の高いところで活動するようになると、氷河スキー場でのそれとは異なる厳しさを感じるようになった。それは濡れてもいない手や足先が凍りそうになる冷たさであり、そこで登攀するとなるととんでもないということが分かるようになったことである。日本の精鋭登山家が三大北壁などでグループで移動しながら手足を失っているその意味が分かるようになったのである。日本の山の条件とは陽射しも気圧も風も気温も異なり、アルプスの方が厳しいことが身に染みて分かった。

朝の陽ざしでいくらかは温まり、滑降の準備を整える。三日目ともなると切り替えを忘れたり、締め具が締まっていなかったりということは無くなって来るが、痛むので靴のバックルを締めれるわけでもなく、板をコントロールするまでにはならない。まだまだしっくりこないことばかりである。標高が下がっていくので雪の感じも悪くなってくる。面白くない。

林道に降り立って、今度はシールをつけて反対側斜面を登り直しである。これでどれぐらいの動きが出来るかである。下りて来て足も膝も使ったところで真面に行動できるかである。林道のようなところを登り始めてからは、七人の列が伸びて来る。第一集団の二人が見えなくなってからそれを一人で追っかける。最後には我らのメスナー親仁が尻を務めていたようだ。前日はクライミング談議で気を吐いていたので疲れたのだろうか。

鞍部の小屋について昼飯となる。一汗掻いた。陽射しが強く、谷から一気に一時間ほど飛ばしてきたのである。体調はまあまあだった。頂上へは同じぐらい登らなければいけないので、陽射しを浴びてじっくりと休んだ。出かけようとするとまたまた家具親方が「くそったれー」と叫ぶ。また何をやらかしたかと思うと、ここ掘れわんわんと雪を掘っている。ストックの先の皿が雪の中から戻ってこないようだ。スコップを出して片っ端から掘り始める。見ていられない情景である。結局誰かが持っていたスペアーを使うことになったが、15分以上掛かっていた。

メスナー親仁が遅れて「ここで待っている」とか言い出すので、「お得意のビヴァークでもしたら」とからかってやる。結局遅れがちに最後の尾根へと登りついて日没時刻などを計算する。そして、バーゲンで購入したスキーセットのシールが幅が合わないとの言い訳で ― 結局シールを滑らす技術を未だにマスターしていない ― お得意のハッシュアイゼンを着けようとする家具親方のアイゼンが氷化して取り付けられない。結局登頂は断念となり、私も「ああ、残念」と罵るしかなかった。そのあとはトラヴァース気味に小屋へと下り過ぎないようにして小屋に辿りつくだけの終結となった。



参照:
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
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