Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

フランス食生活の易さ

2024-06-16 | ワイン
週末の旅行の準備である。ミュンヘンのキャンセルもあり、ヴュルツブルクの試飲会のこともありなんの為に出かけるのか不明になって来て、極力出かける意欲が無くなった。予約など準備をしていなかったのならケルンに向かっていただろう。あとは車を傷めないように無事計画通り熟すのみである動機付けがないと往々にして事故を起こしそうだ。

なによりも気温が下がってヤル気が無くなった。仕方なくパンだけを購入しに行って、帰りに少し長い距離をゆっくりと走った。身体を疲れさせることで意欲を取り戻すぐらいでしかない。チャットパートナーも恐らく夏のセメスター期末の追い込みで、そっとしておいてあげたいので堪え時である。それにしても一年間あのような生活をしていて学業に励めるとすればそれはとても偉いと思う。楽器をやったり絵をかいたりと結構優雅なんだよね。金があると心強い。

先日帰路ではリレッテデュカロッテを購入した。誰も購入していなかたっと湖で頭からほじくって貰った。前回と異なるものを購入しようと思っていたのだが新規のものでつい購入したのだが、思っていたよりも味が肉肉せずにとても上品でよかった。

パン屋では、それを塗って、更に週末にピクニックのサンドイッチにする為にニンジンパンを購入した。実はスーパーのあるアルザスの街でネットで調べておいたパン屋に立ち寄ると恐らく閉店していた。ドイツでも厳しいパン屋でアルザスで上手く行く保証はない。スーパーがあるので客も奪われるのでもう一件でも活きていればいい方かもしれない。

サンドイッチ以外に先週の鶏のガラのスープがあるので味飯を炊こうと思う。そこに貝の出汁も混ぜると味が濃くなるだろう。二号ぐらい炊いてニンジンと玉葱だけでそれなりの味になるだろう。握り飯にすればピクニックに使える。

サンドイッチの為にハムを購入するのと運転時に齧り付くサラミ類ぐらいか。菜っ葉はフランスで購入したものがあるので、洗って、挟むようにしておくべきだろう。

パンを取りに行く序にボルダーに向かう案もあったのだが、身体が重くて元気が出なかった。仕方がないので帰路の以前走っていた森で長めのルートを走った。スピードは上がらないが、カロリーだけはそれなりに消耗した。これで身体が解れてくれると嬉しい。

フランスで購入したイガイ牡蠣を食した。フランスで購入するのは初めてだ。土曜日に入ったものだからその日に食さないといけないと言われた。それでもヌードルにするのも面倒で量も少なかったので簡単に火を通した。いつものオランダ産とは全く違う。何が違うかというと炒めると洗い方は変わらないのに直ぐに水気が飛んだ。すると玉葱やらワインの色が直ぐについてきて味が更に深まる。

オランダ産の安物は幾ら火を掛けても水が出てくる。産地の差というよりも処理が全く異なるのだろう。これならば一つ一つ摘まんでいってもとても味わいがあって美味い。価格はそんなに高くない。

それに合わせて買ったロワール産のソーヴィニオンブランも特別なピーマン味もなく食事にすっきりと合わせられた。7ユーロ程だったのでこれまた料理にどぶどぶと入れてなんら不満はなかった。アルコールの質もイタリア産の安ものなどよりも良かった。



参照:
ヴィガーニズムワインとは 2016-04-19 | ワイン
準備万端整えての前奏曲 2021-06-30 | 雑感
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無人の国境から瑞西往復

2024-06-15 | 雑感
バーゼルへの乗り入れは若干問題があった。国境超えまではリーエンというライン河の右岸の最奥のスイス国境の地区を目指し、そこから市内に入っていく。そこでナヴィが落ちた。恐らくローミングする為の料金が残っていなかったので、オンラインのナヴィが効かなくなったのだろう。オフラインに切り替える為には一度オフにしないといけなかったようだ。それでも目的地のカジノは音大の下で、中心地にあることは分かっているので其の儘中心へと向かう。

若干ややこしいのはドイツの大都市などでも旧市街と言えばセントラルになるのだがここはクラインバーゼルとか右岸にあって、橋を渡って左岸に移るまでは突き進むしかない。そこまで来ると土地勘も冴えて来て、直ぐに駐車場のあるクンストムーゼウムの案内が出て来た。これで一安心で、入り口を見落とさないようにゆっくり走る。平日ではないので余裕があった。

車庫入れ17時45分で予定通りだ。宿を出たのが17時10分過ぎだった。銀行群がの駐車場ともなっているので広く、出口から美術館に向かって場所を聞いて出ないと方向が分かり難い。しかし学校からの坂の下に着くと大体分かるのだが、カジノは訊ねないと入り口が隠れている。その間に一昨年訪れたオペラ劇場もあり、ティンゲルの噴水もあるのだが、街の中の交差点は方向感が取り難い。今時ナヴィも使わずに都市部を歩いている人は少ないのかもしれない。

出庫21時10分で6フランケンは大都市としては安い。やはり帰路もナヴィが入らないので土地勘だけでリーエンらしき方を目指す。スイス領内のドイツの駅であるバーディシャバーンホーフの横の交差点に停まる。まさにそこに嘗て友人が暮らしていた。一昨年も人とそこで待ち合わせした時もそこからアウトバーンに乗るだけで、リーエンの方に向かうのは初めてであった。地道を通って最寄りの国境もヴァイルアムラインである。

今回はスイスの交通料券が切れていることからアウトバーンでは国境を越えられなかったのだが、夏に再訪するときに購入することになる。リーエンからレーラッハへの国境は無人で誰もいなかった。往路も見かけなかったので抜き打ちでしか行わないのかもしれない。

ドイツに入ってからもレーラッハの街周辺で迷った。今年訪れたホールの前も通ることになった。それでもなんとかナヴィが入ってからも異なる住所が目的地になっていて、もしかするとコロナ期間中に泊まったところかもしれないと思った。

それでも時間を掛けてなんとか宿に到達する。既に22時を回っていた。駐車スペースは出かける時同様に開いていて問題がなかったのだが、入り口が開き難かった。横のスペースで何かをしている男が来た。オーナーのミスターベートである。キーホルダーのマイクロチップで解除になるとは受け取っていないメールに書いてあったらしい。

そういえば出かける時にも向こう側から出て来たビート氏、やはりビートモーテル以外の何ものでもなかった。宿泊施設そのものは好評かを受ける物件であったが、何もかもが不思議な空間と環境であった。



参照:
なんとなしの風通し 2024-03-06 | 文化一般
ゆっくり休めた宿 2024-06-12 | 雑感
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確立された芸術活動

2024-06-14 | 
承前)ジム-ラゲスの新曲「Trust me」初演はとても価値があった。厳密には前々日に同じプログラムがコペンハーゲンで演奏されたことから二回目になるのだろうか。それでもこの曲がそうした歴史的な意味があるのかどうか、それはまた別の話しである。

夜中中身近にハンディ―をおいて大事な人のことを考えて一夜を過ごす、そのような大枠の中で朝七時が繰り返されるとそのコンセプト自体は比較的単純である。その間にボサノヴァから、半音階的スケール、またはオスティナート、そして激しいアコードが破局的に響く。その秀逸さは音楽的にそうした旋回を構成してしまう音楽性でしかない。

まさしく頭の音楽には留まらない勘の良さが、こうしたシアターピースには欠かせない情感性を伴い尚且つ多用な視座をそこに現出させる劇場性と音楽的な表現力が限られた素材においてなされていたことだろう。

勿論彼女自体のシースルーな衣装での舞台上でのプレゼンスもこうした場を形成していた。それ以上にコロナの非接触時代のハンディ―による鬱屈とした社会が描かれている。私小説に終わらない音楽となっているばかりではなくて、舞台上では一人二役を演じる以上に我々聴衆の視座がそこに影響している。それは当然のことながらジョン・ケージにおけるパフォーマンスの流れも組んでいる訳だが、それがこうした大管弦楽を以って描かれるという成功はケージのシムプルネスもなしていない。

音楽素材としてのラップも上手に使っていた。既に様々な使われ方が為されているには違いないのだが、創作者が其の儘演じる強さは絶大で、インタヴューを読むとその時は創作者としての彼女とは異なり全体への視点を失っているかもしれないと語る。そうでなければ前記のような視点の交差が舞台上に展開しない。

後付けでインタヴューを読むとなるほどと思わせる。元々はクラシック音楽つまりバロックから古典派迄のエポックの音楽を習っていて、ヴィオラダガムバやスピネッテなどを弾いていたらしい。よって浪漫派は僅かであったという、そして今日の音楽を知るようになるとそこにはクラシックにおける形の決まった確立されたものとの対照として受け留められていることを知ったというのだ。

しかし彼女はその広義のクラシックに拘った。それがラップなどにおける素材の厳選屋扱いに表れている。だから、それがただ単に偶然に扱われている訳ではない。例えばルネッサンス音楽における流行り歌の本歌取りをどう見るか、はたまたチャールズアイヴスにおける素材をどう聞くかのような問いかけとなる。少なくともケージにおける偶然にまぎこまれた音の環境ではない。

彼女はこのことをその創作のプロセスをして数学的問題を解決するような創作過程だと語る。エンゲルとの対話は為されなかった。なぜかは分からない。そのシースルーの衣装や透けるようなポール脇でのイメージヴィデオにこの若い女性に感じるものとその作品の冴え方との間には大きなコントラストがある。そこまでを計算しての活動が徹底している。(続く)



参照:
今後へ問いかけインタヴュー 2024-06-13 | マスメディア批評
年間20ユーロの倹約 2024-06-08 | 文化一般
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今後へ問いかけインタヴュー

2024-06-13 | マスメディア批評
先日新たに公表されたケルンでの演奏会、その背景が新聞記事のインタヴューで分かった。ティーテュス・エンゲルの予定表には入っていなかった「メルティング・ポット」というクロスオーヴァーの演奏会である。演奏会というよりもイヴェントというべきだろう。

内容はデスメタルの作曲家でその音楽アクセントから最も現代のブルックナーとなっているベルンハルト・ガンターの作品で、交響楽団に加えてラップやDJにブレークボクサー、ブレークダンサーが一緒にやるというものである。だから客層も双方からで、会場もホールなどではないパーティー会場。

そしてこのイヴェントは元々は地元の老舗のギュルツェニッヒ楽団をその首席指揮者ロートが振ることになっていたようで、今回のMeToo事件でサドンデスでお役目御免となったことからこの作品を既に指揮したことがあるエンゲルが飛び入りすることになった。知っていたらミュンヘンでなくてこちらに向かっていた。

初演のヴィーンでの映像が残っているようにコルネリウス・マイスター指揮で行われていたようで、それなりに再演されているらしい。しかしこうして同年配の指揮者三人が振るとなるとそれは偶然とは思えない。
melting pot, Bernhard Gander 1:1

melting pot, Bernhard Gander 1:2

melting pot, Bernhard Gander 1:3

2011 Wiener Festwochen melting pot

making of melting pot - Wiener Festwochen/into the city 2011


エンゲル以外の二人の指揮者の顔ぶれを見れば分かるようにどちらかというと保守的な指揮者のレパートリーとなっているようで、エンゲルからすると若干保守的な作品となろう。しかしインタヴューでは、異なる世界を文字通り混ぜ合わせるものだと語る。

指揮者ロートと話したかと尋ねられて、直接ガンターと話したと語るのは当然、何曲もその作曲家の初演をしているのはエンゲルであり一昨年もピアノ協奏曲をシュトッツガルトで素晴らしい演奏で行い実況中継された。そして、今回ラッパーからもその内容をテキストとして提出されて、その主旨を理解したと語っている。その方の総合音楽プロデュースに関しては第一人者であり彼以上にこういうことを上手くやれる人はいない。その意味からすれば指揮者ロートの比ではなく、楽団の後任に決まっているオロスコが如何に指揮の技術が卓越していてもこれからの音楽活動に成果を残せるとは全く限らない。そのことはまさしくここで新しい指揮者の立場が求められていて、その合意の在り方や機能について言及している。最早それ以外の指揮者なんて時代遅れの非芸術的な猿回しでしかないとなる。

そして興味深いことにクラシック音楽作曲家がそうした自由な表現の場を提供することになっているというのがとても興味深い ― このことは先日のバーゼルでの作品に深く関わっている美学的な今日からの視点となっている。

ケルン自体もフィルハーモニーの新支配人、更にペトレンコのアシスタントであったマリージャコーが放送交響団の主席になることに言及して、今後どうなるか、新たな道が拓けるのかと質問されている。それに対して、既に始まっていて、様々な道へと繋がっていて、今回の「メルティングポット」のように異なる層に訴えかけることであるとする。反対に現在の定期公演のようなプログラミングのあり方には大きな疑問を呈していて、象牙の搭に籠るようなそのようなものではなくて、新しいものへのより開かれたプログラミングなどが必要だと結んでいる。

この地元紙を読むとケルンでの活動が前提になっているようにも思われる。先行き不明のSWRのみならずWDRにおいてもジャコーらにだけは任せられないのでエンゲルを必要としているのではなかろうか。



参照:
„Melting Pot baut Brücken zum Publikum von Morgen“, Jan Sting, Kölnische Rundschau vom 11.6.2024
永遠朝七時の目覚まし 2024-06-11 | 女
文化芸術のデスメタル 2023-02-05 | 音
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ゆっくり休めた宿

2024-06-12 | 雑感
シュヴァルツヴァルトの友人のところを15時前に出た。レーラッハの宿には16時に入る予定だ。ワイン街道を出たのも遅れて、そこには13時過ぎに着いていたので二時間近く滞在していた。もう少し時間があれば山道を通ろうと思っていたが、急いで最短距離を走るよりもアウトバーンに向かった方が早く燃費もいい。宿には時間前に着いたが、鍵明けの連絡が入っていなかったので電話をして鍵を受け取った。上階で部屋を掃除していたらしい。

回りには葬儀屋があり、建築のガラなどのコンテナが積んであった。生活ごみ廃棄上も裏側で喫煙所で火をつけると夢洲の様に爆発するかもしれない。なるほどこれで55ユーロでも84点しか評価されていなかった理由が分かった。更に宿はボーディングハウスと名乗り、長期の滞在者も受け入れている様だった。またそこのオーナーが「サイコ」のアンソニー・パーキンスのような物腰で、一寸人見知りするタイプで、如何にもで、上階には母親の骸がロッキンチェアーで揺れているのではないかと思わせた。

しかし友人が想像したような古い建築物でもなく部屋も清潔で日当たりのよい部屋も機能的だった。霊柩車を望むだけでなくイタリアからの霊柩車も道に停まっていた。それでも景色はシュヴァルツヴァルトへの遠望も効いて中々であった。

スイスとの国境でもあり、近くに安いアパートメントがなければ一泊ぐらいならば又泊まってもよいと思わせた。夏場は知らないがハエが跳び様なこともなく、夜中も窓を薄っすら開けていても静かでよかった。チェックインも12時からアウトも12時迄と使い甲斐がある。掃除の清潔度もベットもやタオル類も冷蔵庫も綺麗で、隣の葬儀屋で送り人でもしているのではないかと思わせるぐらいである。コーヒーも二回分を飲んで、クリームも持ち帰った。

そこからの帰宅も快調で、月曜日の午前中でトラックは多かったのだが、久しぶりに飛ばせた。よく眠れたからだろうが、乗用車は少なかった。アウトバーンも地域によって速い車の比率が変わってくるのだが、平日のバーゼルからバーデンバーデンはあまり速い車は少ない。

トップで時速230kmを出せば余り抜かれることはない。そして一台だけ白色の発注した車の一つ前のタイプのようなのを見かけたが余り飛ばせていなかった。現在の車を発注する前はその時の車で抜かれる車として眼をつけていたのだが、今回はそういう明らかに足の速い車の認識はなかった。

一時は時速200kmを越える車が増殖していて、嘗てのようにエリートの高級車だけではなくなっていたのだが、最近は制限速度領域が増えたからなのか、はたまたSUVのような余りスピードの出ない車が増えたからなのか、250kmリミットで飛ばすような車もあまり見かけなくなっている。恐らく30年ほど前の時速200km超えに似ていて、数パーセントのエリートとなっている。実際にアウトバーンでもその速度で使い切れるかどうかが考慮されるところなのだろう。

こうして230kmほど迄は飛ばしつつ薄くなっているディスクを保護する為にブレーキを殆ど踏まない運転に慣れてくると、電気モーターの加速度と自動運転機能で巡航速度を時速平均140km超えまでは目指せると予想している。



参照:
全く動じない森の住人 2024-06-10 | 料理
年間20ユーロの倹約 2024-06-08 | 文化一般
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永遠朝七時の目覚まし

2024-06-11 | 
石を首に下げていた。それだけでは会場に入れなかった。しかし積極的な聴衆であることは確認されただろう。あるおばさんは、「これはまたエレガントな―」とスイス語で仰った。そもそも服装からして危ないのだが、やっぱりストーンズとは違う。どこがとなる。

今回の演奏会はそのタイトルの通り女性の新しい作品を並べて聴いて貰うというものだった。それだけで価値があって意義のある催しだったと言うのは、18時15分から始まったレクチュアーでの指揮者エンゲルの話しでも婉曲的に主張されていた。つまり世界で24%だかはベートーヴェンの楽曲が演奏されるところで、女性の作品は全体の1.9%にしか満たないこと、つまり希少価値である証拠が挙げられた。追々、そこでは新しい音楽が多くとなる。

最初に演奏された曲の作曲家ムンドリーはチュッリッヒで作曲家教授らしいが、その中では上の世代で、舞台での鼎談で自作のことを語っていた。エンゲルとは2005年のルンデル指揮での初演の際にアシスタントとして出会ったようで、今回も2019年初演の「終わりなき地層」という三部構成の作品が演奏された。彼女自身が作品を見せて作曲家の先生に魅せた時も女性の作品にはフォームがないと言われたとその創作は何だったのだと笑っていたが、その概念はこの会の一寸した導きとなった。

多層性とグレゴリアンチャントからの積み重ねのような様相を見せていたのだが、若干そこにその視点のあり方が問われるような結果となっていた。なるほど音響の作り方とか神の擦れる音とかあの感覚的な官能とは別に、プログラムから変更になって前半三曲目から二曲目に置き換えられたルンドベルガーの「ダウン」という曲までは稀薄ではないのだが、そこに主観が強く反映しての聴かせて初めて反響をみるという構図が弱い。古今名曲というのはやはりその視点を替えて視座を動かしての演奏行為という変換にも晒されることで演奏されるべき作品となる。何も美しいとかの掛け声を聴いても美しくはないのである。

その意味からすれば休憩を挟んで後半の最初の曲は2021年にそこバーゼルからそれほど遠くはないドナウエッシンゲンの音楽祭で初演されたトロンボーンのマヤ・ラトケの協奏曲でもある「イカルスを思って」はそのソロの名人技と大管弦楽団ということから、そのソロの創造的可能性が上手に「イカルスの可能性」として構築されている。偶々今回呟きにハートを貰ったのでフォローしておいた。ある意味手堅いやり方ではあり、多作家ではないようだが、ジャズを含めて旧主的な枠にも嵌まっている。
ドナウエッシンゲンでの初演中継録画、24分40秒から
Konzert mit dem SWR Symphonieorchester | SWR Donaueschinger Musiktage 2021


しかし、ここでそのプログラムにも大きく取り扱われていて、当日のパフォーマーとしても活躍する事から前半の最後の曲として演奏されたバロセロナ出身のジェムラゲスプホールの作品は最も今日的なものであった。その作品自体は一種のシアターピースともなっていて、本人が出て来て楽団の前に腰かける。上体が何か透けたような衣装で、後で考えるとネグリジェをも表すのかとも気が付いた。

そこで何を英語で演じたか?目覚めると目覚ましが7時だというのが何回も繰り返されるのだ。ゴロ―を待つではない、なにを待っていたのか。(続く)



参照:
隈も何もない浅墓さ 2024-05-25 | SNS・BLOG研究
時代の耳への観想 2024-04-20 | 音
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全く動じない森の住人

2024-06-10 | 料理
無事帰宅した。途中で路上記念撮影がなければだ。石を首から下げて、眼鏡に触れたようだが、枠に触れたのだろう。ティタンであるから剥げる可能性があるが、あの程度なら大丈夫だろう。レンズだけは無傷でいたい。それでなくても一年経って若干度の感じが変わってきている。

往路はシュヴァルツヴァルトの友人のところで食事をした。どうも五年ぶりぐらいの訪問でその間も電話を貰ったらしいが、出なかったというものだ。勿論出ないのは借金取りから逃げる為と話しておいた。冗談半分で半分は本気に受け止めるような人たちで、それだけ私のことを知っている。四十年程のお付き合いなので、嘘は効かない。

新たに手を入れた客室も見せて貰ったが、結構空いていた。なるほど一部屋などは地元の古い木を使った内装で素晴らしかったが、どの部屋も昨今の使い方からすると、二部屋の寝室があってバスルームが一つとか、リヴィングにベットがおいてあるとか、または自分らが嘗て住んでいたところも90平米程あってもケチなキッチンしかなかった。どうも想定しているのは親子が夫婦で来るという感じだ。要するに田舎の人の感覚で現在の需要にあっておらず、そしてそれだけの価格を取っている。

だから自分がこれから泊まる55ユーロのアパートメントやルツェルンの宿の地下駐車場も話しておいた。次来る時は新車だからねと話していたので、あんたの為にガレージ造るわと話していた。そしていつものようにガールフレンドを尋ねられるので、次来る時は彼女と泊まるからねということで新しいお部屋案内となったのだ。

ドイツの人かというので、否ネットで知り合ってねと、そして幾つだというから、まだ学生だよというと、賑わう。全くそんなことを気にしないのがこの人たちで、こちらも可也いってる人間だが、森の人には容易には勝てない - 流石にセックスチャットでとは言わなかった。以前は地下で捌いていた豚やら羊やら飼っていたところは部屋になっているのだが、今もそこにいる羊は家のだと、上の方に飼っている場所があるとは初めて聞いた。財産持ちである。全く動じない人たちだ。

しかし嘗てなら満杯になっていたのはそれは価格も適当で、新鮮な豚やら自家製のシュヴァルツヴァルターシンケンなどの名物があったので、とても満足度が高かった。しかしどんなに素晴らしいサウナ施設があってもそんなものは大ホテルで楽しめる。何も森の中でとなるので、若い子が沢山いるならと嫁さんに話しておいた。需要が全く分かっていない。方針は自分がオーナーになりたいと思う施設の増設でしかなかった。なるほどあれだけの施設があれば無一文にはならないが、駆動率が悪ければ税金ほど儲からないのではないか。自分で汗かいて作ってもいるので、投資は金銭だけでは計算されていないから安心なのだろう。

更に息子が前回はまだもう少し気の利いた料理を出していたが、余りお客さんが来ないようになったところでは材料も落ちていた。そして腕に入れ墨を入れて、明らかに嫁さんがそのようにさせて仕舞ったのだろう。

それでもコロナ期間中は、ポーランドから一年間貸し切りになっていて、毎日のようにハイキングを夫婦でして遊んでいたのでとても幸せだったと語っていた。財産があるからあくせくしないのだろうが、その不動産も何時までどれだけの金を生むかだろうか。



参照:
ストーンズで変わる人生 2024-06-09 | 文化一般
凍てついたのは身体 2018-02-28 | アウトドーア・環境
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ストーンズで変わる人生

2024-06-09 | 文化一般
祭りの交通閉鎖のこともあり早めに荷物を詰める。既に広場に車を移して、日曜日の朝に制限が解けたりするのを待たずに好きな時刻に出かけられるようにする。出がけに何かを気にしたりするのは嫌である。朝10時に再び閉鎖されるとなると、清掃の7時過ぎからその間までの間隙を縫ってとなる。早起きして更に時を待つとなると嘆かわしい。夜中にも開けてあるようだが、道路にガラス類や椅子が散らばっているだけでなく、人が寝ているかもしれない。

さて、先ずは3mのUSBケーブル、それに付随する差し込み、お泊りセット、一泊であるから何も要らないのだが、次の週にも備える。パンツも、ジーンズにするとは思うのだが、持って行く。ジャケットも入れる。靴が同じだから融通が利く。替えの靴下も必要だ。車のトランクに前日から入れておくのはそれぐらいか。髭剃りは当日に使ってから持ち込む。充電コードは電池が壊れているので先に入れておく。

寧ろアイスバックの方が重要で、ジャガイモサラダを夕飯序に多めに作っておいて、日曜日の夜食とする。ヴィーナーは買わなかったが、ヴルストサラダを作ることにする。火を使わないことになるが、飲み物があればそれで十分だ。その為に地元のヴィラージュを買ってきたが、ちょっと勿体ないか。今晩次第である。

出発前の朝食のサンドイッチはピクニックにして、冷やして持って行く。飲み物はまだ暑い紅茶で良いのではないか。帰宅日の朝も紅茶である。アルザスのスーパーまでは二時間掛からない。

食料品と書類入れは兎も角当日である。詰め忘れたものがあった。二つの小石である。これは、作曲家キャシー・ミルケンスという人のエディケーランフィールドという2021年の作品のスイス初演で必要なものだ。名前のように五億六千年前の化石が採れるフィールドに触発された作品のようなのだが、持って行く石はメドックの先の浜で拾ってきたものなので、時代が違うかもしれない。よく分からない。河原の石と書かれたが、スイスではどうしてもそうなる。アルプスの隆起は比較的新しいのでその半分ぐらいの岩肌であるが、その中には数倍の古さの層もあるらしい。

兎も角二つの小石を叩き合わせて音を出す。その為に持って来いという参加型のパフォーマンスらしい。それならばと、実は大きな石まで岩壁の裾からの可也のコレクションがあるのだが、選んだのがこれである。

穴が開いているものはヒューナーゴットと呼ばれるようだが、これに紐を通して首から下げていくべきかと考えている。ただでさえジャケットが目立って、更に首からおかしなものを下げているとなるとまるでメタルオヤジではないか。メタルならずストーンである。ロックンロールか。

こういうのも一度切っ掛けがあってやると癖になりそうで怖い。首からじゃらじゃら下げて更にピアスでもしだすと人生変わると思う。

これで若い子を連れて歩くと、それだけでその娘は一寸違う子なので、絶対「素人」には見えないだろうと思う。自動車も思いっきり派手な危ない車を注文すべきだったかと思うほどである。



参照:
年間20ユーロの倹約 2024-06-08 | 文化一般
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
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年間20ユーロの倹約

2024-06-08 | 文化一般
ベットの中で燃料代を確認した。前日までの最低価格が出ていて、更に数キロ走ると1.67とここ暫くでは可也いい価格だと分かった。寝ていられず、走りに出かけることにした。週末は金曜日から交通閉鎖があるので、夕方に涼しくなって安くなったところで一走り序に給油というのは出来ない。すると早めに片付けておく方がいい。

なるほど日曜日の午前中の出発時の価格が安ければそれでも往路で入れれるのだが、それは不明であり、出かけからうろうろするよりもと決断した。さて4セント安ければ、50リットル入れれば2ユーロになる。そこで数キロ往復を計算すると10キロ余分に走るだけで1.67ユーロ消費するので差はなくなる。そうなると近場で給油して早めに走って身体を解しておいた方が良しと結論。

なんとか1.71で給油で86ユーロ。余分に入っていると思うので、これで往復は出来る筈だ。一泊55ユーロだが、夜食を持って行く。あとはエンジンオイルを200㏄ほど足しておけば戻って来れる。帰りの仏スーパー買い物の為にもアイスボックスは欠かせない。

夜食はまたまたジャガイモサラダとヴィーナーぐらいにしておいてもよい。冷やしたリースリングを一本もって行くか。

独放送楽団などの経費の記事を読んだ。一番の批判点はその経費に対して、貢献が出来ていないというものだ。先ず放送する材料にはもうならず、そうした公共音楽の放送時間も縮小されて、各地のARD公共放送局は月水土は持ち回りで同一放送を流す。自己制作のコンテンツがない限りそうなる。抑々新しい商業的に価値の無い作品などを演奏放送する文化事業であったのだが、その使命は20世紀のメディア産業盛んな頃に半減していて、現在は保守的なプログラムで通常の交響楽団などと変わらない興行的な演奏会を行っている。そのような演奏は実況録音や放送の価値など微塵もない。

そして、これらの文化活動に全聴視料の2.2%が費やされている。例えばそれをバイエルン知事の意見のように半減することで、年間で20ユーロ以上安くなる。抑々半分の交響楽団の存在意義などがなくなっているので決して非文化的な意見ではないだろう。

従来の伝統的な交響楽団や座付き楽団がある所では強豪ともなるのだが、そうして状況は都市部であってやはり地方によってはこうした啓蒙活動も重要となる。しかし、それを視聴料で賄うというのは筋違いであって、その存在がとても矛盾している。

独立した楽団で興行的にも成り立っていて、尚且つ世界的な名声と水準を誇っている楽団名が少なくない所での存在意義が問われ続けている。

日曜日に出かける楽団などは世界一規模の大きな現代音楽専門の管弦楽団であって、スポンサーの支援だけでなくて、支援者がしっかりいることが重要である。今迄エンゲル就任最初の演奏会と映画音楽初演と聴いたが、今回は首席指揮者就任初年度最後の指揮で歴史的演奏会場での定期演奏会に出かけることになる。決して安くはないのだが、日曜日に拘わらず結構入ると予想している。



参照:
存在意義の無い大管弦楽 2023-03-17 | 文化一般
とてもいい演奏会とは 2023-02-04 | 音
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詰将棋のような遊び

2024-06-07 | アウトドーア・環境
天気が良かったので、夕方に運動をした。久しぶりにボールダーに出かけた。パンを取りに行く序に寄れるようにしていた。そこからまわると結構な大廻になるのだが、序がある方が少しでも経済的だ。長く試す心算はなくて、短く試して引き続き走ることで経済的にも時間的にも圧縮可能と思ったからである。

どうも昨年の五月以来らしい。前回は写真を撮るために試したのだが登れなかった。そこで一番容易な課題の一つだったのだが解決できなかった。今回も可也難しいところを触ってから、試した。印象としては身体は軽い感じがしていたのだが、ここという第四手の核心が少し怖かった。一度落ちるとマットの上にダメージを受けずに綺麗に立てたので、再挑戦となった。

ボールダリングはクライミングに比較すると制限された中での必勝を決める丁度詰め将棋のようなもので、そのムーヴしかないので身体の調性力と瞬発力が試させる。前回は触る手にも痛みがあったり、今回は靴下を忘れていたのだが、その時の方が足の靴への触りが厳しかったりした記憶がある。それだけで集中力が違う。

そして次の一手で岩の頭に掌を被せるとチョークをつけた手が吸い付いた。これで行ける。もう最後の一手で決まった。以前のように鼓動で息苦しくもならなかった。なぜかは分からないが、身体が軽い感じはある。実際には体重は軽くなっても1キロ程である。

勿論アドレナミンは十分に発射されるので、その後には坂を上る時にも膝がガクガクしたりしたのだが、次なるジョギングに備えて準備体操をして身体を解す。

車に乗って、先々月試乗車を撮影した駐車位置まで動かす。そこから走り出すと雨が降って来た。往復で3キロ半を戻って来た時にはびしょ濡れであったが、目的は完全に果たした。

週末に出かける燃料こそは入れられなかったが、もう一度安くなるのを待てるだろう。往復500kmほど走る予定なので、50リットルほど給油しておきたい。

電話中継搭のあるそこから下りてくると雨上がりの夕方に5キロ先の我が市のシルエットが綺麗に写せた。生憎我が屋根裏は見えていないのだが、遠近感が分からずに3km離れた二つの街が前後にくっついているようにみえるが、中々の遠望である。屋根の色なども比較的調和が取れている。


濡れたのだが撥水性の良い衣料なのでそれほど寒くはなかった。それでも車の座席のヒーターを入れた。こういう時には役立つ。

筋肉に短くとも強く負荷をかけた後に直ぐに解しておくとやはり楽である。今回は忘れていたのだが走る前にやるように入念に準備体操をしておくとからだの動きもよくなり怪我もし難くなるだろう。それ用の体操のサイクルを定めておかないといけない。今迄はまじめにやっていなかったので、詰将棋が詰められなかったのかもしれない。



参照:
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今秋のミラノ旅行準備

2024-06-06 | 雑感
ミラノのスカラ座のティケットを初めてネット購入した。システムは比較的わかりやすく多くは英語で確かめられる。

10月のスカラ座での「ばらの騎士」再演をペトレンコが指揮するからで、宿は大分以前に押さえておいたり、準備をしていたものだ。

抑々ペトレンコが、ベルリン就任後はオペラ指揮をしない約束になっていたので、復活祭以外ではミュンヘンでのトリスタン上演以降初めての指揮となる。つまり解禁されたということで今後の動静をうかがいたい。復帰は夏のザルツブルクが先行すると予想していたが、恐らく住まいからも近いこともありやはりミラノでの成功は重要視されるだろう。

べルリンで終生やるとした発言の後ろにはこうした合意がなされていたことになる。今回の演出はザルツブルクでメスト指揮で為されたハリークッファーのもので、ミュンヘンでの新制作「マクベス夫人」だけでなく、そこには信頼関係があり、亡くなった演出家を記念してという趣もあるだろうか。

キャスト陣などはザルツブルクなどアルプス以北では難しそうな面々であるが、先ずは劇場デビューをして今後の碑にということだろうか。

さて肝心の座席は天井桟敷で押さえておいたので、なんら問題はない。やはり常連さんらが手を付けそうな席は直ぐに売れてお手つきした。だからベストのチョイスだったかどうかは分からない。舞台を観る必要がなくてもいいと思っていたが、奈落と両方にある程度の視角はありそうで、指揮も四六時中観ている必要もないので、余り極端な席は選択しなかった。

お客さんの質はその席の出方などで大体分かった。先に売れていた席は常連さんなので、とても細かな条件を満たしているのだろう。そういう所を含めてお勉強である。ミュンヘンに通い出した時もスキーの帰りに立ち寄ったので二列目でバイロイトでの指揮に続いて何も見えなかった。しかし、三幕で最前列が空いたので、そこに滑り込んだのだった。初めてペトレンコの指揮を生で観たのだった。

その様な塩梅で、なにもそれ程欲張る必要もない公演である。但し、奈落は首席奏者の友人が乗っているかどうかも確認しておかないと後で話しにもならないので、舞台以上にしっかり見届けたい。総じて今後の本格的な公演に備えての座席選びともなった。

スイスのタチーノに押さえているアパートメントの二泊は一週間前がキャンセル限界なので、状況次第では今後まだいいものが見つかり次第ともなる。不確定要素は当方の車輛にもあるので、いざとなったら列車移動やレンタカーの手配も考えておかないといけない。

順調に走ればミラノ往復は二泊すれば全く問題がない。但しワインを醸造所に行って試飲するまでの時間は一寸ないかもしれない。スーパーで地元のワインを購入するぐらいか。車のことがあるので国境を都合四回越えないといけないのがネックになる。ミラノの市内交通のざっとした土地勘もあるのでそれ以外はあまり問題にならないだろう。



参照:
迫る20年ぶりの長距離運転 2023-09-08 | 生活
やるべきことを達成 2023-12-09 | 音
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洪水の床屋話し

2024-06-05 | アウトドーア・環境
床屋に出かけた。幸い上手な人がやってくれたのでよりよくなった。これで夏休み前までは気持ちよく過ごせる。現時点では暑くはなっていなかったので襟元は不快ではなかったが、気温が上がれば大きな差が出る。運動すると一番差が出る。首が冷えるのが一番良い。

そこでの話は洪水の話しで、この辺りは涼し過ぎるとかいうが、過ごしやすいだけで、洪水地域とは大違いだと髪結いさん。「あのドナウ流域はいつもだからね」とこちらの天国ぶりを語るしかない。冬は雪も少なく、春も早く、夏もそれ程暑くはなく、風通しが良い。欧州の環境では百傑に入ると思うのだ。ドイツは大抵のところは知っているが大都会圏でこのワイン街道から移りたいというところはあまりない。ただ一つの環境問題であった原発が廃炉になってからは不安要素は殆どない。戦闘機が練習に飛ばなくなったことも大きい。強いて言えば国境の向こう側にあるフランスの古い原発であろうが、200km圏内にはない筈だ。

洪水に関しては今回でもライン河沿いは注意地域になっていて、河川沿いの街などは場合によっては一部浸かる。ネッカーが氾濫すればハイデルベルクも浸水する。その点ワイン街道はライン平野が広がっていても20km程離れて標高が141mである。その分水不足気味にはなるのだがローマ人のワイン作りからワインが保水していて、更に奥に森が広がる。ここ30年間で上水の取水口も整えられて軟水になった。地震は一二度震度を感じたぐらいで被害を起こすことはない。

ミュンヘンに出かける時にドナウ沿いでアウディー本社のあるインゴルシュタットの近郊に泊まる。浸水するようなら大変だと思い調べてみた。確かにアパートメントは川沿いなのだが、アンラウファーと称するニュルンベルクの南西のフランケンの山の中のアルトミュールの湖から発していて、ドナウ本流の北を流れている。しかし、それがドナウ河に流れ込むのはレーゲンスブルク周辺なので全く関係がなかった。思いがけず素晴らしい谷のようで、一泊するだけでは惜しいが、いつかまた使える時があると思う。

今回の洪水の地域もバイエルンとの境地域で、アルゴイに出かける時も通り過ぎて、アウトバーンが通っていないので未知の領域でもあった。やはり知らないことがあるのもいいことである。

走りに行くと無免許で運転できるような車が立ち往生していた時速25kmまでの恐らく原付仕様なのだが、夫婦に助けを求められた。その場では少し謂われるように試してみたが埒が明かずに、先ずは走り終えてからにした。推測では上向きに停まっていて、エンジンが掛らないので、後輪にあるスクーターのクラッチのようなところがブロックしたのだろうと考えた。帰りに停まっていたら、押しがけ出来るような態勢にするように奨めてみるつもりだった。下りていくと車が道を塞いでいて、ドア職人の二人が押して移動させていた。エンジンが掛る所までは至ってなかったが、それでお役目御免と道をすり抜けて戻って来た。

夕食は煮豚で、ヴァイツェンで摘まんでいたら、リースリングを注ぐ前に食べ終えて仕舞った。結局足りなかったので、その豚汁で湯麵を夜食とした。夕方遅く運動すると翌朝が眠い。習慣ついていても疲れることは疲れる。



参照:
大洪水の後で鳩は 2023-12-21 | 文化一般
今後のシュミレーション 2024-06-03 | 試飲百景
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ルネッサンスの倫敦交響曲

2024-06-04 | マスメディア批評
承前)全く楽譜を読めていなかった指揮者タルモ・ペルトコスキ―がプログラムのメイン曲ヴォーンウイリアムスで見事な演奏をする。この偽印象派の作曲家の作品はそれなりに録音もされている。比較的有名なのはダニエル・バレンボイムが英国の室内合奏団で小曲を重ねて録音などをしたりしていたことであるが、今回のような交響曲を立派に演奏はしていない。

今回はプレヴィン指揮等の録音は聴いていたのだが、恐らく英国人指揮者で得意な人はいるのだろう。しかしタルモが指揮するような素晴らしい演奏は出来ていない筈だ。この若い指揮者がルネッサンスとなる演奏をしていることになる。「オペラ座の怪人」の音楽で喜んでいたのだろうが、その奥にある英国の音楽素材を丁寧に読みだしていて、五音階の終止も上手につけていて、中華民国雑技団とはならない。

そして今回の放送で繰り返し流してみても、演奏もとても上手にやっていて、練習にも時間を割いているようだが、それ以上に指揮でリズムを保持しながらの音出しは、自らのピアノでしっかり確認してあるようで、とても微妙な管弦楽となっている。

同年齢時のラトル指揮もここまでの指揮は出来ておらず、この指揮者の能力の高さが明らかである。

つまり時間を掛ければ楽譜も読めて深いところまで理解しているのだが、レパートリーを作りながら大交響楽団にデビューするというところで、客演続きではやはり厳しい。同様な無理はラトルが日本デビューした時にフィルハーモニア管弦楽団といざこざになったというのはまさしくそうした似通った背景があったからだろう。それでもそれなりにどの曲も纏めて来てはいたのだが、要求されるものはそれ以上だった圧力があったに違いない。既にそういう立場にいたからだ。

今回の場合には既にそうした20世紀中盤の指揮者像などは過去のものとなっているのにも拘らず、ビジネスモデルとしてポップスターにもならないタレント発掘をしているメディア業界の滅亡があり、そこに関わることで今回の演奏会のように一夜のそれとして完成させられない状況があることが大問題なのである。

ストリーミング生中継された一方予定されていた期日にはオンデマンド化されない背景には、前半のプログラムをカットしてもそれでも後半のメイン映像を容易にアップできない事情があるのだろう。

最終的にはどのような形になるかは分からない。恐らく今回の録画はタルモが指揮した演奏の中では最も商業的な価値も高いものだと思われる。そうなるとレーベル側もヴォーンウィリアムス全集で一儲けとなるところだ。しかし指揮者がそこ迄準備しているとは限らなく、先ずは今回のロンドン交響曲を持って一流管弦楽団で成功を収めないとお話しにならない。

ボストン交響楽団ぐらいで後任指揮者になれるかどうかなど、そうなるとまだまだ準備不足が甚だしい。やはり、じっくり適当な劇場で数年間振る方がその後の上り詰める早さが違う。



参照:
なんじゃらほい交響楽 2024-05-19 | 音
お家芸の指揮棒飛ばし 2023-03-26 | 音
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今後のシュミレーション

2024-06-03 | 試飲百景
ナーヘでの試飲会だった。とても価値があった。帰路の酒気帯びはやはり気持ち悪かったが、昨年よりも速度違反の疑いはない。比較的しっかりしていたと思う。しかし記憶が飛んでいる区間もある。

どうしても来年新車でというシュミレーションを兼ねている。自身が問題がなくとも例えばマイバッハに当てられたら、酒気帯びだけに責任を擦り付けられるとなるとやはり怖い。新しい車は渋滞とか急ブレーキでの見逃しは避けられて、車線を越えての衝突も避けられる。しかし当てられるのを防ぐのはどこ迄避けられるのかは分からない。速度違反は自車のカメラが速度規制を監視しているので急な工事現場などでも見落としはない。やはり巻き添え事故となるとこれは酒気帯びはとても不利である。車両保険も下りない可能性もある。やはり一時間ほどのところでも宿泊の可能性も考える。

往路も思わずハンドルを外して自動運転に切り替えようとしたくなる。全てシュミレーションでしかないのだが、やはり為れれば安全性が高まると思った。如何に平素から事故を未然に防止する監視よりも速度超過を如何にしないかにしか注意が向いていない。これを全て車に任せて、不意の事象の把握に努めれる。

数年前に信号無視したことを思い出すのだが、あれも歩行者の信号の赤が眼に入っててっきり交差する道路が赤だと勘違いしたことがある。視界に入っていてもその情報を的確に判断するには情報量を絞ることの方が重要である。自動車クラブの申請にも如何に道路の情報を絞るかがあって、広告や無駄な交通標記を撤去するように具体的な要請が為される。

特にここ数年は速度測定はナヴィを前提としていて実際に肉眼では特に高速では見落とすほどの細かな制限が敷かれるようになっている。日中だけの制限速度などもいちいち把握しなければいけなかったが、それも車のカメラが認識してくれる筈だ。

醸造所では初めて裏筋の駐車場に停めた。それなりの台数が駐車できるようになっていて、今迄は停めたことがなかった。今回の目玉はどこにも書いてなかったグランクリュの前落としの葡萄からのリースリングで、特にナーヘの最高級のヘルマンスヘーレの先落としワインは試飲リストにも乗っておらず、通常はレストランなどに供給されるもので、この試飲会だけでの特別奉仕品だった。勿論価格もついていないので求めないと売って貰えないものだった — 実際に事務所で求めても分からないというので、隣で対応していた先代の奥さんが、整理番号を教えて、そして最後には価格はこれと指さした。この三日間でも購入した人は特別な客だけだとそれで分かった。

多くの醸造所では面積当たりの収穫量を落としグランクリュの価格を上げて瓶詰本数を減らす一方、その先落とし葡萄からのワインに価値を付けて瓶詰めするブルゴーニュ方式が徹底して来ている。それによってその下のヴィラージュワイン迄に価値を付けるという戦略である。今回はフェルセンベルクと二種類だったが、21ユーロはお買い得で、現時点では旨味がなくても二年先かにグランクリュの瓶熟成を推測してシュミレーションする為に取り分け有意義となる。これがパイロットワインとなるグランクリュの68ユーロも義務として勿論購入した。

そして、競り用のブリュッケとは、正しくこの醸造所が醸造する世界最高のアイスヴァインの地所からの辛口リースリングである。ここ十年程でのこの醸造所の進化は目覚ましい。(続く)



参照:
着氷をバルコニーで考察 2024-05-23 | ワイン
ステレオタイプは不可 2024-01-05 | ワイン
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猿のように習って

2024-06-02 | 文化一般
承前)金曜日には地元放送局から聖霊降臨祭の録音が流れた。放送交響楽団にデビューしたタルモ・ペルトコフスキーのインタヴューやその指揮演奏会中継録音が流れた。予定されていた録画は未だにアップロードされていない。

改めてマイクで収録した音を流し聞いても印象は全く変わらなかった。寧ろ最初「眩暈」組曲での演奏で、練習時間も十分に取れなかったこともよく分かった。誰も作曲家ヘルマンの曲に時間は掛けないのだろうが、それとは別に下準備して、あり得る注意どころを十分に把握していなかったということだろう。全てにおいて時間不足準備不足しか感じさせない。

何故実力もない者がレーベルと契約を結ぶと駄目になるか?それにはれっきとした原因がある。今回の放送番組を紹介した書き込むにもレーベルDGからの反応があったが、それだけ反響に関心を持っていて、なによりも現在進行中のモーツァルト交響曲全集を売らなければいけない。

その為に指揮者は少なくとも一通りは眼を通してお勉強しておかないといけない。しかし抑々録音が可能な様な演奏は何回か本番で演奏しないことにはものにならない。

だからハイドン交響曲全集などには真面な演奏はなく、真面な忙しい楽団がそのような無駄な作業には関われないのである。指揮者なども既に長い経験の中でたとえばザルツブルクのマティネーなどを二十年も振っていればものになるがそうでなければ殆ど振らされているようなもので、暗譜云々以前の問題である。

そうした企画は録音などの商業的な目的の為になされて、商品さえ揃えれば束で売ることが可能になるのである。キリル・ペトレンコのように恐らくカラヤンらの録音を聴いて学んだことから自らの制作録音拒否へと傾いたのだろう賢さがそこには見いだされない。この北の国からの若者はそこまで推測できるだけの知能が足りないとしか思われない。

つまり何が起こるかというと、あまり関心もない楽曲をただ労働として、それこそ映画音楽制作現場のようにやっつけ仕事で録音してしまうという作業とそうした音楽の扱いがプロとして身についてしまうということでしかない。

そこではモーツァルトの芸術だけでなく天才の心の成長やそうしたその感興とかに思いを巡らす経験も余裕もない。要するに仕事の質が下がっていくだけなのだ。そしてその録音にその質が表れるようになって直ぐに飽きられる。

それどころかライヴにおいて私を含むとても厳しい反応に晒されることになって、折角の名門交響楽団へのデビューも大成功とはならないことにしている。本当は所属事務所だけでなくよく分かっている者が守ってやらなければいけなかったのだが、なぜかそうした環境に無防備に晒されることになっている。

なによりもの芸術的才能はやはり本人の頭脳で、それ以上の才能などはないということでしかない。どうもあそこの流派は子供の時から猿のように指揮を習っていて真面に知能が発達する音楽家には育ちにくいようだ。(続く



参照:
生中継留守録音の心得 2024-05-16 | テクニック
最後にシネマ交響楽 2024-03-01 | 雑感
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